魅力度No.1函館の町のヒミツを探る旅
7月26日放送の『ブラタモリ』は、北海道・函館が舞台です。市区町村魅力度ランキングで全国1位に輝いたこの街には、独特の景観と文化があります。赤レンガ倉庫や教会が並ぶ坂道、そして塩ラーメンや海鮮といったグルメまで、函館の「ハイカラな魅力」がどうやって生まれたのかをタモリさんがひもときます。
前回のブラタモリ 函館・五稜郭▼“幕末の要塞”なぜ星形に?新選組土方歳三の最期|2025年7月19日放送
港町から始まるハイカラ探しの旅
函館の歴史をたどる今回の旅は、まず港沿いに広がる「金森赤レンガ倉庫」からスタートします。この倉庫群は、明治時代に築かれ、1909年(明治42年)に耐火性の高い赤レンガで再建された建物群で、当時の貿易や物流の中心としてにぎわった重要な場所です。港に面した広々とした立地には、波止場や船着き場が整備されており、函館が国際貿易港として栄えた時代の名残が今もそのまま感じられます。
赤レンガに刻まれた記憶と現在のにぎわい
金森赤レンガ倉庫は、かつての倉庫機能だけでなく、建築美としても高く評価されており、外観はレンガの模様やアーチ型の窓枠、太い木製の扉など、当時の技術がそのまま残されています。この場所は現在、複数の棟に分かれ、それぞれが商業施設やレストラン、雑貨ショップなどに改装され、観光スポットとして四季を問わず多くの人が訪れるエリアとなっています。
夜には建物がライトアップされ、赤レンガの壁が柔らかな光に照らされて水面に映り込む様子が幻想的な光景をつくり出します。波の揺らぎに合わせて揺れる灯りは、静けさと温かさを併せ持ち、港町ならではの情緒を演出します。この夜景は写真映えするスポットとしても有名で、旅の記念にもぴったりです。
この港町からのスタートは、単なる観光ではなく、函館がどうしてハイカラな街並みを手に入れていったのか、その「始まりの場所」としての意味を持っています。ここから坂道や教会をたどっていくことで、開港以降に受け入れた外国文化や、それを支える都市計画の工夫が、少しずつ見えてきます。歩くことでわかる、函館の物語がここから動き出すのです。
坂道と教会、異国情緒を感じる街並み
函館山のふもとに広がる元町エリアには、歴史と異国文化が交差するような石畳の坂道と洋風建築の教会が調和した景観が残されています。とくに代表的なスポットが「八幡坂」で、この坂の頂上からは港を見下ろすことができ、まっすぐ延びる石畳とその先に広がる海の眺めが、まるで映画のワンシーンのようだと評されています。
坂沿いに並ぶ教会と文化の重なり
坂道の周辺には、3つの主要な教会が並んでいます。カトリック元町教会はゴシック様式の荘厳な外観を持ち、1910年に建てられた後、1923年に再建されました。内部にはローマ法王から贈られた祭壇もあり、宗教建築としての価値も高い建物です。
そのすぐ近くには、日本で初めて建てられたロシア正教会=函館ハリストス正教会(復活聖堂)があります。1860年に創建され、1916年に再建されたこの教会は、白い壁と緑のドーム型屋根が特徴的で、国の重要文化財にも指定されています。
そしてもう一つの存在が、1874年に英国人宣教師によって設立された函館聖ヨハネ教会です。この教会は十字型の屋根が特徴的で、上空や函館山からの展望にも映えるシンボル的存在となっています。
防火と都市整備が生んだ風景
これらの教会が坂沿いに集まっているのは偶然ではありません。函館が開港によって早くから西洋文化を取り入れてきた背景に加えて、明治時代のたび重なる大火によって都市整備が進められたことが大きく影響しています。
火災を防ぐために設けられた広い坂道は、防火帯としての機能を果たすと同時に、洋館や教会と調和する開放的な街並みを形づくりました。その結果、異なる宗派・様式の教会が石畳の坂道に並ぶ、世界的にも珍しい都市風景が生まれたのです。
教会と坂道の組み合わせは、ただ美しいだけではなく、災害と復興の歴史を背負った都市計画の成果でもあります。歩いて感じるこのエリアの空気には、そんな文化と都市の重なりが息づいています。
火災が生んだ広い道とレンガ建築
明治時代の函館は、都市の大部分を焼き尽くすような大規模な火災がたびたび発生した地域でした。特に1878年(明治11年)、翌1879年(明治12年)、そして1907年(明治40年)の大火では、住宅や商店が一面焼け野原になり、多くの市民生活が一変しました。
