江戸の犬ブームから見える人と犬の深い関係
江戸時代には、町の中で犬が当たり前に暮らし、人と自然に関わる文化が広がっていました。庶民はみんなで世話をし、大奥では小型犬が大切にされるなど、身分によっても関係の形が違っていたのが特徴です。
こうした背景には、平和な時代だからこそ生まれた命を大切にする価値観がありました。『心おどる 犬ワールド(江戸の犬ブーム)(2026年4月7日)』でも取り上げられ注目されています 。
この記事でわかること
・江戸時代に犬ブームが起きた理由
・庶民と犬の関係が現代とどう違うのか
・大奥で愛された犬の正体と特徴
・生類憐みの令の本当の意味
・現代につながる犬との関わり方
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江戸時代に起きた犬ブームとは何だったのか
江戸時代の犬ブームは、今でいう「流行のペット文化」が急に始まったというより、平和な時代が続いたことで、人々に動物をかわいがる余裕が生まれたことが大きな背景にありました。江戸東京博物館は、元禄のころを「戦国の世を直接体験していない世代が社会の大半となり、人びとの意識や価値観が徐々に変わりゆく時代」と説明していて、その中で綱吉の政策には「人を含む生き物すべてを慈しみ、その生命を大切にしようとする思想」があったとしています。つまり犬ブームは、犬だけの話ではなく、平和な社会で命をどう見るかという空気の変化の中で起きたものだったのです。
江戸の町では、犬は特別な珍しい動物ではなく、とても身近な存在でした。歴史コラムでは、江戸には「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」という言い回しがあるほど犬が多く、広重の『名所江戸百景』や『江戸名所図会』のような資料にも町中の犬が描かれていると紹介されています。これは、犬が一部の金持ちだけの楽しみではなく、町全体に広がった生活の風景だったことを示しています。
ここが大事なのは、江戸の犬人気には二つの顔があったことです。ひとつは、町にいる犬を自然に受け入れる日常の犬文化。もうひとつは、武家や大奥で小型犬を愛でる上流の愛玩文化です。この二つが同時に広がっていたからこそ、江戸の犬ブームは「庶民の流行」と「上流の趣味」が重なった、かなり厚みのある現象になりました。
庶民と犬の関係 町ぐるみで育てる文化の正体
江戸の庶民と犬の関係でいちばん面白いのは、今のように「この犬はこの家の犬」ときっちり分かれていないことが多かった点です。江戸散策の解説では、犬はかなり自由に動き回っていたようで、とくに長屋では「特定の飼い主がいる」というより、長屋全体のペットのように、えさをやれる人がやり、みんなでかわいがっていたのではないかと説明されています。狭い住まいが多い江戸では、今の室内犬のような飼い方が難しかったからこそ、町ぐるみのゆるやかな共同飼育が生まれたと考えるとわかりやすいです。
この関係は、ただ「かわいいから世話をした」というだけではありません。犬は番犬にもなり、子どもの遊び相手にもなり、人の気配が絶えない町の中で一緒に暮らす身近な存在でした。つまり江戸の犬は、家族であり、見守り役であり、町の空気をつくる仲間でもあったのです。今のようにドッグフードやリードやペット保険が整った時代ではなくても、人と犬が助け合う関係の基本は、すでにこのころから見えていました。
ここで注目したいのは、現代との違いです。今は責任ある個人飼育が当たり前で、迷子や放し飼いは大きな問題になります。でも江戸では、犬が道を歩き、町の人がそれを受け入れる風景が普通でした。現代の感覚で見ると少しあぶなく感じますが、逆にいえば、犬がそれだけ社会の中に溶け込んでいたともいえます。この違いを知ると、「昔の人は犬を雑に扱っていた」のではなく、「今とは違うルールで近くにいた」と理解しやすくなります。
大奥で愛された「ちん」とはどんな犬?
