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【NHKスペシャル】ツタンカーメンの謎の死と愛情深き素顔に迫る最新研究 2025年8月16日放送

NHKスペシャル

ツタンカーメンの秘宝(2)「ファラオの愛と死」

古代エジプトのファラオツタンカーメンは、黄金のマスクで世界的に有名ですが、その人生には多くの愛と謎が秘められています。今回の放送では、彼が残した秘宝から夫婦の愛や暮らし、そして若き王の死の真相までが描かれました。「ツタンカーメンの死因は何だったのか?」「なぜ心臓がなかったのか?」といった疑問を持つ人も多いと思います。この記事では番組内容をすべて反映しながら、アンケセナーメンとの愛、ナイルと共に生きる暮らし、そして陰謀に包まれた最期までをわかりやすくまとめます。

ツタンカーメンの秘宝(1)「黄金のファラオ」

黄金の王座が語る愛の証

ツタンカーメンが愛用していた黄金の王座には、彼自身と妻であるアンケセナーメンの姿が丁寧に刻まれています。この王座は単なる権力の象徴ではなく、二人の関係性を映し出す特別な意味を持っていました。通常、古代エジプトの美術や工芸品においてファラオは絶対的な存在とされ、妻と並んで描かれる場合でも、その姿は小さく表されるのが一般的です。つまり、権威の差を明確に示すことが常識だったのです。

ところが、黄金の王座黄金の小厨子では、ツタンカーメンとアンケセナーメンが同じ大きさで表現されています。これは極めて珍しいケースであり、専門家の間でも注目されています。この表現からは、ツタンカーメンが妻をただの伴侶としてではなく、対等な存在として敬い、また深く愛していたことが伝わってきます。

さらに、アンケセナーメンはツタンカーメンよりも3歳ほど年上であったと考えられています。幼くして即位し、政治的な重圧や国内の混乱に直面していたツタンカーメンにとって、年上の妻の存在は心の支えとなったはずです。彼女は単に王妃という立場にとどまらず、若きファラオを精神的に支え、共に王国を導く重要な役割を果たした存在だったのです。

このように、黄金の王座小厨子に残された表現は、権力の象徴にとどまらず、若き王とその妻の絆や愛情を現代に伝える貴重な証拠となっています。

香水箱と日常の暮らし

発掘された香水箱の中には、すでに乾いて固まってしまった香水の痕跡が残っていました。高さはわずか15cmほどの小さな箱ですが、そこからは古代エジプトの王族の日常生活の様子を知ることができます。単なる装飾品ではなく、実際に香りを楽しむために使われていたことがうかがえるのです。

さらに、装飾に描かれたツタンカーメンの姿には青い巻き毛が表現されており、これは古代エジプトにおいて「少年」を意味する特徴とされています。幼い頃から王として生きた彼の姿を、当時の人々はこのように象徴的に描き残したのでしょう。また、身に着けていた大きな三角布は下着として用いられていたことも分かっており、豪華な衣装に包まれたファラオにも、私たちと変わらない日常的な側面があったことを感じさせます。

こうした小さな遺物や細部の描写から見えてくるのは、権力の象徴としてのファラオではなく、一人の人間としての姿です。香水や下着といった生活の痕跡は、遠い時代の王もまた人間らしい営みを送っていたことを、現代に静かに語りかけています。

ナイルの恵みと春香祭

エジプトは古くから「ナイルの賜物」と呼ばれてきました。これは、世界最長級の大河であるナイル川がもたらす豊かな水と肥沃な土壌が、砂漠に囲まれた地に命を吹き込み、農業や人々の生活を根本から支えてきたからです。毎年繰り返される氾濫は新しい土を運び、作物の成長に欠かせない栄養を大地に与えました。そのため古代エジプトの人々は、まさにナイルと共に生きていたと言えるのです。

収穫期を迎えると、人々は国中で盛大な祭りを開きました。代表的なのが春香祭で、これは豊作を神々に感謝し、次の年の実りを祈る大切な行事でした。街や神殿は祝祭の雰囲気に包まれ、国全体が豊かさを分かち合う時間となっていました。この祭りはエジプト文明がいかに自然と強く結びついていたかを物語っています。

また、発掘調査では一見するとただの素焼きの壺から、驚くべき発見がありました。それはツタンカーメン治世第9年に作られたとされるワインの痕跡です。壺の中で天然の酵母が働き、自然発酵によって果汁がワインへと変化していたのです。壁画にも当時のワイン造りの様子が描かれており、古代エジプトの人々が酒を嗜み、神への供物や日常生活の中で楽しんでいたことがわかります。こうした発見は、遠い過去の人々の暮らしをより身近に感じさせてくれる貴重な証拠となっています。

