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NHK【映像の世紀バタフライエフェクト】ロシア革命 世界を覆ったユートピア幻想|アンドレイ・サハロフが見た共産主義の崩壊と希望|2025年10月27日

映像の世紀バタフライエフェクト
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理想を追い求めた時代の光と影『ロシア革命 世界を覆ったユートピア幻想』

「みんなが平等に暮らせる社会をつくりたい」――それは人類の永遠の願いです。20世紀の初め、その理想を現実にしようと立ち上がった人々がいました。ウラジーミル・レーニン率いる革命家たちです。彼らが起こした『ロシア革命』は、世界の政治・思想・文化を根底から変えました。
今回の『映像の世紀バタフライエフェクト』では、その革命の始まりから終焉まで、「ユートピア幻想」がどう生まれ、どう崩れたのかを、貴重な映像とともに追います。この記事では、革命の熱狂、恐怖政治、そして理想の崩壊までを深く掘り下げて解説します。

皇帝の終焉と革命の幕開け ― 民衆が動き出した瞬間

20世紀初頭のロシアは、ニコライ2世が支配する広大な帝政国家でした。しかしその栄華の裏には、深刻な貧富の差と政治への不信がありました。農民は土地を持たず、工場労働者は過酷な環境で働き、知識人層は検閲と弾圧に苦しんでいました。
1905年、労働者と民衆が皇帝に直訴した「血の日曜日事件」で、多くの犠牲者が出たことをきっかけに、人々の不満は一気に噴出。革命の火種はこの頃から燻っていました。

そして1914年、第一次世界大戦が勃発。ロシアは戦争に参戦しますが、物資不足と兵士の大量死で国内は混乱。皇帝ニコライ2世の権威は完全に失われ、1917年2月、ついに帝政が崩壊します。
後継として臨時政府が発足し、民主的な新しい国づくりが始まろうとしました。ところが、その動きを待たずして亡命先から帰国したのがウラジーミル・レーニンです。彼は「全ての権力をソビエト(労働者評議会)に!」と呼びかけ、ボリシェヴィキによる武装蜂起を指導しました。
こうして10月革命が勃発。帝政の瓦解からわずか半年後、ロシアは労働者と農民の国へと変わります。革命を記録した映画『皇帝からレーニンへ』には、荒れ果てた帝都と群衆の熱狂が生々しく残されています。

世界に広がった革命の波 ― “平等”という希望

ロシアの革命は、世界中の人々に「変革は可能だ」という衝撃を与えました。ドイツ、ハンガリー、日本などでも労働運動や学生運動が高まり、社会主義思想が広まっていきます。
レーニンは世界の労働者を組織化するために『コミンテルン(共産主義インターナショナル)』を設立し、資本主義に対抗する国際的なネットワークを作りました。
一方で、戦争や内乱の混乱が続くロシアでは、食料不足や暴力が蔓延。理想の国家を目指していたはずの革命は、次第に苛烈な現実へと変わっていきます。
レーニンの死後、権力を握ったのはヨシフ・スターリン。彼は「社会主義建設五カ年計画」を掲げ、国を強制的に工業化していきました。

世界恐慌が招いた“共産主義ブーム”

1929年、アメリカのウォール街を襲った株価暴落――『世界恐慌』です。資本主義の崩壊を予言していたかのように、企業倒産と失業者の波が世界中に広がりました。
その一方で、ソ連は計画経済の下で順調に成長を続けていました。国が生産を管理し、労働者全員に仕事を与えるというシステムが、人々の不安を救う“希望の形”として注目されます。
アンドレ・ジッドバーナード・ショーH・G・ウェルズといった知識人たちはモスクワを訪れ、「ソ連こそ未来の国家」と称賛しました。
失業と貧困に苦しむ資本主義諸国にとって、ソ連の繁栄はまるで“新しいユートピア”のように見えたのです。