江戸の犬文化のもうひとつの主役が、狆(ちん)です。ジャパンケネルクラブによると、狆は古い文献では732年に宮廷に献上された犬が祖先とされ、徳川綱吉の時代には江戸城で室内愛玩犬として飼育されていました。つまり狆は、ただ小さい犬というだけではなく、かなり早い段階から日本で抱き犬・座敷犬として特別に扱われてきた犬種でした。
なぜ狆がそんなに人気だったのでしょうか。理由は見た目のかわいらしさだけではありません。小さくて室内で飼いやすく、優美で気品がある姿は、静かな屋内生活を送る上流女性たちの好みに合っていました。国立国会図書館月報では、「狆」は「上流階級の女性達に抱き犬として愛玩された」と説明されており、さらに「千代田の大奥 狆のくるひ」という作品には、大奥で飼われていた狆の様子が描かれていると紹介されています。犬そのものだけでなく、犬を愛でる行為までが文化になっていたわけです。
ここで大切なのは、江戸の犬文化が「みんな同じ犬を同じようにかわいがった」わけではないことです。庶民の町では自由に歩く日本犬系の犬が目立ち、上流では狆のような小型の愛玩犬が大切にされました。つまり江戸の犬ブームは、町の犬文化とお屋敷の犬文化が並んでいたのです。この違いを知ると、犬の歴史がぐっと立体的に見えてきます。
江戸時代にもあった犬の飼育マニュアルの中身
「昔の人は犬をなんとなく飼っていた」と思いがちですが、実は江戸時代には犬の飼育書までありました。岩瀬文庫は『犬狗養畜伝』を「江戸時代唯一の犬飼育書」と紹介しており、別の展示解説でも「珍しい、犬の飼育法指南書」とされています。さらに港区立郷土歴史館では、「江戸時代の犬飼育書-狆の飼育を中心に-」という講座が開かれていて、研究対象としても十分に価値があることがわかります。
この本がすごいのは、ただ「犬はかわいい」と書いてあるだけではないことです。関連資料では、えさの与え方、病気やけが、寄生虫、治療法など、かなり細かい内容が扱われていたことが紹介されています。つまり江戸の人たちは、犬を気分でかわいがるだけでなく、健康管理や飼育の知識まで求めていたのです。これは現代でいう飼育本やペット雑誌、動物病院の説明書に近い役目をしていたと考えるとわかりやすいです。
さらに面白いのは、江戸の飼育書に道徳の視点が入っていることです。関連する紹介では、犬への愛情を説き、飼い主の都合で捨てないこと、終生責任を持つことまで書かれていたとされています。これは今よく言われる「最後まで責任をもって飼いましょう」という考え方にかなり近いです。つまり、現代の責任ある飼育の考え方には、江戸の時代からつながる部分があるのです。
生類憐みの令の本当の意味と誤解
生類憐みの令という言葉を聞くと、「犬ばかり守った変な法律」というイメージを持つ人が多いかもしれません。ですが江戸東京博物館は、まずこれが「単一の法令ではない」と明言しています。五代将軍徳川綱吉の時代に出された、生き物を大切にするための一連の政策の総称であり、25年間で135回の発令が確認されるという研究も紹介されています。つまり、学校で一言で覚えた印象より、ずっと広くて複雑な政策群だったのです。
しかも対象は犬だけではありません。江戸東京博物館の説明では、犬、馬、鳥、魚介類などが対象になっており、始まりも犬だけではなく、捨て子・捨て病人・捨牛馬を禁じる流れの中で強化されたとされています。さらに同館の展覧会解説では、綱吉の政策の背景には「人を含む生き物すべてを慈しみ、その生命を大切にしようとする思想」があったと説明されています。ここがとても重要で、生類憐みの令は「犬だけえこひいきした制度」ではなく、命をめぐる政治思想の表れでもあったのです。
もちろん、理想だけでうまくいったわけではありません。江戸の町に犬が多かったことは事実で、政策は人々の暮らしに強く入り込みました。だからこそ後の時代には「悪法」という印象で語られやすくなりました。でも近年は、昔のように単純に笑い話や失政として片づけるのではなく、平和な時代に命をどう守るかを考えた政策として見直す動きもあります。今の動物保護やシェルターの考え方と重ねてみると、極端な面はあっても、ただおかしな制度と切り捨てるだけでは見えないものがあります。
現代につながる日本人と犬の関係性
江戸の犬文化を知ると、今の日本人と犬の関係にも、意外なくらい昔から続く線が見えてきます。たとえば、犬を家族のように大切にする気持ち、小型犬を室内で愛玩する文化、飼育の知識を本で学ぶ姿勢、そして捨てずに最後まで世話をするべきだという考え方です。形は変わっても、「犬は人のそばで生きる大切な仲間だ」という土台は、江戸のころからかなりはっきり存在していました。
一方で、変わった点もあります。今はマイクロチップ、ワクチン、しつけ、登録制度、動物愛護法など、責任の所在がはっきりしています。江戸のように町全体でゆるく見守る形ではなく、現代では飼い主の責任が明確です。これは社会が冷たくなったからではなく、犬がより長く、より安全に、人と暮らせるように仕組みが発達したからです。昔のやさしさと、今の制度は、形は違ってもどちらも「犬と人が一緒に生きるための工夫」といえます。
だから江戸の犬ブームを学ぶ意味は、昔話を知ることだけではありません。犬をかわいがる文化は、いつ生まれたのか。なぜ人は犬を特別な存在だと思うのか。かわいいだけでなく、どう責任を持つべきなのか。 そうした今の問いを考えるヒントが、江戸の暮らしの中にたくさん残っているのです。江戸の町を歩く犬も、大奥で抱かれる狆も、飼育書のページに登場する犬も、みんな「人は犬とどう生きるのか」という長い歴史の一場面でした。
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