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NHK【チコちゃんに叱られる!】A判とB判はなぜある?渋沢栄一が築いた“日本独自の紙文化”の秘密|2025年11月8日

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A判とB判の秘密!日本人の感覚から生まれた“2つの紙の世界”

コピー用紙やノート、雑誌のサイズを見て「なんでA4とB5があるの?」と思ったことはありませんか?
プリンターで印刷するときも、「A4で印刷」「B5で印刷」など選ぶ場面は多いですよね。

なんとなく使い分けているけれど、その違いの理由をきちんと説明できる人は意外と少ないもの。
実は、この2種類の規格には、日本人の暮らしと感覚に深く関わる歴史があるんです。

この記事では、紙の博物館の西村氏の解説をもとに、A判とB判が生まれた理由、そしてどんな思いが込められているのかを、わかりやすく紹介します。
読めばきっと、何気なく使っているノートや本のサイズを、少し誇らしく感じるはずです。

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明治時代の紙革命と渋沢栄一の挑戦

明治初期の日本では、紙といえば和紙が主流でした。楮(こうぞ)や三椏(みつまた)などの植物繊維から手作業で作られており、丈夫で風合いがありましたが、サイズも厚みもまちまち。帳簿や印刷の需要が増えるなかで、「紙の大きさを統一したい」という声が高まりました。

そんな時代に登場したのが、近代経済の父・渋沢栄一です。彼は明治8年(1875年)に日本初の西洋式製紙工場『抄紙会社』(現在の王子製紙の前身)を設立しました。これは、国産の紙を近代的な技術で大量に生産する試みでした。

当初の原料は布くず(ボロ布)でしたが、明治22年(1889年)には木材パルプの技術が導入され、より多くの紙を安定して作ることが可能に。紙の大量生産時代が始まり、社会のあらゆる場面で紙が必要とされるようになります。こうして、「紙のサイズを標準化しよう」という動きが本格化しました。

ドイツのA判との出会いと導入

紙の統一規格を決める中心となったのが、大蔵省印刷局の技術者・矢野道也です。彼は海外の文献を調べ、各国の紙サイズを比較研究しました。その中で特に注目したのが、ドイツのA判規格でした。

A判は縦横の比率が1:√2という非常に合理的な構造で、どのサイズに切っても形が崩れません。たとえば、A0判を半分にすればA1、さらに半分にすればA2というように、どのサイズでも比率が一定のまま保たれます。この数学的な美しさは、印刷や製本の効率を大幅に高めるものでした。

A判を採用することで、紙の無駄が出ず、世界的な標準に合わせられる――まさに明治政府が掲げた「欧化政策」にぴったりの規格でした。矢野の提案により、日本の役所や銀行、学校などでA判が正式に使われ始めます。

それでも「Aだけではしっくりこない」日本人の感覚

ところが、A判が導入されても日本人の多くは“違和感”を覚えました。
理由は単純で、「手に持ったときの感覚が違う」からです。

当時の日本では、小説や雑誌、教科書などに四六判(しろくばん)と呼ばれるサイズが多く使われていました。四六判はA判より少し幅が広く、ページを開いたときに文字のバランスが美しく、読みやすいと感じられました。つまり、A判の欧米的な比率は日本人の感覚には少し縦長すぎたのです。

その結果、「合理的だけど、なんだか落ち着かない」という声が出版業界から相次ぎます。紙の規格をめぐって、“効率か心地よさか”という葛藤が生まれたのです。

日本独自のB判が生まれる

この問題を解決するために生まれたのが、日本独自のB判規格です。
A判より一回り大きく、和紙や従来の四六判の感覚に近い設計でした。

B判は日本人が手に持ったときの感覚を重視して作られたため、「読み物や教科書にちょうどいい」と出版関係者に支持されました。こうして自然と、A判=事務・印刷用、B判=出版・教育用というすみ分けができたのです。

たとえば、A4はオフィスの書類、B5はノート、B6は文庫本。日常生活の中で使い分けが根づき、今でも続いています。

この“B判の誕生”は、単なるサイズの問題ではなく、日本人の「感覚的な美しさ」へのこだわりが生んだ成果でした。合理性と感性のバランス――それこそが日本の文化らしさなのです。

現代でも続くAとBの二刀流文化

現代のオフィスではA判が主流ですが、書店に並ぶ本の多くはいまだにB判。つまり、AとBは今でも役割分担しながら共存しています。

A判は国際標準であり、世界中で使われるグローバル規格。印刷の効率を重視する書類・契約書・製図などに最適です。
一方のB判は、日本の“読む文化”に寄り添う存在。読書や学習、創作の現場で愛され続けています。

たとえば、B6サイズの文庫本を開くと、自然に手の中に収まり、ページをめくる動作までスムーズに感じます。これは偶然ではなく、日本人の手の大きさ・文字の配置・余白の取り方までも計算して生まれた形なのです。

AとB――それぞれの規格が、異なる文化と目的の中で生き続けている。
それはまさに、科学と感性が共存する日本の紙文化の象徴と言えるでしょう。

まとめ

この記事のポイントは次の3つです。

  1. A判はドイツ発の合理的な規格で、明治の近代化により日本に導入された

  2. B判は日本独自の感覚から誕生し、和紙文化や読書の習慣に合わせて定着した

  3. 現代でもA=ビジネス、B=文化として共存し、日本人の暮らしに根付いている

A判とB判は、ただのサイズ表記ではありません。そこには、渋沢栄一の挑戦、矢野道也の研究、そして日本人の美意識が宿っています。
コピー用紙を手にするとき、文庫本を開くとき、少しだけその背景を思い出してみてください。
私たちの手の中にある1枚の紙は、日本の知恵と感性が作り上げた文化の証なのです。


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