しかし、その繁栄の裏では恐怖が静かに広がっていました。スターリンは反対派を「人民の敵」と断罪し、秘密警察NKVDによる大量粛清を実施。レーニン時代の同志、レフ・カーメネフグリゴリー・ジノヴィエフ、さらに国外亡命中のレフ・トロツキーまでもが暗殺されました。
夢見たユートピアは、すでに恐怖と服従の国家へと変貌していたのです。

第二次世界大戦 ― 勝利と拡大、そして“正義”の錯覚

1941年、アドルフ・ヒトラー率いるドイツがソ連に侵攻します。『独ソ戦』です。凍てつく大地での激戦の末、ソ連は大きな犠牲を払って勝利。ナチス・ドイツを打ち破ったその功績は、世界中で「共産主義=正義」というイメージを強めました。
戦後、ドイツを含む東欧諸国には次々と共産党政権が樹立。ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ルーマニア――いずれもソ連の影響下に入り、東西冷戦の構図が形づくられていきました。
日本では、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が政治犯の釈放を命じ、徳田球一らが復帰。共産主義運動が再び息を吹き返します。戦後の民主化運動や労働運動にも、この時期の思想が深く関わっていました。

科学と理想 ― 核と宇宙に託された夢

1949年、スターリンの70歳を祝う記念式典には、世界中の共産党指導者が集結。毛沢東をはじめ、アジアの新興国指導者たちも顔をそろえ、ソ連は社会主義世界の中心として圧倒的な存在感を放ちました。
科学の分野でも、ソ連は次々と成果を上げていきます。アンドレイ・サハロフによる水爆開発、そして1961年にはユーリイ・ガガーリンが世界初の有人宇宙飛行に成功。「地球は青かった」という彼の言葉は、ソ連の科学力と人類の未来を象徴するメッセージとして世界中に響きました。
しかし、同時に国内では物資不足が深刻化。計画経済は非効率に陥り、農業は衰退。国民生活は次第に苦しくなっていきました。

やがてサハロフは、国家が個人を支配する現実に疑問を抱き、体制批判を始めます。「数字で示される繁栄は、実際には幻に過ぎない」と語ったサハロフの言葉は、後の改革運動の象徴となりました。

崩壊の序曲 ― ゴルバチョフの改革と民衆の反乱

1980年代後半、時代の転換点を迎えます。ミハイル・ゴルバチョフが登場し、『ペレストロイカ(改革)』と『グラスノスチ(情報公開)』を打ち出しました。
しかし改革は混乱を招き、店頭から商品が消え、庶民の暮らしは悪化。民衆の不満は爆発し、ルーマニアでは独裁者ニコラエ・チャウシェスク政権が倒れ、チェコスロバキアでも「ビロード革命」が起こります。
そして1991年12月、ソビエト連邦は正式に消滅。70年以上続いた“ユートピア国家”は、静かに歴史の幕を閉じました。

理想が暴走したとき、自由は失われる

番組が訴えかけるのは、「理想の実現」と「人間の尊厳」は両立しなければならないという教訓です。レーニンスターリンも、最初は理想を信じていました。しかし「理想のための犠牲」を正当化した瞬間、社会は恐怖と監視に覆われていきました。
現代でも、AIや国家システムの自動化など“理想の効率社会”が進んでいます。だからこそ、私たちは歴史から学ばなければなりません。どんなに崇高な理念でも、人間の自由と尊厳を軽視すれば、それは新たな“独裁”を生み出すのです。

まとめ

この記事のポイントは次の3つです。
・ロシア革命は平等と自由を掲げて始まったが、独裁と恐怖の国家を生んだ。
・スターリン体制の繁栄は、粛清と監視の上に成り立っていた。
・ソ連崩壊は、人類が「理想と自由のバランス」を取り戻すための転換点だった。

100年前に生まれたユートピアの夢は、やがて恐怖の現実へと変わりました。『映像の世紀バタフライエフェクト』は、その歴史を通して私たちに問いかけます――「理想を追うとき、あなたは人間らしさを失っていませんか?」


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