瀬戸内寂聴“いのち”密着500日放送|2025年4月4日NHK総合で放送された感動の記録
2025年4月4日放送の『時をかけるテレビ』(NHK総合・22:30~23:30)では、2015年に放送されたNHKスペシャル「いのち 瀬戸内寂聴 密着500日」が紹介されました。作家であり僧侶でもある瀬戸内寂聴さんの晩年の姿を記録したこのドキュメンタリーは、病と闘いながらも、命と真剣に向き合う姿を丁寧に描いています。ナビゲーターは池上彰さん。ゲストとして、2022年の映画『あちらにいる鬼』で寂聴さんをモデルにした作家を演じた俳優の寺島しのぶさんが出演しました。
入院のきっかけは激しい腰の痛みから始まった
2014年5月、瀬戸内寂聴さんが中村ディレクターに送った1通のメールには、「腰の激痛で入院した」とだけ書かれていました。この一文から、すでにただごとではない様子がうかがえました。診断結果は腰椎圧迫骨折。日常生活に大きな支障が出るほどで、ベッドから起き上がることも、歩くことも、すべてが困難になっていました。
・入院中は痛みに耐えきれず、何度も苦痛を訴えるメールを送っていた
・体を支えるためには硬いコルセットを常時装着しなければならず、自由な動きが奪われていた
・食欲もなくなり、精神的にも不安定な状態に陥っていた
さらに、検査によって胆嚢に腫瘍が見つかり、がんの疑いがあることが判明します。全身麻酔をともなう手術は、当時すでに90歳を超えていた瀬戸内さんにとって大きなリスクでした。しかし、彼女は迷うことなく手術を自らの意思で決断します。カメラの前では、「手術のあと、何か書けるかもしれないからワクワクする」と笑顔で語っており、未来への希望と創作への情熱がにじんでいました。
手術は無事成功し、その後は京都・嵯峨野にある自宅に戻って療養生活に入りました。3ヶ月間は寝たきりの状態が続きましたが、徐々に体を動かすことができるようになります。
・歩行器を使って、自分の力で立ち上がる練習を繰り返していた
・スタッフに支えられながら、日常動作のひとつひとつをリハビリとして積み重ねていた
・お酒をほんの少し口にしたが、椅子に長く座っているのも辛く、すぐ横になる必要があった
それでも彼女は、週2回のリハビリに熱心に取り組み、「また書斎で机に向かいたい」という思いを胸に動き続けていました。歩く力が戻っていない時期にも、寝室にノートや筆記具を持ち込み、少しずつメモを取るような姿がありました。その一つひとつの動作から、「もう一度、小説を書きたい」という強い意志が伝わってきました。
・寝たままでも書けるよう、ノートを膝にのせてペンを動かしていた
・少しでも調子が良い日は、読書をして言葉の感覚を保ち続けていた
・周囲のスタッフも、その前向きな姿勢に励まされていた
入院からの回復は決して簡単ではなく、思うようにいかない日も続きました。それでも瀬戸内さんは、年齢や病に負けることなく、「命ある限り書き続けたい」という思いを貫こうとしていたのです。この時期の彼女の姿には、病を越えてなお前へ進もうとする強さが刻まれていました。
書斎への一歩と、創作への渇望
2015年1月、瀬戸内寂聴さんは93歳の正月を迎えました。この日、ディレクターに「小説のような夢を見た」と語り、その内容を嬉しそうに話していた姿が映し出されました。言葉の端々から、創作意欲が少しずつ蘇ってきている様子が感じられました。
その後、彼女は長い療養生活を経て、入院以来初めて書斎を目指して移動を試みます。リビングから書斎まではわずか30メートル。しかし、その短い距離も、体にとっては大きな挑戦でした。
・歩行器を頼りに、スタッフと一緒に少しずつ前に進んだ
・途中で足が重くなり、何度も立ち止まりながら呼吸を整えていた
・あと少しというところで、体力が尽き、結局たどり着けなかった
書斎のドアを開けることはできませんでしたが、この挑戦自体に大きな意味がありました。動けなかった時間を取り戻すように、少しずつ“書くこと”へ気持ちが向かっていく過程が丁寧に記録されていました。
その後の映像では、寂聴さんが「何もしないのが一番つらい」と語る場面もありました。ベッドの上で時間が過ぎるだけの日々に耐えるよりも、ペンを握り、物語を紡ぐことで心が生き返るような感覚があったのかもしれません。
・寝室には原稿用紙と筆記具が常に置かれていた
・体力が戻らない間も、メモ帳に短い文章を何度も書き留めていた
・書けない日でも、過去の作品を読み返しては筆の感覚を保とうとしていた
瀬戸内さんは、25歳のときに夫と娘を残して年下の男性と出奔。その後、33歳で作家としてデビューしました。以降は愛と自由を貫く女性たちの物語を、400冊以上にわたって書き続けてきました。51歳で出家したのも、すべては文学のため。自身でも「出家は文学のために色欲を断ち切るためだった」と語っていました。
・出家した後も、僧侶としての活動と作家としての執筆を両立させてきた
・法話の内容も文学的な表現を用い、多くの聴衆の心を動かしてきた
