負けんわい!能登の“食”に込めた復興の力
能登半島と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?カキ、塩、米、そして優しい人たち。2024年の地震と豪雨を乗り越えた今、そこには「負けんわい!」という強い気持ちとともに、再び立ち上がる人々の姿があります。この記事では、天野ひろゆきさんと塚原愛さんが巡った能登半島の“食”の旅を通して、地元の人々がどのようにして復興へ向けて歩んでいるのかを詳しく紹介します。
NHK【有吉のお金発見 突撃!カネオくん】能登の揚浜式製塩とかん水の科学、世界が注目するソルトアート・ディノ・トミックとは|2025年10月12日
珠洲の海風が生む“奇跡の塩” 揚浜塩と人のつながり
最初の目的地は、石川県珠洲市にある道の駅すず塩田村。日本で唯一、伝統の「揚浜式製塩」を続ける場所です。この製法はなんと500年以上の歴史を持ち、海水を汲み上げて砂にまき、太陽と風で水分を飛ばしたあと、濃縮して煮詰めて塩を結晶させるという、気の遠くなるような手間をかけた作業。現代の機械塩とはまったく違い、自然と人の力で生まれるまろやかな味わいが特徴です。
番組では、天野さんと塚原さんが塩づくりの現場を見学。仕上がり直前の塩を試食した塚原さんは「後味がいい」と一言。職人の手仕事から生まれる塩のうまみが、じんわりと舌に残ったのです。
その後、天野さんは名物の塩ソフトクリームを味わい、「おいしい。なんとまろみのある塩。ほんのり、あとにじんわり来る感じ」と感嘆。能登の海と太陽の恵みが一口に詰まっていました。
しかしこの塩田も、昨年9月の豪雨で土砂に埋まってしまう大きな被害を受けました。作業場も機材も泥まみれ。生産継続は不可能とまで言われた時、立ち上がったのは200人を超える学生ボランティアたち。地域の人々と協力し、わずか2か月で塩田を再生させました。
さらに2024年春、水道も復旧し、道の駅も再開。塩づくりが再び動き出しました。運営を担う神谷健司さんは、「日本唯一の揚浜塩の職人さんに頑張ってもらって伝統を守っていきたい」と語り、長い歴史を未来へつなげる強い決意を見せました。
能登の塩は、ただの調味料ではありません。人と人が支え合うことで生まれた“再生の味”なのです。
能登牛の命を守るために 牧場の挑戦と再出発
続いて訪れたのは、石川県能登町にある能登牧場。ここは石川県を代表するブランド牛「能登牛」の生産地で、約900頭の牛が広い牛舎でのびのびと育っています。能登牛の特徴は、オレイン酸を多く含む脂の質。脂の融点が低く、口の中でとろけるような食感と、上品な甘みが人気の理由です。
しかし、地震で牛舎には深い亀裂が入り、地盤も沈下。給水タンクが破損したことで水が足りず、体調を崩して命を落とす牛も出ました。さらに豪雨が追い打ちをかけ、多くの生産者が離農を余儀なくされる事態に。
牧場主の平林さんは、「牛を仕入れることができず、これから出荷頭数が減ってしまう」と現実を見つめながらも、新しい牛舎の建設を決意しました。倒壊しかけた建物の修復を進めながら、飼育数を戻すために日々奮闘しています。
天野さんたちは牛たちを見守る平林さんの姿に、「一頭一頭に愛情を注ぐ姿が印象的」と感じたようです。平林さんは「全国の人に、能登牛をもっと知ってほしい」と笑顔を見せ、ふたたび能登のブランドを全国に届けることを誓いました。
その一言には、単なる畜産業者としてではなく、地域を背負う“復興の担い手”としての誇りがにじんでいました。
白米千枚田の復活、黄金色の棚田がつなぐ祈り
次に向かったのは、輪島市の白米千枚田。能登を象徴する絶景の棚田です。地震による崩落で一時は一面が荒れ果てた状態となりましたが、地域住民やボランティアの努力で、今年は修復された250枚の田んぼに苗が植えられました。9月には無事に稲刈りが行われ、黄金色に輝く風景が戻りました。
この景色を見た塚原さんは、「命が戻ってきたよう」と感慨深げ。自然と人が手を取り合って作り上げた風景に、訪れる人々も心を動かされます。
稲穂が風にそよぐ音は、まるで「まだ大丈夫」と言っているよう。能登の自然は、痛みを抱えながらも再び息づいています。
被災した料理人が集う店「芽吹」 再出発の味
旅の最後に訪れたのは、輪島市の新しい飲食店「芽吹」。この店を立ち上げたのは、地震で店舗を失った料理人たち。中心となったのが、シェフの池端隼也さんです。避難所での炊き出し活動をきっかけに、仲間たちと「もう一度料理で笑顔を届けたい」との思いから2024年8月にオープンしました。
店名の“芽吹”には、「希望が芽生えるように」という願いが込められています。
ここで登場したのは、平林さんの能登牛ステーキ。仕上げには、珠洲で復活した揚浜塩。天野さんは「すごいうまみ。塩味と合わさったら最高」と声を弾ませました。
さらに、地元漁師の川端尚人さんが手がける地魚のお造りも登場。新鮮な身を口にした天野さんは「甘い、身が」と驚き、海の恵みを実感していました。
食事の締めくくりには、輪島の新米で握った塩おにぎり。ふっくら炊き上げたごはんに、揚浜塩の優しい塩味。池端さんは「続けたくても難しい方もいる。そういう思いを背負って、もう一度賑やかな能登をやっていきたい」と語りました。被災を乗り越えた料理人たちが、食を通じて再び地域に灯をともしているのです。
“横のつながり”が生んだ復興のチカラ
旅の終わりに、天野ひろゆきさんはしみじみと語りました。
「1人じゃ立ち上げることも難しかったと思うけど、横の繋がりのパワーというか。奮い立たせる能登の力を感じちゃいましたね。」
その言葉どおり、能登の復興は“絆の連鎖”によって支えられています。塩づくりの職人、牛を育てる牧場主、料理人たち。誰かが困れば誰かが手を差し伸べる――その循環こそが、「負けんわい!」の精神です。
まとめ
この記事のポイントは3つです。
・揚浜塩がボランティアと地域の力で復活し、能登の象徴として再び輝いている
・能登牛の生産者が地震被害を乗り越え、新しい牛舎建設で再建の道を歩んでいる
・輪島の料理人たちが店「芽吹」で食を通じた復興を実現している
能登の“食”は、ただの味覚ではなく、「命とつながりの証」。その一皿一皿には、人の手のぬくもりと、未来への希望が込められています。
どんな困難があっても、能登はきっと「負けんわい!」。この言葉の通りに、食の力で再び笑顔が広がっています。
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