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NHK【映像の世紀バタフライエフェクト】ロバート・モーゼスと再生する都市、ニューヨークの400年史|2025年10月6日

映像の世紀バタフライエフェクト

ニューヨークという“磁場”の正体を探る

なぜ、ニューヨークという街はこれほどまでに人を惹きつけるのでしょうか。
芸術家も、経営者も、移民も、夢を追う若者も——誰もがこの地を目指します。そこには「自由」「再生」「希望」という3つのキーワードが常にありました。
NHK『映像の世紀バタフライエフェクト』2025年10月6日放送の「ニューヨーク・ニューヨーク」では、この都市の400年にわたる変遷を、膨大なアーカイブ映像とともに紐解いています。
この記事では、都市文化の視点から、この放送回で描かれたニューヨークの姿と、そこに息づく“人間の力”を掘り下げていきます。
読み進めるうちに、あなたもきっと気づくはずです。ニューヨークとは「地図の上の都市」ではなく、“世界中の希望と矛盾が凝縮した鏡”だということに。

摩天楼の誕生 夢を形にした1910年代のマンハッタン

20世紀初頭、マンハッタン島にはすでに近代都市の面影がありました。1910年代の映像には、鉄骨を組み上げていく労働者たちの姿が映し出されています。
彼らが築いたのが、当時“世界一高いビル”と称されたウールワース・ビルディング。57階建てのゴシック様式の塔は、人間の技術と野心の象徴でした。
その足元では、ブロードウェイに灯る電飾が夜空を照らし、ニューヨーク・タイムズ社が立ち並ぶエリアが「タイムズ・スクエア」と呼ばれるようになります。
高層ビル群と街のネオン、それに群がる人の波——この頃からニューヨークは“眠らない街”としての顔を見せ始めていたのです。

第一次世界大戦が終わると、ヨーロッパの混乱から逃れた人々が次々とアメリカへ渡ってきます。家も職も失った人々にとって、ニューヨークは最後の希望の地でした。
その多様性が、のちに街の文化の豊かさを生む源泉となっていきます。
この時代、スポーツの世界でも大きな変革が起こります。ベーブ・ルースボストン・レッドソックスからニューヨーク・ヤンキースへ移籍し、伝説の本塁打を量産。
彼の存在が、野球を“国民のスポーツ”に押し上げ、1923年に完成したヤンキー・スタジアムは「野球の聖地」として熱狂の中心となりました。
当時のニューヨークには、夢を信じるエネルギーが渦巻いていたのです。

世界恐慌の闇と再生 フランクリン・ルーズベルトの挑戦

しかし、1929年のウォール街発・株価大暴落が、その輝きを一変させます。
数百万の人々が職を失い、街角には食料を求める長い行列。公園には仮設住宅が並び、ニューヨークは絶望に沈みました。
そのとき立ち上がったのが、ニューヨーク州知事だったフランクリン・ルーズベルトです。彼は大胆な公共事業によって雇用を創出し、人々の生活を立て直そうとします。
橋、道路、公園——その設計と実行を担ったのが都市計画家ロバート・モーゼス。彼はのちに「近代都市の建築士」と呼ばれ、ニューヨークの地図を根本から変えた人物です。

1939年にはニューヨーク万国博覧会が開催され、人々は再び希望を取り戻します。科学と技術の進歩、そして平和への願いが詰まったこの博覧会は、ニューヨークが“再生の象徴”となった瞬間でした。
同時代を生きた写真家リー・ミラーは、そんな変化を鋭く記録しました。彼女の写真には、貧困と誇り、混沌と希望が同居するニューヨークのリアルが映っています。

音楽と理想の街 ジョン・レノンが愛したニューヨーク

時は1970年代。ロンドンを離れ、ニューヨークへやってきたジョン・レノンオノ・ヨーコは、街の自由な空気に魅せられます。
彼らはマディソン・スクエア・ガーデンで平和を訴えるコンサートを開き、セントラルパークを散歩しながら、人々と気さくに言葉を交わしました。
しかし、反戦活動を続けるレノンは次第にFBI(連邦捜査局)の監視対象となり、当時の保守派政治家ジョセフ・マッカーシーらから国外退去を命じられます。
それでも、彼を救ったのがニューヨーク市長ジョン・リンゼイ。自由と表現を守るため、彼は政治的圧力に抗い、レノンの滞在を認めました。
その後、レノンはダコタ・ハウスに暮らし、静かな生活を送りながらも創作を続けます。彼が語った「ニューヨークこそ僕の家だ」という言葉は、今もこの街の魂を象徴しています。