・仏教の教えを人生に取り込みながらも、文学こそが自分の人生の土台だと断言していた
日常生活を支えていたのは、70歳近く年下の女性スタッフたち。彼女たちは、寂聴さんの身の回りのことを献身的にサポートしていました。食事の用意、リハビリの付き添い、移動の介助など、細やかなケアが行き届いていました。
・彼女たちは遠慮なく物を言い、寂聴さんもその率直さを喜んでいた
・笑い声の絶えないやり取りから、信頼と愛情に満ちた関係性が感じられた
・生活のペースを完全に任せていたことから、家族以上の存在だったことが分かる
この時期の瀬戸内寂聴さんは、まだ思うように書ける状態ではありませんでしたが、心の奥には確かに創作への渇望が燃えていました。動けなくても、思うように書けなくても、再び言葉と向き合いたいという気持ちが、ゆっくりと確実に形になり始めていたのです。
花祭りでの復帰と、新たな決意
2015年4月8日、釈迦の誕生日「花祭り」の朝、京都・嵯峨野の寂庵の前には大勢の人々が集まっていました。この日は瀬戸内寂聴さんが1年ぶりに公の場で法話を行う特別な日でした。境内には150人を超える聴衆が集まり、彼女の復帰を心待ちにしていた人々の期待に包まれた空気が漂っていました。
・朝早くから境内の前には列ができ、地元の人だけでなく遠方からも人が訪れていた
・法話が行われる前、スタッフたちは緊張した面持ちで準備をしていた
・正装した瀬戸内さんの姿が現れた瞬間、涙を浮かべるスタッフの姿も映されていた
1年ぶりに着る袈裟は、やや肩を落とした体にやさしく馴染んでいました。その姿からは、厳しい闘病を乗り越えて立った人の強さと静けさが感じられました。法話は7分という短いものでしたが、そのひとこと一言に重みがあり、命と向き合った人間だけが持つ言葉の深さがありました。
・話し始める前にゆっくりと聴衆を見渡し、静かに語り始めた
・「生きているだけでありがたい」と語る姿に、静かな拍手が広がった
・マイクを握る手は細く、声は小さくとも、聴く人の心にしっかり届いていた
法話を終えたあとは、復帰の記者会見が行われました。体調は万全とはいえないものの、瀬戸内さんはしっかりと前を見据え、「もう一度小説を書きたい」と語りました。創作への情熱は消えることなく、再び内側から沸き上がってきている様子が印象的でした。
・記者の質問には疲れた様子も見せずに応じ、明るい表情も見せていた
・「書くことが生きる力になる」と語った言葉が強く胸に残った
・医師やスタッフにとっても、この言葉は安心と希望のサインとなった
この日を境に、瀬戸内さんの心と体は少しずつ創作のリズムを取り戻していきます。法話という“言葉”の力によって、多くの人に勇気を与えるだけでなく、自分自身にも再び進む道を与えていたのです。命を語ることで、命の火が再び灯るような瞬間が、そこにありました。
「死に支度」から「いのち」へ 死生観の変化
2015年5月10日、瀬戸内寂聴さんは退院後初めての本格的な執筆を始めました。まだ足腰が十分には戻っておらず、書斎までの移動は難しかったため、寝室に原稿用紙や筆記具を持ち込み、ベッドのそばでペンを走らせる生活が始まりました。最初に手をつけたのは長編エッセイで、テーマは自身の闘病体験。しかしこれは単なる病の記録ではなく、「死」とどう向き合ったかを記すものでした。
・原稿を書きながら「最も記憶に残っているのは痛みだった」と振り返っていた
・執筆中、時折目を閉じて当時の感覚を思い出す姿が映されていた
・文章の端々には、生への執着よりも、死と向き合った冷静な視点がにじんでいた
かつて瀬戸内さんは「死に支度」という作品で、自身の死について積極的に語り、「生き飽きた」とまで綴っていました。けれど、今回の闘病生活での体験が、その考えを変えていきます。「極楽なんて退屈」と冗談めかして話していた人が、今では「地獄は痛そうだから行きたくない」と真剣な表情で語るようになっていたのです。
・死に対して距離を置いていた時期とは違い、今回は現実としての“死”に向き合っていた
・病による痛みを通じて、「生きる苦しみ」と「死の重さ」の両方を肌で感じていた
・闘病中の寂しさや不安が、心の深い部分に影響を与えていたことがうかがえる
2015年8月には体力が回復し、ついに自力で書斎まで歩いて行けるようになります。書斎の机に向かい、ペンを持つ姿には、これまでの経験をすべて言葉に変えようとする強い意志がありました。くも膜下出血や動脈瘤といった過去の病歴も、今一度記憶をたどって書き起こそうとしました。
・友人に連絡を取り、昔の病気について確認する場面もあった
・記憶が抜けている部分を丁寧に調べ、正確に記録しようとしていた
・「面白くないかもしれない」と言いながらも、手を止めることはなかった
書き上がった原稿を編集者が読み、「がんのことが書かれていない」と伝えた際、寂聴さんはその指摘を静かに受け入れ、自分が書いたのは“病気の記録”ではなく、“病気とどう向き合うか”だったと改めて気づきます。エッセイの方向性を再考する大きな転機となりました。