宿命に翻弄された王

ChatGPT:

ツタンカーメンの愛用していた玉座には、彼が幼少期に名乗っていた「ツタンカーテン」という名前のカルトゥーシュが刻まれていました。これは、父であるアメンヘテプ4世が強引に進めた宗教改革の名残を示すものです。アメンヘテプ4世は、それまでの多神教を排し、唯一の神である太陽神アテンだけを信仰する一神教を打ち立てました。この急激な改革によって、長く崇められてきたカルナック神殿も閉ざされ、伝統を重んじる人々や神官たちの反発を招き、国全体は大きな混乱に陥ったのです。

やがて父が亡くなると、わずか9歳という幼さでツタンカーメンはファラオとして即位しました。しかし幼い王に課せられた使命は重く、混乱した国を立て直すために彼が選んだ道は、再び多神教を復活させることでした。これは単なる信仰の選択ではなく、国を安定させ、神官たちの怒りや不満を和らげるために不可欠な政策だったのです。

若きツタンカーメンにとって、父の意志をそのまま継ぐことはできませんでした。強大な影響力を持つ神官たちの力を抑えるには、父とは異なる道を歩み、伝統を尊重するしかなかったのです。こうした背景からも、ツタンカーメンがただの「少年王」ではなく、幼くしてすでに政治的な判断を迫られていた存在であったことがわかります。

若き王の死と謎

ツタンカーメンはわずか20歳前後という若さで急死しました。ファラオとしての在位期間も短く、さらに後継者を残さずに亡くなったことから、その最期は大きな謎に包まれています。死因については長年議論が続いており、病気による自然死の説、事故による致命傷の可能性、さらには毒殺説にまで及んでいます。これほど多くの憶測が飛び交うのは、若すぎる死と、王の死をめぐる政治的な不安定さが背景にあるからです。

ツタンカーメンの墓からは、死後の世界へ導く守護者としてアヌビス神像が置かれていたことが確認されました。また、臓器を納めるためのカノポス箱も発見され、その内部には精巧に作られたカノポス棺が収められていました。棺には女神たちの姿が浮き彫りにされ、王を来世へと守る祈りが込められていたことが伝わります。

しかし、発掘調査で衝撃的な事実が明らかになりました。それは、ツタンカーメンのミイラには心臓が存在しなかったという点です。通常、ミイラ作りでは心臓は取り出されずに保存されるか、もしくは来世での復活に備えて慎重に扱われるのが一般的でした。ところがツタンカーメンの場合、その心臓がどこにも見つからなかったのです。この異常な事実は、王の死に偶然ではない出来事や、背後に潜む陰謀の影があった可能性を強く示しています。

浮かび上がる陰謀の影

ツタンカーメンの心臓が失われた理由について、研究者たちはいくつかの仮説を立てています。その中でも特に注目されているのが、当時王に仕えていた家臣アイの関与です。アイはツタンカーメンの死後にファラオの座に就いた人物であり、その立場からしても王の死に深く関わった可能性があると指摘されています。

さらに、ツタンカーメンの臓器を収めるために作られたカノポス棺には、謎めいた名前「ネフェルネフェルアテン」が刻まれていました。この名はツタンカーメンの義母であるネフェルティティを指すと考えられており、彼女とアイのつながりが浮かび上がります。もしネフェルティティの父がアイであったとすれば、ツタンカーメンとアイの関係は単なる家臣と王の関係にとどまらず、複雑な血縁と権力争いが絡み合っていたことになります。

このような背景を踏まえると、アイがツタンカーメンの来世での復活を妨げるために心臓を奪ったという説は十分に筋が通ります。心臓は古代エジプトの宗教観において「魂の座」とも呼ばれる重要な器官であり、裁きの場で真実を量る際にも欠かせない存在でした。その心臓を失うことは、死後の復活や永遠の命を阻む致命的な行為だったのです。こうした点から、アイが王位を手にするために仕組んだ陰謀の可能性が今も議論され続けています。

まとめ

今回の放送から見えてきたのは、ツタンカーメンがただの「少年王」ではなく、愛と政治、陰謀に翻弄された一人の人間だったということです。アンケセナーメンへの愛情は黄金の秘宝に刻まれ、ナイルとともに生きた暮らしは壺や香水箱に残されました。しかし、その死には今もなお解けない謎がつきまといます。なぜ心臓がなかったのか、アイは本当に関与していたのか――。秘宝は静かに眠りながらも、今も私たちに問いかけ続けています。

ツタンカーメンの秘宝(1)「黄金のファラオ」


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