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NHK【映像の世紀バタフライエフェクト】台湾130年の苦難と繁栄!国連追放と半導体大国の今|2025年6月30日

映像の世紀バタフライエフェクト

台湾の知られざる130年の歴史をたどる

2025年6月30日放送のNHK総合「映像の世紀バタフライエフェクト」では、台湾が歩んできた130年の歴史とその影響を紹介しました。日本の植民地支配、蒋介石の時代、そして現代まで、台湾がどのように変わってきたのかが分かりやすくまとめられています。

日本の統治と台湾の孤独

台湾には、今も「南進台湾」という日本統治時代の記録映画が残されています。この映画は、日本が台湾をどのように統治していたのか、当時の様子を知ることができる貴重な資料です。1937年に日中戦争が始まると、日本は台湾での同化政策を一層強化し、台湾の人たちに日本語を使わせたり、日本の文化や考え方を教えたりしました。こうした政策は、台湾の文化や生活に大きな影響を与えました。

この時代、台湾出身の作家呉濁流は中国へ渡りました。しかし、現地では「日本のスパイではないか」と疑われ、苦しい思いをしました。そのため呉濁流は、台湾のことを「アジアの孤児」と呼びました。この言葉には、どの国にも受け入れられず、孤立してしまった台湾の悲しい現実が込められています。

さらに、太平洋戦争が始まると、台湾の人たちも戦地へ送られるようになります。家族や友人が次々と戦争に駆り出され、多くの人が不安な日々を過ごしました。

1945年、日本が戦争に敗れると、台湾は蒋介石の率いる国民党の支配下に置かれました。台湾の人たちは最初、蒋介石を歓迎しました。「新しい時代が来る」と期待する人が多かったのです。しかし、蒋介石の政権では横領や不正が目立ち、さらに失業者も増え、国民の生活は苦しくなっていきました

このころから台湾では、「外省人」と「本省人」という言葉が使われるようになります。

外省人…中国本土からやってきた人たち
本省人…もともと台湾に住んでいた人たち

この区別は、次第に社会の分断を生み、台湾の人々の間に不満や対立を広げていきました。蒋介石の政治への不満だけでなく、外省人と本省人の対立も深刻な社会問題になっていったのです。こうした歴史は、今の台湾の社会にも影響を与え続けています。

二・二八事件と台湾の悲劇

1947年、ついに台湾で長年積み重なっていた不満が大きく爆発しました。それが「二・二八事件」です。この事件は、台湾の人たちが蒋介石の政治や外省人の優遇に怒り、抗議活動を始めたことがきっかけです。しかし、蒋介石の軍隊はその抗議を力で押さえつけようとし、市民を無差別に攻撃しました。この結果、数万人とも言われる多くの犠牲者が出て、台湾社会は深い傷を負いました。

同じころ、中国本土では毛沢東が共産党の力を強めていきます。国民党と共産党の争いは激しさを増し、最終的に蒋介石は毛沢東に敗北しました。1949年、毛沢東は中華人民共和国の建国を宣言し、中国本土は共産党の支配下に置かれます。一方で、蒋介石は台湾に逃れ、そこに政府を移しました。台湾は「中華民国」として独自の道を歩み始めることになります。

このとき、アメリカは一度蒋介石を見放そうとしました。しかし、1950年に朝鮮戦争が始まると、情勢は大きく変わります。共産主義の広がりを警戒するアメリカは、再び台湾への支援を強化し、蒋介石の政権を支え続けるようになります。

その後、日本はアメリカやイギリスなどと「サンフランシスコ平和条約」を結びました。この条約によって日本は正式に戦争状態を終え、国際社会へ戻ることができたのです。しかし、台湾と中国の対立はその後も続き、今も解決されていない複雑な問題のひとつとなっています。

大陸反攻の夢と経済成長

1950年代、中国本土では毛沢東の「大躍進政策」が始まりました。これは農業や工業を一気に発展させようという政策でしたが、現実は大きく違い、失敗に終わります。その影響で中国本土では数千万人もの人が餓死するという悲劇が起きました。国内が混乱する中、台湾の蒋介石は「今こそ大陸を取り戻すチャンスだ」と考え、大陸反攻の準備を進めていきます

しかし、その動きを察知した中国はさらに軍備を強化し、1960年代には核実験にも成功します。この出来事によって、台湾と中国の間は一触即発の緊張状態に陥ります。「戦争が起きるかもしれない」という不安が台湾全体を包みましたが、最終的に蒋介石の反攻計画は実現しませんでした。その後、蒋介石自身も次第に政治の表舞台から姿を消していきます。

一方、台湾では別の面で大きな変化がありました。それが経済の発展と工業化の加速です。台湾はアメリカからの支援や国内の努力によって、農業中心の社会から工業や貿易を中心とする経済へと生まれ変わっていきます。繊維産業や電子部品の製造が盛んになり、台湾製品は世界中に広がっていきました。

政治の面では緊張や不安が続く一方で、台湾経済は着実に力をつけていき、やがて「アジアの四小龍」と呼ばれるまでの経済成長を遂げることになります。この時代の台湾は、危機の中でも力強く前を向き、次の時代へと歩みを進めていったのです。

初の本省人総統と民主化

1988年、台湾で大きな歴史の転換点が訪れます。それまで「外省人」が政治の中心を握ってきた台湾で、初めて本省人の李登輝が総統に就任したのです。本省人とは、もともと台湾に住んでいた人たちのことを指します。李登輝の就任は、多くの台湾人にとって大きな希望となりました。

李登輝は総統に就任すると、台湾の民主化を大きく進めていきます。その象徴が、総統を直接選ぶ選挙制度の導入でした。それまでは限られた人たちによって選ばれていた総統の座を、国民が自分たちの一票で決められるようになったのです。この選挙で、李登輝は国民の幅広い支持を受けて、改めて総統に選ばれました。

この時代から、台湾の社会は大きく変わっていきます。政治だけでなく、経済面でも台湾は目覚ましい発展を見せます。台湾の経済規模は李登輝の時代以降、約3倍に拡大し、世界経済の中でも重要な存在感を示すようになりました。

特に注目されたのが、半導体産業の成長です。2023年、世界最大の半導体メーカーである台湾積体電路製造(TSMC)の創業者モリス・チャン元会長が国際会議で大きな注目を集めました。この出来事は、台湾が技術大国として世界から認められている証拠でもあります。

現在、台湾と正式な国交を結ぶ国はわずか12か国しかありません。しかし、貿易相手国は190を超え、台湾の製品や技術は世界中に広がっています。外交面で孤立しがちな台湾ですが、経済の力を武器に国際社会の中で確かな地位を築き上げています。

まとめ

今回の番組では、台湾が130年もの間、困難や苦しみ、そして挑戦を乗り越えてきた姿が紹介されました。その歴史の積み重ねが、今の台湾の発展や存在感につながっていることがよくわかる内容でした。

【関連情報】
NHK公式:https://www.nhk.jp/p/ts/88R3M75QRY/episode/te/1R2G6V72Z7/
Wikipedia 台湾の歴史:https://ja.wikipedia.org/wiki/台湾の歴史
台北タイムズ:https://www.taipeitimes.com
ロイター:https://www.reuters.com
ウォールストリートジャーナル:https://jp.wsj.com
ワシントンポスト:https://www.washingtonpost.com

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