- 広島・呉の冬の屋台通りに流れる人々の物語
- 広島・呉の冬の夜に灯る屋台通りとは?
- 初めて屋台に来た高校生3人組と、誰かが払ってくれた一杯880円のラーメン
- 30年以上通う常連客と店主の“汚い言葉で冗談を言い合う”関係
- 造船会社の同僚たちがシメに通う屋台通りと、働く人のリアル
- 大学職員仲間の忘年会と、大阪へ転職する男性の本音
- 15年前に離婚した元夫婦が、フェリーで再会して語る息子の今
- クリスマスケーキを屋台に届ける独身男性と、仕事に追われる日々
- 自衛隊の船のエンジンも手がける造船マンと、息子と屋台で飲みたいという夢
- 西日本豪雨を乗り越えた同級生2人の“年に1回の再会”と再出発
- 3つ子の娘と妻を亡くした銀行営業マンが、屋台で見つけた居場所
- 広島市でお好み焼きを修行する52歳男性と、屋台デビューの若者たちに伝える「屋台のルール」
- 呉の屋台文化はいつから続いている?大正時代から現在の9軒までの歴史
- 冬の屋台通りに集まる人たちが教えてくれる、呉という街と人の強さ
- 気になる生活ナビをもっと見る
広島・呉の冬の屋台通りに流れる人々の物語
広島県呉市の冬の夜、9軒の屋台が並ぶ通りにあたたかな灯りがともります。
肩を寄せ合って座ると、いつもは胸の奥にしまっている言葉が、湯気と一緒にふっとこぼれます。
忘年会帰りの仲間、成人した息子を連れて訪れる夫婦、緊張気味の若者たち。
小さな屋台のカウンターに、人の数だけ物語が積み重なります。
このページでは『ドキュメント72時間 広島・呉 冬の屋台通りにて(2026年2月27日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
広島・呉の冬の夜に灯る屋台通りとは?
この回のドキュメント72時間の舞台は、広島県呉市、呉駅の近くにある屋台通りです。
夜になると、通りにはぽつぽつと赤ちょうちんが灯り、ラーメンやおでんの湯気が冷たい冬の空気に混ざっていきます。通りには9軒ほどの屋台が並び、それぞれが違う料理と雰囲気を持っています。
この通りは、観光案内では「蔵本通りの屋台」「赤ちょうちん通り」として紹介されていて、呉駅から歩いて10〜15分ほど。地元の人にとっては、仕事帰りや飲み会のあとにふらっと立ち寄る憩いの場であり、観光客には“呉らしさ”を感じる入り口にもなっています。
呉は、もともと海軍や造船で発展してきた港町です。明治時代には海軍の拠点「呉鎮守府」が置かれ、戦艦「大和」が建造された呉海軍工廠の街として知られます。今も港の周りには造船関連の会社が多く、海上自衛隊の艦艇も停泊しています。
そうした“海と工場の街”の片隅に、肩を寄せ合って飲める小さな屋台が連なっている。
ここに集まるのは、観光客だけではありません。
仕事に追われる人、家族のことを思う人、人生の節目を迎えた人。
冬の夜、のれんをくぐった人たちの胸の内を、番組は静かに追いかけていきます。
初めて屋台に来た高校生3人組と、誰かが払ってくれた一杯880円のラーメン
取材が始まった12月19日、まずカメラがとらえたのは高校1年生の3人組でした。
部活帰りのソフトボール部の生徒たち。屋台に来るのは初めてです。
彼女たちが注文したのは、一杯880円のラーメン。
冬の夜、湯気の立つラーメンは、それだけでちょっとしたごちそうです。
ところが会計の時、思わぬことが起きます。
ラーメン代は、同じ店にいた別の客が払ってくれていました。
「こういうのがあるのが、屋台なんよ」
そう言葉にしなくても、雰囲気で伝わる“おごり文化”。
屋台は、決して安いだけの場所ではありません。
見知らぬ人同士が、少しだけ相手を気にかけて、お金や時間を分け合う。
高校生たちにとっては、「大人の世界」と「人のやさしさ」を一度に味わう、忘れられない一杯になったはずです。
30年以上通う常連客と店主の“汚い言葉で冗談を言い合う”関係
同じ通りには、30年以上通い続けているという男性もいます。
若いころから通っていて、今の店主とは“汚い言葉で冗談を言い合える”ほどの仲。
一見するとケンカ腰にも聞こえる言葉が飛び交いながら、どこか安心して笑い合っている。
それは、家族でも同僚でもない、屋台ならではの距離感です。
屋台は、店も客も少人数だからこそ、顔と顔が近くなります。
「今日はどうだった?」
「またいやなこと言われたんじゃろ」
たとえ詳しい話をしなくても、カウンター越しの空気で、「ああ、今日は疲れているな」「今日は機嫌がいいな」と、だいたい伝わってしまいます。
呉のような“仕事の街”では、こうした場所が心の受け皿になっていることも多いです。
仕事場では弱音を吐けない人が、屋台では少しだけ本音をこぼす。
そのことを、店主も常連も、自然と理解しているように見えました。
造船会社の同僚たちがシメに通う屋台通りと、働く人のリアル
別の夜、屋台にやってきたのは、造船会社の同僚たちの一団でした。
宴会のあと、シメに屋台に寄るのが定番だといいます。
呉は今も造船や海上自衛隊の街として知られ、港のそばには造船所や関連企業が集まっています。大きな船の建造や修理に携わる仕事は、体力も気力も必要です。
一日の仕事を終えたあと、屋台で一杯。
熱いラーメンやおでんを前に、会社では言えない本音が、ぽつりぽつりとこぼれます。
工場や造船所で働く人たちにとって、屋台は「仕事モード」から「素の自分」に戻るためのスイッチのような場所でもあります。
大きな船を動かす人たちの、ささやかな一杯。
その一杯の向こうに、呉という街を支える“縁の下の力持ち”の姿が見えてきます。
大学職員仲間の忘年会と、大阪へ転職する男性の本音
別のテーブルでは、大学の事務職員たちが忘年会の帰りに集まっていました。
今年一年の疲れをねぎらいながら、ビールやラーメンを前に話題にのぼるのは、仕事の心配ごと。
今、広島県は人口の転出超過が続いていて、若い人が県外に出ていく傾向が強いとされています。
大学にとっては、入学者の減少が現実的な悩みです。
その場には、大阪への転職が決まっている男性と、その男性を若いころからかわいがってきた女性もいました。
「行ってしまうのはさびしいけど、仕方ないよね」
そんな空気を含みながら、笑い合う2人。
地方から都市部へと人が流れていくなかで、残る人と出ていく人、それぞれの選択があります。
屋台は、そうした人生の分かれ道に立った人たちが、最後に一度集まる“中間地点”のようにも見えました。
15年前に離婚した元夫婦が、フェリーで再会して語る息子の今
翌日、12月20日。
屋台には、少し特別な関係の2人が座っていました。
15年前に離婚した、元夫婦です。
フェリーで偶然再会し、「せっかくだから」と自然な流れで屋台にやってきたと話します。
話題の中心は、今は東京都で働いている息子のこと。
夫婦ではなくなっても、親としては同じ子どもを気にかけている。
息子の仕事、暮らしぶり、健康のこと。
屋台のカウンターで湯気を見つめながら、2人はかつての生活や、今の距離感を静かに確かめ合っているようでした。
呉は、フェリーで広島や松山などと結ばれた港町です。
船に揺られているうちに、ふと昔のことを思い出す。
そして、その流れで屋台の灯りに吸い寄せられていく。
港町らしい“再会の物語”が、そこにはありました。
クリスマスケーキを屋台に届ける独身男性と、仕事に追われる日々
同じ夜、屋台にクリスマスケーキを持って現れた男性もいました。
「クリスマス当日は仕事で来られないから」と、あらかじめケーキを届けに来たのです。
この男性は独身で、自動車関連の下請け会社に勤めています。
アメリカの関税の影響もあって、仕事がとにかく忙しいと話していました。
世界経済の動きや関税政策は、ニュースでは遠い話のように感じます。
でも実際には、こうして地方の工場や下請け企業の現場に、ダイレクトに影響しています。
忙しい日々のなかでも、屋台にはケーキを持っていきたい。
そこには、「家族ではないけれど、大事な人たち」という感覚がにじんでいます。
屋台のカウンターは、血縁ではない“もう一つの家族”をつくる場所にもなっていました。
自衛隊の船のエンジンも手がける造船マンと、息子と屋台で飲みたいという夢
同じく51歳の男性は、造船業で働いています。
担当しているのは、自衛隊の船や貨物船のエンジン修理。
エンジンは船の“心臓”です。
止まってしまえば船は動けず、多くの命や荷物に影響が出ます。
そのメンテナンスを担う仕事は、大きな責任と緊張感を伴います。
仕事がどれだけ忙しくても、夫婦で屋台に来ることだけは欠かさないと話していました。
そして、彼にはひとつの夢があります。
もうすぐ二十歳になる息子を、この屋台に連れてきて、一緒にお酒を酌み交わすこと。
親にとって、子どもと肩を並べて飲む日は、一つの節目です。
それを、自分の大事な屋台で迎えたい。
その夢の話をする時、彼の表情は、どこか少年のようにも見えました。
仕事で背負う重さと、父としてのささやかな願い。
その両方を、屋台の灯りがやわらかく照らしていました。
西日本豪雨を乗り越えた同級生2人の“年に1回の再会”と再出発
屋台の外に設けられた簡易席では、男性2人が腰かけていました。
同級生で、仕事も同じ。
家が離れていて、一緒に飲めるのは年に1回。
その貴重な時間を、屋台で過ごしていました。
2人は、平成30年7月の西日本豪雨で被害を受け、大変な思いをしながら仕事や生活を立て直してきたと話します。
2018年の西日本豪雨では、広島県を含む西日本各地で土砂災害や洪水が発生し、多くの犠牲者と家屋被害が出ました。呉市周辺でも土石流や浸水が相次ぎ、住宅や道路が大きなダメージを受けています。
