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NHK【ブラタモリ】函館・五稜郭▼“幕末の要塞”なぜ星形に?新選組土方歳三の最期|2025年7月19日放送

ブラタモリ

函館・五稜郭の謎に迫る旅

タモリさんが案内する街歩き番組「ブラタモリ」。今回は北海道・函館を舞台に、幕末に建てられた星形の要塞「五稜郭」の秘密を探る旅が放送されました。新選組副長・土方歳三の最期の地としても知られる五稜郭。なぜ星の形になったのか?そこに込められた幕府の思いや、歴史のうねりをひもとく内容でした。

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五稜郭の全貌を空から確認

番組のスタートは、五稜郭の姿を一望できる五稜郭タワーの展望台から。そこから見える五稜郭は、まるで星が地上に描かれたような美しい形で、その精密な設計がよく伝わってきました。

展望台から見た星形の意味

地上約90メートルの高さにある展望台から見下ろすと、五稜郭は五つの角がしっかり張り出した星形になっており、堀に囲まれたその姿はまるで幾何学模様のようです。木々の緑と堀の水の青がコントラストを生み出し、歴史と自然が調和する景色が広がっていました。この展望台には当時の配置図や復元模型もあり、上から見ることで構造の意味がより深く理解できます。

北方防衛の最前線にあった理由

幕末の日本は、外国との緊張が高まり、海からの侵攻に備える必要がありました。函館はその北方防衛の重要拠点とされ、幕府はこの地に箱館奉行所を設置しました。五稜郭が海から約3キロ内陸に築かれたのは、当時の大砲の射程距離を考慮した配置です。当時の西洋製の大砲は射程が3キロ程度とされ、それ以上離れた場所であれば艦砲射撃を避けることができると考えられていたのです。この立地は、実際の戦いに備えた戦略的な選択でもありました。

星型の意味と守りの工夫

五稜郭の内部に足を踏み入れると、外から見た美しさとは違う、実戦的な工夫があちこちに隠されていました。西洋の要塞設計をもとにしながらも、日本独自の考え方や技術も取り入れられていたのです。

どこからでも攻撃できる星形の仕組み

五稜郭の最大の特徴は、突き出た五つの角にそれぞれ大砲を配置できる構造です。この角の位置からは、死角なく周囲すべてをカバーでき、敵がどの方向から攻めてきても応戦が可能になっています。星形にしたことで、防御範囲を最大限に広げることができたのです。周囲に張り巡らされた堀も、外からの侵入を防ぐための大切な仕掛けとなっています。

敵の侵入を防ぐ半月堡の役割

正門の前には、三角形の土塁「半月堡(はんげつほ)」がありました。これは、正面から来る敵を直接門に近づけさせないための工夫で、三方向から狙い撃ちできるように作られています。この半月堡の存在によって、門はただの出入り口ではなく、強固な防衛の一部として機能していたことがわかります。

石垣に込められた日本の技術

石垣は単なる壁ではありませんでした。長方形の石を長辺・短辺交互に組み合わせることで、隅の部分の強度を高める工夫がされており、これは日本ならではの石積み技術です。西洋の設計を取り入れながらも、建設には日本の職人たちの知恵と誇りが込められていたのです。五稜郭は、海外からの技術だけでなく、日本の伝統もしっかりと守り抜いた構造になっていました。

奉行所の中心部と戦いの舞台

五稜郭の中心には、江戸幕府の役所である箱館奉行所が建てられていました。ここは五稜郭の中でも特に重要な場所であり、幕末の激しい戦いが繰り広げられた舞台でもあります。

太鼓の音が響いた奉行所の中枢

箱館奉行所には太鼓櫓があり、ここから鳴らされる太鼓の音が五稜郭内の時を知らせていました。音が風に乗って一帯に響きわたり、兵や役人たちはその音で一日の時間の流れを感じていたといいます。奉行所の建物は格式ある和風建築で整えられ、堅牢さと美しさを兼ね備えていました。

戦いの最前線となった五稜郭

この場所は、明治元年に起きた箱館戦争の主戦場となりました。旧幕府軍と新政府軍がぶつかり合い、最後の戦いの地として歴史に名を刻みます。特に土方歳三がここで最期を迎えたことは、多くの人に知られています。当初は戦いを強く意識した要塞ではなかったものの、状況の変化によって急遽、実戦用の拠点として使われることになったのです。

石垣にも現れた細かな工夫

建物の正面と裏側では石垣の積み方に違いが見られました。表側は見た目を意識して美しく積まれており、裏側は通用門があり、役人たちの通勤路として実用性が重視されていたのです。この違いは、外からの見え方と内部の使いやすさの両方を考えた設計で、細部にまでこだわった建築思想が感じられます。五稜郭はただの防御施設ではなく、当時の政治や暮らしの機能も兼ね備えた空間だったことがわかります。

ふたつの五稜郭、海と陸

函館には陸の要塞である五稜郭だけでなく、もうひとつの防衛施設として海沿いに台場が築かれていました。このふたつの要塞が、それぞれ陸と海を守る役割を果たしていたのです。

