『“医師の罪”を背負いて 九大生体解剖事件』
1945年、戦争末期の福岡にあった 九州帝国大学医学部 は、軍の強い支配下におかれ、学内には高射砲が置かれるほど異常な緊張状態にありました。
その最中、米軍のB29爆撃機が撃ち落とされ、捕虜となった搭乗員が大学へ移送されます。本来であれば国際法で保護されるべき捕虜でしたが、軍の一部将校は「医学研究への利用」を命じ、8名の米兵は手術台に縛りつけられ、麻酔を与えられたのち、心臓・肺・肝臓などの臓器が次々と切除されていきました。
手術室では、外科医、助手、看護婦が複数立ち会い、誰も制止する者はいませんでした。
この“異常な空気”こそが戦時下の現実で、番組では「軍の命令は絶対」という思考停止が、医療者の倫理を奪っていく過程を丁寧にではなく、ありのままの重さとして描いていました。
東野利夫さんはこのとき大学1年生で、のちに生涯にわたり事件と向き合うことになります。
医学生・東野利夫さんが見た現場
1945年5月17日、東野利夫 さんは中庭で若い米兵が連行される姿を目撃しました。
彼はまだ10代に見える青年で、やせ細り、歩くたびに身体が揺れ、その表情には恐怖と諦めが混ざっていました。
その後を追って手術室の前に立った東野さんは、扉の向こうから聞こえる金属音、押し殺した呻き声を耳にし、その瞬間に異常事態だと悟ります。
4日間で8人の米兵が死亡。
東野さんは「自分はただ見ていた」という事実を、一生消すことができませんでした。
番組の映像では、事件当時の構内図、実際の手術室の位置、東野さんの目線に近い再現映像が使われ、彼の記憶の重さがより具体的に伝わってきました。
GHQ調査と“医師の罪”が裁かれた裁判
終戦後、日本軍は事件の隠蔽に動きます。
しかし米兵の遺体が米国へ送還され、遺族や医療関係者の検視によって“人体実験の痕跡”が判明。
GHQは九州帝国大学に踏み込み、関係者の取り調べを始めました。
1948年、横浜で裁判が開かれ、医師14人全員に有罪判決。
うち3人は絞首刑、2人は終身刑、9人は3〜25年の重労働刑でした。
軍命令が背景にあったとしても、
「医師である以上、命を奪う行為は許されない」
という論理が裁判で徹底して示されました。
番組では当時の法廷写真、GHQ調査報告書、裁判記録の映像が映され、事件の“真正さ”が視覚的に伝わります。
戦後も続いた苦悩とトラウマ
事件を目撃した 東野利夫 さんは、「医師になる資格が自分にあるのか」という葛藤に長く苦しみました。
それでも産婦人科医となり、のちに1万3000人以上の新しい命に関わりました。
新しい命を抱き上げるたびに、あの日の光景が脳裏に浮かび、喜びと痛みが同時に押し寄せたといいます。
番組では、東野さんが記録した手帳や、事件に関する独自収集資料、日記が紹介され、彼がどれほど真剣に「語り継ぐ」決意を続けてきたかがよく分かる構成になっていました。
看護婦・筒井シズ子が背負ったもの
事件の場にいた看護婦 筒井シズ子 は、女性として初めての戦犯となりました。
裁判では「命令に逆らえなかった」と語る一方、自らの行為を否定することもできず、複雑な心の内がにじみ出ていました。
出所後、各地の病院を渡り歩き、最後は東京郊外の病院で看護婦長に。
患者からの信頼は厚く、若いスタッフの教育にも尽くしましたが、事件のことを誰かに語ることはほとんどありませんでした。
晩年、がんで余命わずかになったとき、
「私だって人間」
と口にした言葉が、番組では静かに紹介され、その一言が彼女が抱えてきた何十年もの重荷を象徴していました。
医師・久保敏行が語った「絶対にやってはいけないこと」
外科医として事件に関わり、有罪判決を受けた 久保敏行 は、のちに福岡で外科医院を開業し、地域医療に長く貢献しました。
厳しい過去を持ちながらも、誰よりも患者に向き合い、
座右の銘は「善人にあらずんば良医にあらず」。
晩年肺がんとなり残り時間がわずかになったとき、娘に向かって初めて事件のことを語り、
「絶対にやってはいけないこと」
という言葉を強く残します。
番組では久保医師が生涯描き続けた絵画の1枚、赤いバラの絵が紹介され、そこに込められた“贖罪”の思いが語られていました。
生存者ワトキンスとの面会が与えた深い意味
撃墜されたB29搭乗員のうち、捕虜になる直前に終戦を迎えた マーヴィン・ワトキンス。
もし終戦が数日遅れていれば、彼も九大に送られていた可能性が高い人物です。
昭和55年、東野さんはアメリカへ渡り、ワトキンスと直接対面。
ワトキンスは
「戦争は一生消えない苦しい記憶だ」
と語り、東野さんは深くうなずきながら話を聞きました。
二人の会話の中でワトキンスは、亡くなった仲間への強い思いと、戦争そのものの愚かさを語り、東野さんは
「戦争は悲惨と愚劣以外に何もない」
と静かに答えます。
番組の映像では二人の再会時の写真が映され、その空気感がそのまま伝わるような編集でした。
今も問い続けられる事件と「東野利夫展」開催
2025年、九州大学医学歴史館 で初めて『東野利夫展』が開催されました。
東野さんが集め続けた膨大な資料、アメリカ軍の記録、裁判文書、当時の写真、日記が大学へ寄贈され、未来の医学生が「医療倫理とは何か」を学ぶための教材として展示されています。
医学部長は番組の中で、
「この事件を特殊な出来事として片付けてはいけない。
問い続けることで、初めて過ちに意味が生まれる」
と語り、事件を“医学教育の根幹に関わるテーマ”として位置づけていました。
展示室には、東野さんが毎年命日に書き続けた追悼文や、戦後交流を続けた手紙も並び、彼がいかに強い覚悟を持って「語り継ぐ人生」を歩んできたかが伝わります。
【NHKスペシャル】新・ドキュメント太平洋戦争1945 終戦 市民が残した日記と手記が語る戦争の真実(2025年8月15日放送)
気になるNHKをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。


コメント