あの日から、仕事も暮らしも「元どおり」には戻らなかったかもしれません。
それでも、年に1度だけは同級生と屋台で飲む。
それは、“過去をわかち合える人”と、現在を確かめ合う時間です。
冷たい風が吹く冬の呉で、2人の笑い声が、屋台のビニールのすき間からこぼれていました。
3つ子の娘と妻を亡くした銀行営業マンが、屋台で見つけた居場所
12月21日。
開店直後の夕方6時、早い時間にやってきたのは、銀行で営業職をしている男性でした。
定年を迎えるところを延長してもらい、今も現役で働いています。
この屋台には、10年以上通っているといいます。
彼には3つ子の娘がいました。
娘たちが高校受験を迎えるころ、妻は乳がんで亡くなりました。
一人で3人の娘を育てながら、がむしゃらに働く日々。
大学進学や就職まで見届け、娘たちは今、関東で暮らしています。
10年前、完全に一人暮らしになったとき、ふと立ち寄ったのがこの屋台でした。
家に帰っても誰もいない。
でも、屋台に来れば、店主や常連が「おつかれさま」と声をかけてくれる。
ドキュメント72時間は多くを語りませんが、男性の表情や言葉の間から、長い年月の重みと、それでも前を向いてきた強さがにじんでいました。
屋台は、ただ飲んで食べる場所ではなく、「自分の人生を、誰かに少しだけ聞いてもらえる場所」として機能していることが、よく伝わるエピソードでした。
広島市でお好み焼きを修行する52歳男性と、屋台デビューの若者たちに伝える「屋台のルール」
最終日の12月22日。
屋台には、広島市のお好み焼き店で修行中の52歳男性が座っていました。
同じテーブルには、屋台に来るのが初めてだという若者のグループ。
男性と店主は、若者たちにこう伝えます。
「屋台には屋台のルールがある」
「食うか飲むか、はっきりしてくれ」
屋台は席数も少なく、一人ひとりの回転が命綱です。
長く席を占領するだけで注文をあまりしないと、他のお客さんが入れなくなってしまいます。
こうした“暗黙のルール”は、初めて来た人にはわかりにくいものです。
だからこそ、先に知っている大人が、やわらかく教える役目を担います。
広島のお好み焼き文化も、呉の屋台文化も、共通しているのは「店と客が一緒に場を守る」という感覚です。
男性は、自分が修行している店の話も交えながら、そんな空気を若者たちに伝えているようでした。
呉の屋台文化はいつから続いている?大正時代から現在の9軒までの歴史
番組のなかでは、呉の屋台文化が大正時代から続いていることも語られます。
造船所で働く労働者たちが、仕事終わりに腹ごしらえをする場所として、屋台は広がっていきました。
昭和の中ごろには、30軒ほどの屋台があったともいわれます。
高度成長期のにぎわいのなか、仕事帰りの人たちが押し寄せ、夜遅くまで湯気が立ちのぼっていました。
その後、時代とともに屋台は減り、現在は9軒ほどが残るのみ。
それでも、通り全体としては観光資源のひとつにもなっていて、「呉に来たら一度は行ってみたい場所」として紹介されています。
観光サイトなどでは、屋台の実名として「蔵本通りの屋台」や、長く続く個別店の名前も紹介されていますが、番組自体は店名よりも“そこで過ごす人間模様”に焦点を当てていました。
ドキュメント72時間らしく、あくまで主役は名もなき通りと、そこに集う人たち。
歴史ある屋台文化は、その人たちの背後で、静かに脈打っているだけです。
冬の屋台通りに集まる人たちが教えてくれる、呉という街と人の強さ
3日間で取材されたのは、高校生、常連客、造船マン、大学職員、元夫婦、独身の会社員、同級生、銀行マン、お好み焼き修行中の男性、屋台デビューの若者たち。
立場も年齢もバラバラですが、共通しているのは「どこかでがんばっている人たち」だということです。
人口減少に揺れる大学、世界経済に翻弄される工場、西日本豪雨の被災地としての呉。
街の外で起きている出来事は、そのまま人びとの生活に乗しかかります。
それでも人は、仕事をし、家族を思い、時には笑い、時には弱音を吐きながら生きていきます。
呉の屋台通りは、そうした人たちが一時的に集まり、また散っていく“交差点”のような場所です。
ラーメンやおでんの湯気の向こうに、目には見えない“街の心”が立ちのぼっている。
この回のドキュメント72時間は、華やかな観光地でも、派手な事件でもなく、冬の小さな屋台通りから、日本の地方都市の今と、人の強さを静かに映し出していました。
読者として私たちができるのは、そうした場所が今もどこかで灯っていることを、少しだけ想像してみることかもしれません。
NHK【ドキュメント72時間】和田峠の水くみ場はどこ?長野の湧き水スポットと長和町の無料名水の理由|2026年1月30日
気になる生活ナビをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。


コメント