海に向けて構えられた大砲の陣地

海辺に築かれた台場は、1864年に完成したもので、15門もの大砲が一列に並べられて海をにらんでいました。この配置は、もし外国の艦船が接近してきた場合に備えるためで、砲撃で函館湾を防衛することが目的でした。大砲は海岸線に沿って等間隔に設置され、砲台の下には弾薬庫や兵の詰所なども整備されていたと考えられています。

新選組と土方歳三の最後の拠点

この台場は、新選組が最終的に身を置いた場所でもあります。土方歳三が最後の戦いに挑んだのも、この海沿いの拠点の近くでした。激しい戦いの末、土方はこの地で命を落とし、その後、指揮をとっていた榎本武揚ら旧幕府軍もついに降伏。これによって箱館戦争は終結し、幕末から明治への大きな転換期が訪れることになります。

陸の五稜郭、そして海の台場。このふたつがそろって、函館は防衛の町として機能していました。それぞれが役割を分担し、力を合わせて町を守っていたことが、現代に残る歴史の痕跡からもよくわかります。

現代に残る痕跡と歴史の重み

五稜郭や台場といった要塞は、幕末という激動の時代に築かれたものですが、その痕跡は今も函館のあちこちに息づいています。街の中に溶け込むように、歴史の証がそっと残されています。

入舟漁港に残る石垣の記憶

函館港の近くにある入舟漁港では、昭和以降の改良工事の際に、古い石垣の石が再利用されていたことがわかっています。これらの石は、かつて台場として使われていた施設の構造物から運ばれたもので、明らかに人の手で丁寧に加工された形跡がありました。台場が解体されたあとも、石は町の中で別の形に姿を変えながら生き続けているのです。

歴史を見守り続けるふたつの要塞

五稜郭と台場という、陸と海を守るために築かれたふたつの要塞。それぞれが違う役割を担いながら、同じ時代を支えていました。そして、現代の函館の中でも、それらは観光地としてではなく、日本の近代史を静かに語りかけてくる存在として、人々に語り継がれています。石垣ひとつひとつに、時代を超えて積み重ねられた人の手の跡が残り、歴史の重みを感じさせてくれます。

函館の町を歩くと、ただの風景のように見える場所にも、過去からのメッセージが息づいています。五稜郭や台場が作られた理由、戦いの跡、そしてその後の再生。それらすべてが、この町の一部として今も静かに佇んでいるのです。

番組で紹介された場所まとめ

ロケ地 内容
五稜郭タワー展望台 五稜郭の形や配置を確認
五稜郭内部 大砲の配置や石垣の工夫を解説
箱館奉行所跡 戦いの舞台と歴史背景を紹介
台場跡(海側) 土方歳三が戦った場所、新選組ゆかりの地
入舟漁港 当時の石材が再利用された痕跡を発見

函館の五稜郭は、ただの観光スポットではなく、日本の近代史を語るうえでとても大切な場所です。今回の放送を通して、星形の要塞に込められた思いや、幕末を生きた人たちの覚悟がよく伝わってきました。歴史に興味のある方は、ぜひ一度現地を訪れてみてください。

(出典:NHK「ブラタモリ」2025年7月19日放送)
(公式サイト:https://www.nhk.jp/p/buratamori)

五稜郭と台場の位置関係を歩いて体感

しげゆき
しげゆき

ここからは、私からの提案です。五稜郭と弁天台場は、陸と海の両方を守るために設けられたふたつの要塞で、実際には徒歩で移動できる距離にあります。図解や地図を見るだけでなく、実際に歩いてみることで、当時の戦略や兵たちの動きがより身近に感じられます。

中心にある五稜郭からスタート

五稜郭は函館市電「五稜郭公園前」から歩いて約10分の場所にあります。園内には五稜郭タワー、箱館奉行所、半月堡などが整備され、江戸末期の姿を感じることができます。周囲を堀と緑に囲まれた静かな空間で、歴史に思いを馳せながらの散策にぴったりです。

一本木関門まで旧道をたどる

そこから徒歩約30分ほど北へ進むと、土方歳三が戦いの中で命を落としたとされる一本木関門跡があります。この道は、かつて兵たちが実際に行き来していた旧道の一部を含んでおり、歩きながら当時の緊張感や戦いの様子を想像することができます。周囲には案内板も設置されており、歴史散策がしやすいルートです。

台場(弁天台場)まではさらに10分

一本木関門からさらに10分ほど歩くと、海に面した台場跡に到着します。ここにはかつて15門の大砲が並べられ、海からの敵に備えていた防衛拠点がありました。高台からは津軽海峡を望むことができ、当時の兵士たちが見ていたであろう景色が広がります。今ではその痕跡は一部に残るのみですが、港町の風景の中に、静かに歴史の記憶が息づいています。

徒歩移動で感じる歴史のつながり

五稜郭から一本木関門、そして弁天台場へと続くルートは、全部でおよそ40分ほどの道のりです。市電と徒歩を組み合わせれば24分ほどで移動することもできますが、あえて歩くことで、幕末の歴史がつながっていたことが実感できる貴重な体験になります。すべてが函館市街地の中にあり、現代の風景と歴史が重なるこの道のりは、訪れる人に静かな感動を与えてくれます。

地図やルート案内を片手に、自分の足で歩くことで、土方歳三や榎本武揚たちの戦いの舞台をより深く知ることができます。時間と距離の感覚を通して、歴史がより身近になる瞬間です。

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