バブルの輝きと影 トランプが仕掛けた“ニューヨーク再開発”

1980年代のニューヨークは、経済の荒波の中で新たなステージへと進みます。
日本企業の不動産投資が相次ぎ、摩天楼は次々と建て替えられていきました。そんな中、若き実業家ドナルド・トランプが台頭します。
彼は次々と老朽化した建物を買い取り、1983年にトランプ・タワーを建設。豪華な吹き抜けと金色の装飾が話題となり、ニューヨークの“野心”そのものを体現しました。
一方で、格差と治安の悪化も進みます。街には貧困層と富裕層の境界が生まれ、ニューヨークはかつてないほど多様で矛盾に満ちた都市へと変わっていきました。
だがその矛盾こそが、この街を生かしてきたエネルギーでもあります。

21世紀の試練 パンデミックと孤高の摩天楼

2001年、世界貿易センタービルが崩壊したあの日、ニューヨークは世界の悲しみを背負いました。
しかし、瓦礫の中から再び立ち上がり、2010年代には新しいランドマークワン・ワールド・トレード・センターが完成。
そして2020年、新型コロナウイルスによる感染拡大が再び街を止めました。タイムズ・スクエアの人影は消え、あの活気ある街が静まり返ったのです。
それでも、ニューヨークは常に前を向く都市。建設が続くスタインウェイ・タワーセントラル・パーク・タワーは、逆境の中でなお未来を描こうとする意志の象徴です。
一方で、急速な富の集中が進み、“富裕層の街”という新たな課題も生まれています。
それでも、この街が放つ光は消えません。多様性、表現の自由、そして挑戦する心——それがニューヨークの原動力なのです。

この記事のまとめ

・ニューヨークは「再生の街」であり、危機のたびに新しい文化と価値観を生み出してきた。
ベーブ・ルースリー・ミラージョン・レノンドナルド・トランプなど、個性豊かな人々が都市の歴史を形づくった。
・パンデミックや格差の問題を抱えながらも、ニューヨークは今も「世界の縮図」として輝き続けている。

終わりに

ニューヨークの400年は、人類の挑戦と再生の物語そのものです。
時代が変わっても、人が集まり、語り、夢を見る場所であることに変わりはありません。
この街の歴史を知ることは、私たち自身の生き方を見つめ直すことでもあります。
自由と希望の交差点——ニューヨークは、今も世界中の心を惹きつけ続けています。


出典:NHK『映像の世紀バタフライエフェクト ニューヨーク・ニューヨーク』(2025年10月6日放送)
https://www.nhk.jp/p/sekai-butterfly/

番組を見て感じたこと

ニューヨークという街は、単なる建物や道路の集まりではなく、人々の意思と情熱が積み重なってできた“生きた存在”だと感じた。映像の中で印象的だったのは、時代ごとに異なる人物たちが、それぞれの夢や理想を形にしてきた姿だった。

ロバート・モーゼスは、その典型だ。彼は都市計画家として、橋や高速道路、公園を次々と整備し、現代のニューヨークの骨格を作り上げた人物。大規模開発によって人々の生活を変えた一方で、再開発のために多くの地域を壊したことでも議論を呼んだ。彼の功罪は今も語り継がれているが、そこには「都市をより良くしたい」という強い信念が確かにあった。

そしてジョン・レノン。彼は音楽という形で、ニューヨークに「自由と平和」という精神的な価値を吹き込んだ。オノ・ヨーコとともに行った反戦活動や『イマジン』に込めたメッセージは、街の多様性と共鳴し、ニューヨークそのものが“平和の象徴”のように映った。彼が暮らしたダコタ・ハウスや、彼を偲ぶセントラルパークのストロベリーフィールズには、今も人々が花を手に訪れる。

そして、もう一人の象徴がドナルド・トランプだ。彼は若き不動産王として、1980年代のニューヨークに「野心と自己実現」というエネルギーをもたらした。トランプ・タワーはその象徴で、金色の吹き抜けとガラスの外観は、経済の頂点を目指す時代の欲望を映し出している。同時に、それはニューヨークが「誰もが挑戦できる場所」であることを示していた。

これらの人物に共通しているのは、どんな時代でも“自分の理想の街”を思い描いていたことだ。誰かが橋をかけ、誰かが歌い、誰かが塔を建てた。その積み重ねが、今のニューヨークという巨大な都市を作り上げている。
映像の中で見た街の光と影は、すべて人間の意思の軌跡だった。ニューヨークの姿は、まるで人類そのものの物語のように感じられた。


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