防火のための都市設計と坂道の整備
これらの大火をきっかけに、函館では火の延焼を防ぐ都市設計が本格的に行われました。二十間坂(幅約36メートル)などの広い坂道は、防火帯として整備された代表的な事例です。従来の狭く入り組んだ路地ではなく、火の通り道を遮断するために、通り幅を確保した碁盤目状の街路が次々と導入されていきました。
とくに基坂や大三坂などの石畳の坂道も、この都市計画の一環として整備され、防火機能と同時に歩きやすさや景観性も重視された結果、観光地としても映える美しい街並みが形成されました。
建築素材の転換と意匠の進化
都市全体の再建とともに、建物の構造も大きく見直されました。従来の木造建築は火災に弱いため、煉瓦造や石造、さらにコンクリート構造の建物が積極的に採用されるようになり、街の耐火性が大きく向上しました。
中でも注目されるのが、1907年の大火後に再建された「東本願寺函館別院」です。この建物は、日本で初めて鉄筋コンクリートを使って建てられた寺院とされており、技術的にも文化的にも画期的な存在です。
また、商業施設や倉庫も煉瓦造へと切り替わり、特に金森赤レンガ倉庫のように、機能性と美しさを兼ね備えた耐火建築が町の景観の一部として今に残っています。
函館らしさの原点にある「防火の知恵」
このように、繰り返された火災は函館の町に大きな被害を与えましたが、それを乗り越える過程で、広い道・整然とした坂道・耐火性の高い建物・異国風の意匠という、今の“ハイカラな街並み”を形づくる要素が一つひとつ生まれていきました。
現在の函館の景観の美しさや整然とした街路には、こうした防火を起点とした都市デザインの工夫が根付いていることを感じ取ることができます。歩くだけで、過去の災害と再建の歴史が自然と見えてくる、そんな町なのです。
地下に眠る“神殿”のような構造物
函館の中心部から離れた赤川町にある「笹流(ささながれ)ダム」は、外観だけでなく内部構造にも驚きが詰まった“神殿”のようなダムです。1923年(大正12年)に完成したこのダムは、日本で初めてのバットレスダムとして建設されました。
神秘的な内部構造と機能
バットレスダムとは、遮水壁の背後に「バットレス」と呼ばれる格子状の支柱を組み合わせて、水圧を分散する構造です。この工法により、コンクリートの使用量を抑えつつも、強度と耐久性を兼ね備えた美しい建築が可能となりました。
笹流ダム内部には、まるで地下に巨大な神殿が広がっているかのように、太くまっすぐなコンクリート柱が一定の間隔で整然と並んでいます。天井から差し込む光や、水面に映る柱の影が静かに揺れる様子は、都市インフラであることを忘れてしまうほど幻想的な空間です。
機能性と景観美の融合
このダムは、函館市内の急速な都市化と人口増加に対応するための生活用水を確保する重要な施設として建設され、現在も現役で機能しています。ただの水源ではなく、構造そのものが美しく、技術と芸術が共存した“見せるインフラ”とも言える存在です。
周辺には前庭広場が整備され、春には桜が咲き、夏には芝生が青々と広がり、秋には紅葉が建築と調和する光景が広がります。市民の憩いの場としても親しまれているこのエリアは、四季折々に表情を変える絶景スポットです。
歩いて出会う隠れた歴史遺産
中心地の赤レンガ倉庫や元町エリアからはやや距離がありますが、バスと徒歩を使って訪れる価値がある構造物です。函館山や教会群といった表の観光名所に対し、笹流ダムはまさに“地下に眠る函館のもう一つの顔”。
ここには、都市の発展を支えてきた静かな努力と、それを形にした技術者たちの思いが今も息づいています。旅の締めくくりに訪れると、函館という町が、見た目の美しさだけでなく、根底から積み上げられてきた町であることに気づかされるはずです
出典・参考リンク(外部サイト)
・NHK番組表|ブラタモリ「魅力度No.1函館の町」
・函館観光情報サイト「はこぶら」
・Travel Hakodate公式サイト
・Wikipedia「函館大火」「笹流ダム」
・五島軒 公式サイト
・函館ラーメン店 あじさい
・バットレスダム紹介ページ(adachipas.com)
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