8月14日、お盆の日には寂庵のお堂に入り、霊を迎える儀式を行いました。「最近見る夢は死んだ人ばかり」「死んだらまた会える」と語るその姿には、仏教の死生観が自然と表れていました。死が終わりではないという感覚は、寂聴さんにとっての心の支えになっていたようです。
・お堂の中では一人静かに手を合わせ、目を閉じて祈る姿が映された
・死者との再会を信じる気持ちは、法話で語る内容にもつながっていた
・現世でのつながりが死後も続くという考えが、心を穏やかにしていた
さらに8月16日には、京都の夏の風物詩「五山の送り火」が行われました。寂聴さんは屋外に出て送り火を見つめながら、「死ぬのは怖くない。でも死んでも何もないなら、この世の意味がない」と語りました。この言葉には、生きてきた時間と、これからの“いのち”への問いが込められていました。
・送り火の炎をじっと見つめ、静かに手を合わせていた
・その夜、自宅に戻って取材ディレクターと晩酌を交わした
・病を越えたからこそ語れる、静かで深い死生観がにじみ出ていた
この一連の出来事は、瀬戸内寂聴さんの死生観がどのように変化していったかを物語っていました。病によって気づいた“生きることの尊さ”と、“死をどう迎えるか”への新たな理解。そのすべてが、のちに書かれる長編小説『いのち』の原点となっていきました。
小説『いのち』誕生への道のり
2015年の夏が過ぎようとする頃、瀬戸内寂聴さんの中に「いのち」という言葉が突然浮かび上がりました。これまで闘病記として進めていた原稿を、より広く深い意味を持つ「命そのもの」をテーマにした長編小説へと書き直す決意が固まった瞬間でした。病の記録にとどまらず、生と死を含む存在の根源を言葉で表現しようとする試みが始まります。
・タイトルは一切の迷いなく「いのち」と決められた
・構成も内容もすべて一から見直し、文学作品として仕上げていく姿勢を貫いた
・病気をきっかけにして得た体験や気づきを、読者へのメッセージとして昇華させようとしていた
10月11日、瀬戸内さんは1年半ぶりに岩手県・天台寺を訪れます。この場所は、自らがかつて20年近く住職を務めた特別な場所でもあり、自身の墓もここに建てられています。この日の法話には約3000人が詰めかけ、瀬戸内さんは立ったまま1時間話を続けました。言葉の一つひとつに深みがあり、会場全体が静かに耳を傾ける様子が印象的でした。
・久しぶりの壇上でも足取りはしっかりとしていた
・マイクを握る手に力がこもり、全身で語る姿がカメラに映し出されていた
・法話後、自らの墓の前に立ち、手を合わせる様子も記録されていた
その後、京都に戻った瀬戸内さんは、ようやく本格的に書斎での執筆を再開します。退院からちょうど1年が経過していましたが、「書くことが楽しくてたまらない」といった様子で机に向かっていました。疲れた様子を心配する声もありましたが、「ちっとも疲れない。むしろ高揚する」と言い、言葉と向き合う時間を心から楽しんでいたのです。
・朝のうちに筆を取り、集中力が続く限り書き続けていた
・リハビリをはさみながら、書斎と寝室を行き来する日々が続いた
・原稿を読み返しながら「まだ満足していない」と話していた
『いのち』の中には、「与えられたいのちは、生ききるしかない」という強い覚悟が込められていました。これは、病を経験した者にしか書けない“生きる決意”であり、読者にとっても深い問いかけとなるような一節でした。
その日の午後、瀬戸内さんは自らアイスカフェラテを作り、取材ディレクターにもふるまっていました。病と老いを抱えながらも、人に何かを差し出そうとするやさしさと余裕がそこにありました。
・慣れない手つきでミルクを注ぎ、笑みを浮かべながらコップを差し出していた
・ディレクターは驚きつつも、それを受け取って微笑んでいた
・日常の小さな営みの中にも、人とつながる喜びが感じられた
小説『いのち』が形を持ち始めたこの時期、瀬戸内さんの言葉は単なる文学表現を超えて、
寂聴の言葉が遺した力
スタジオでは、池上彰さんが「命を削るのではなく、命を蘇らせるように作品を生み出していた」と語り、寺島しのぶさんは「見返りを求めず、すべてを愛で包んでくれるような人だった」と回想。瀬戸内寂聴さんが残した「和顔施(わがんせ)」「忘己利他(もうこりた)」という言葉が、今も心に生き続けていると話しました。
また、東日本大震災で家族を亡くした佐藤せつ子さんが、かつて瀬戸内さんの講演で直接励まされた経験を語り、「すーっとした。今でも生きる力になっている」とその言葉の力を証言しました。
2021年に99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さん。その生き方、語った言葉、そして書き残した物語は、今も多くの人の心を支えています。今回の番組を通じて、私たちは「いのち」とは何か、「生きる」とはどういうことかを、もう一度深く考えさせられました。
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