記事内には、広告が含まれています。

NHK【時をかけるテレビ】“医師の罪”を背負いて 九大生体解剖事件 海水の代用血液実験と東野利夫の証言・九州大学医学歴史館の展示を読み解く|2025年12月5日★

時をかけるテレビ
メール購読のご案内

いつも「気になるNHK」をご覧いただきありがとうございます。
このブログでは、NHKの番組紹介や見どころ、新着情報などをいち早くお届けしています。

スポンサーリンク

『“医師の罪”を背負いて』九大生体解剖事件

終戦のわずか数か月前、医学が国家の思惑にのみ込まれると何が起きるのか。その現実を、過去に起きた出来事を通して思い出させてくれる特集です。今回紹介される『九大生体解剖事件』は、未来の医療を考えるうえで避けて通れないテーマを投げかけます。この事件を知ることは、医療の倫理、命の扱い方、そして戦争が人の判断をどう変えてしまうかを考える大切な機会になります。

事件の背景と何が起きたのか

1945年5月から6月にかけて、九州帝国大学医学部で米軍のB29搭乗員が捕虜として収容され、生体実験にかけられました。対象となった捕虜は8名。いずれも、治療とは程遠い「生きた人体を使った実験」によって命を落としました。

実験の中には、海水を薄めたものを代用血液として注入する試みがありました。戦争末期で輸血用の血液が不足することが予想され、「海水が血液のかわりになるか」を確認する目的で行われたものです。さらに片肺の切除、胃の全摘出、脳や肝臓の摘出、心停止後の心筋観察、眼球の摘出など、複数の手術が行われています。

これらの行為は1945年5月17日、22日、25日、そして6月2日の計4回に分けて実施されました。実験が行われるたびに捕虜は死亡し、医療の名を借りた残虐な行為が続いていたことがわかっています。

なぜ止まらなかったのか

現場を率いたのは第一外科の教授である石山福二郎ら複数の医師たち。背後には軍の意向が強く影響していました。当時の西部方面軍からの圧力があったとされ、大学と軍の関係が医療倫理よりも優先されてしまった状況があったと考えられます。

戦後、連合国側によって事件は徹底的に調査され、1948年には横浜軍事法廷で約30名の関係者が裁かれました。判決は死刑5名、終身刑4名、有期刑14名と重いものでしたが、その後の国際情勢の変化により多くが減刑され、釈放されていきました。

生き残った医学生が語り継いだもの

この事件を「見た側」として生涯語り続けたのが、当時医学生だった東野利夫医師です。彼は手術室の雑務に従事していた立場から、戦後も強い罪悪感を抱き続けました。

東野医師は、生体実験が行われた背景を「戦争という異常な環境が医療の判断を奪った」と語り継ぎ、自らの経験を記録に残し続けました。命を守る医療者が、国家の命令で命を奪う側に回ってしまう。その現実を後世に伝えようと、亡くなるまで語り続けた姿勢は、今の時代にこそ大きな意味を持っています。

2025年には九州大学医学歴史館でこの事件を扱う展示が公開され、医療史と倫理教育の資料として活用されています。

なぜ今、この事件が語られるのか

番組では池上彰さんが、戦時下で医療倫理が崩壊していく過程を整理しながら、この事件から見える「人間が権力に従ってしまう危うさ」を読み解きます。スタジオには鎌田實さんが登場し、医師としての視点から事件の本質と現代への問いを語ります。

この事件は、戦時という特殊な状況だけの問題ではありません。どの時代でも、判断を誤らせる力は存在します。だからこそ、過去に起きた現実を知り続けることが大事になります。

まとめ

『九大生体解剖事件』は、医療が暴走した歴史の象徴です。国家の命令、軍の圧力、組織の空気が、医療者を命を奪う行為へと向かわせてしまいました。
そして、その現場にいた東野利夫医師が語り続けた記録は、「人間は過去の過ちを忘れないと、同じことを繰り返す」という強い警告として残っています。

今回の『時をかけるテレビ』では、この事件を通して、現代の私たちが何を考え、どう受け止めるべきかを問いかけています。

【NHKスペシャル】新・ドキュメント太平洋戦争1945 終戦 市民が残した日記と手記が語る戦争の真実(2025年8月15日放送)


気になるNHKをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました