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Eテレ【木村多江の、いまさらですが…】沖縄戦の孤児と島唄に込めた平和への祈り|2025年6月23日放送

歴史

沖縄戦〜語り継ぐべき記憶〜

2025年6月23日、NHK教育テレビで放送された「木村多江の、いまさらですが…」では、「沖縄戦の記憶をどのように語り継いでいくか」がテーマとなりました。この日は沖縄で「慰霊の日」として多くの人が祈りをささげる特別な日です。番組では女優・木村多江さんが案内役を務め、戦争体験者や関係者の声を通して、沖縄戦の実相と平和の大切さを見つめ直す内容が丁寧に描かれました。

地下に残された第32軍司令部壕と保存への取り組み

沖縄戦では多くの民間人が巻き込まれました。その象徴のひとつが、那覇市・首里城の地下に眠る「第32軍司令部壕」です。この壕は、1944年末から1945年3月にかけて掘られたもので、全長およそ1キロメートル。内部には司令部の作戦室、通信室、兵士や学徒の生活スペース、厨房などが整備され、最深部では最大1000人が駐留できたとされる重要な戦争遺構です。

壕の多くは戦後の爆破や崩落で埋没していますが、現在も第5坑口と一部の坑道が確認されており、保存と公開を求める声が高まっています。番組では、学徒隊として動員された瀬名波榮喜さんの証言を交えながら、この壕の歴史的意義と未来への活用について考える姿勢が伝えられました

・2024年11月に沖縄県の指定史跡に登録
2026年度には第1坑口が体験展示化される計画
2030年度には第5坑口と坑道の公開を目指し、安全設備の整備が進行中
2029年度にはVRやARを活用した展示施設も芸術大学の敷地内に設置予定

保存活動を行う市民団体は、この壕を「戦争の実相を伝える教育拠点」として活用する意義を訴えており、平和教育の場としての期待が広がっています。

沖縄戦で孤児となった子どもたちの証言

沖縄戦では、家族を失った子どもたちが数多くいました。番組では、3人の元孤児の方の証言を取り上げ、戦争が子どもたちの人生に与えた深い影響を伝えていました。

神谷洋子さん(当時7歳)は、砲撃で母と弟を亡くし、自らも重傷を負いました。戦場を一人でさまよったのち、コザ孤児院に送られ、過酷な生活を強いられた体験を語りました。
徳田ユキさん(当時9歳)は、家族8人と共に壕に隠れていましたが、生き残ったのはユキさん一人だけでした。その記憶は現在も鮮明で、彼女は語り部として全国で体験を語り続けています
前原生子さん(当時小学2年)は、両親と祖母を失い、孤児院で過ごしました。当時は栄養不足や病気が蔓延し、食べても下痢が続き、子どもたちは衰弱して命を落とすことも多かったと語っています。

戦後、沖縄本島には10〜14の孤児院がつくられ、最大で約1000人の子どもたちが収容されました。孤児院の多くは、民家やテントを利用した簡素な施設で、地域住民や元学徒らが支援にあたっていましたが、物資も医療も不足していました。孤児たちは戦争だけでなく、戦後の厳しい日々とも闘い続けたのです

「島唄」に込められた沖縄戦の記憶と平和への思い

THE BOOMの名曲「島唄」は、表面的には恋人との別れを歌ったバラードのように聞こえますが、実は沖縄戦の悲劇が深く込められた作品です。番組では、作詞・作曲を担当した宮沢和史さんが登場し、当時の思いや葛藤を語りました

・歌詞の「でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た」は、米軍の艦砲射撃による「鉄の暴風」を表現
・「ウージの森…千代にさよなら」は、サトウキビ畑の下にある「ガマ」で犠牲となった人々を象徴

宮沢さんは沖縄を訪れ、「ひめゆり平和祈念資料館」などで実際の証言に触れたことで、自らの無知に対する恥ずかしさと怒りを感じたと語ります。そこで感じた強い思いが、「島唄」という形になりました。

楽曲には沖縄民謡の音階と西洋音階を融合させたアレンジが取り入れられており、沖縄への敬意と本土の人々に伝えたいという強い意志が込められています。今でも宮沢さんはこの曲を「新しい曲」として歌い続け、若い世代へ歌詞の背景にある歴史を伝える努力を続けています

戦争の記憶を未来につなぐことの意味

番組の最後では、戦争体験を次世代にどう伝えるかが語られました。2025年で終戦から80年。戦争体験者の多くが高齢となり、2050年には体験者の割合が0.01%以下になるとされています

その中で、以下のような取り組みが求められています。

証言の記録や戦跡の保存によって記憶を形に残す
身近な場所にある戦跡や資料館を通じて、戦争を「自分ごと」として学べる環境を整える
語り部や表現活動など、さまざまな手法で記憶を共有し、多様な視点で理解を深める
学校や地域が協力し、「戦争を二度と起こさせない」という共通の責任を持つ

戦争の記憶は単なる過去の出来事ではなく、未来の平和を支えるための大切な学びです。この記憶を絶やさず次の世代へ受け継ぐことは、今を生きる私たち全員に課せられた大切な役割であることを、番組は静かに伝えていました。

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