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NHK【映像の世紀バタフライエフェクト】ロシア革命 世界を覆ったユートピア幻想 レーニンが夢見た「労働者の国」はなぜ崩れたのか|2025年10月27日★

映像の世紀バタフライエフェクト

レーニンの夢と現実:ユートピアはなぜ崩れたのか?

「誰もが平等に暮らせる社会が実現したら…」そう願う気持ちは、いつの時代にもあります。だが、20世紀初頭、その理想を“本気で”実現しようとした人々がいました。それが、ロシア革命を起こしたレーニンと彼に続く人々です。
2025年10月27日放送予定の映像の世紀バタフライエフェクト『ロシア革命 世界を覆ったユートピア幻想』は、そんな「理想と現実のはざま」に揺れた人類の100年を見つめるドキュメンタリーです。
この記事では、番組のテーマをもとに、ユートピアがどのように生まれ、拡大し、そして崩壊していったのかをわかりやすくたどります。レーニンの信念、世界恐慌での転機、そして冷戦期の科学競争。人類が「理想社会」を夢見たその軌跡を丁寧に解説します。

レーニンが描いた「労働者と農民の楽園」

1910年代のロシア帝国は、貴族が富を独占し、農民の多くが貧困と重労働に苦しむ国でした。第一次世界大戦で国は疲弊し、兵士と民衆の不満は爆発寸前。そんな中に現れたのが、革命家ウラジーミル・レーニンです。
レーニンは、「支配階級を打倒し、労働者と農民が権力を握る社会」を理想に掲げました。彼の言葉「すべての権力をソビエトへ」は、民衆の心を強く揺さぶり、1917年の十月革命へとつながります。
革命後、レーニン率いるボリシェビキは地主の土地を没収し、農民へ分配。工場や銀行は国有化され、「平等で搾取のない社会」が実現するかに見えました。

しかし理想の裏では、厳しい現実が待っていました。内戦や飢餓が続き、物資は不足。経済は混乱し、反対する者は赤色テロによって弾圧されました。自由よりも「革命の維持」が優先され、ユートピアは次第に緊張と恐怖の社会へと変わっていきます。それでも、世界の多くの人々にとって、レーニンの掲げた理想はまぶしく輝いて見えたのです。

世界恐慌がもたらした「社会主義への希望」

1929年、アメリカ・ウォール街での株価暴落から始まった世界恐慌は、資本主義社会に大きな亀裂を生じさせました。企業の倒産、失業、貧困――「自由競争のはずが、生き残れるのは一握りだけ」と、多くの人が資本主義に疑問を抱くようになります。
そんな時、注目されたのがソ連のモデルでした。計画経済によって生産や雇用を国家が管理し、誰もが仕事を持てる社会。それは資本主義の混乱とは対照的に見えました。
ヨーロッパでは、知識人や労働者の間で社会主義への憧れが広がり、アメリカの若者たちの中にも「新しい社会」を夢見る人々が現れます。映画監督、作家、音楽家たちもその理想を作品に込めました。

しかし同時に、現実のソ連ではスターリンの独裁が進み、反対者は粛清され、自由な言論は封じられていました。それでも外から見る限り、ソ連は「新しい秩序を築いた国」として、多くの人に希望を与え続けたのです。

第二次世界大戦と“正義の国”ソ連

やがて世界は再び戦争に突入します。第二次世界大戦で、ソ連はナチス・ドイツとの壮絶な戦いを経て勝利を収めます。特にスターリングラード攻防戦は、ソ連国民の粘り強さと犠牲の象徴として世界に知られることとなりました。
戦後、ソ連は「ファシズムに勝った正義の国」としての地位を確立します。ヨーロッパ東部では、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、東ドイツなどが次々と社会主義体制を採用。“東欧社会主義圏”が形成されました。
教育は無償、医療も国家負担。女性も働ける社会制度が整い、多くの国で「社会主義こそが未来の形」と信じられるようになります。西側の若者の中にも、東側の平等主義に憧れる者が少なくありませんでした。

科学と宇宙が象徴した「ユートピアの力」

1957年、ソ連は世界初の人工衛星『スプートニク1号』を打ち上げ、人類史を変えました。続く1961年には、ユーリ・ガガーリンが人類初の宇宙飛行に成功し、世界中が熱狂。アメリカを出し抜いたソ連は、まさに科学の最先端国家として称賛を浴びます。
この成功は単なる技術的成果ではなく、「社会主義体制の優位性」を象徴する出来事でもありました。国家が一体となり、資源を計画的に投入すれば、資本主義のような無駄な競争を超えられる――そう信じられたのです。
同時に、ソ連では文化や教育も重視され、子どもたちは無料で高等教育を受け、女性科学者も多数活躍しました。冷戦の緊張の中で、社会主義の理想は一時的に“現実”へと近づいて見えたのです。

理想の陰にあった矛盾と崩壊への道

しかし、社会主義のユートピアは長くは続きませんでした。1970年代に入ると、ブレジネフ政権のもとで経済の停滞が深刻化。計画経済は非効率を生み、商店には品物が並ばず、人々は長い列を作ってパンを買うようになりました。
政治は官僚主義に支配され、創造性や個人の自由は抑えられていきます。「平等」を保つために「個性」が犠牲になる――それが新たな矛盾を生んでいきました。
1980年代後半、ミハイル・ゴルバチョフが改革政策『ペレストロイカ』と『グラスノスチ』を打ち出すも、体制の崩壊は止められず、1991年、ソ連は解体。レーニンが掲げたユートピアは、ついに夢のまま終わりを迎えました。

まとめ:理想を求めた人類の記録

この記事のポイントは以下の3つです。
・レーニンが描いた「労働者と農民による平等社会」は、革命を通じて現実の政治体制となったが、内戦と弾圧の中で理想から遠ざかった。
・世界恐慌をきっかけに、社会主義は「資本主義に代わる希望」として広まり、第二次世界大戦後はソ連が正義と進歩の象徴となった。
・宇宙開発など科学の分野では成果を上げたが、計画経済の限界と自由の欠如が最終的に体制を崩壊へと導いた。

人類が掲げた「ユートピア」は、完璧な形では実現しなかったかもしれません。しかし、格差や差別をなくそうとするその理想は、現代にも受け継がれています。私たちはいま、再び“新しいユートピア”をどこに見いだすのか――その問いが、この時代にも突きつけられているのです。


放送後には、番組で描かれる貴重な映像資料、歴史家の証言、当時の市民の声などを追記し、記事をさらに詳しく更新予定です。


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