熱談プレイバック ミスタープロ野球・長嶋茂雄のドラマチック人生!
ミスタープロ野球として日本中に愛された 長嶋茂雄。その名を聞くだけで、球場の歓声やドラマのような名場面を思い出す人も多いと思います。この日の『熱談プレイバック』では、講談師 神田春陽 がその“輝きの軌跡”を力強く語り、長嶋さんの人生を再び目の前に広げてくれる内容でした。
父の愛情、少年時代の野球との出会い、六大学での飛躍、プロ入り後の挫折と成長、天覧試合の伝説、そして最後のホームラン。どのエピソードも一本のドラマのように胸に迫るものばかりです。ここでは放送で語られた内容を紹介します。
【NHKスペシャル】さよならミスタープロ野球長嶋茂雄|秘蔵映像と証言でたどる偉大な人生|2025年6月8日放送
父がくれたグローブから始まった物語
昭和11年、千葉県佐倉市で誕生した茂雄少年。野球との出会いは小学4年のある朝でした。枕元に置かれていたのは、新品のグローブ。それを買ってきたのは父の 長嶋利 でした。
役場に勤める真面目な父でしたが、家では子ども思いで、4人兄弟の茂雄を特に目をかけて育てていました。このグローブは、父が息子の好きなことを応援したいという気持ちの象徴でした。
そしてその日から、茂雄の生活は野球中心になっていきます。中学校に進むと野球部に入り、地区大会決勝では9回ウラに強烈な当たりを放ちサヨナラ勝ち。新聞に載るほどの注目選手となり、千葉第一高等学校 からスカウトが来るほどに成長します。
しかし茂雄が選んだのは、地元の 千葉県立佐倉第一高等学校(佐倉一高)。強豪校に進むより、地元で野球を頑張りたいという気持ちが強かったからでした。父はその選択を「茂雄らしい」と笑顔で受け入れ、背中を押してくれました。
佐倉一高での厳しい練習と父への想い
佐倉一高の練習は非常に厳しいものでした。しかし茂雄は食らいつき、2年生になるころには四番を任されるようになります。放課後は東京へ向かい、後楽園球場 でプロ選手の打撃を観察し、帰宅後は自室で何度もフォームのマネをしながらイメージトレーニングを続けました。
その様子を誰よりも近くで見ていたのが父の利。夜遅くまで繰り返し素振りをする息子を、静かに見守っていました。
迎えた高校3年の夏。佐倉一高は千葉県予選ベスト4に進出します。茂雄が願ったのはただひとつ。「父に、自分の野球を見てほしい」。
しかし父は仕事の忙しさから、これまで試合を観戦したことがありませんでした。
試合当日。大応援団がスタンドを埋める中、父の姿だけは見当たりません。茂雄は少し寂しさを押し隠しながら打席へ。そこで放ったのが、超特大のホームランでした。
試合には敗れましたが、意気揚々と家へ帰ると、父が出迎えてひと言。
「大きいホームランだったなぁ」。
実は父は仕事の合間を縫って球場に来ていました。これが、父が息子の試合を見た“最初で最後の姿”となりました。
父の言葉を胸に、六大学のスターへ
立教大学 に進学した茂雄。大学1年の練習中に「チチキトク」の電報が届きます。病床の父は、茂雄の手を握りながら「六大学で一番になり、プロに行ったら日本一の選手になれ」と最後の言葉を伝え、静かに息を引き取りました。
この言葉は茂雄の心に深く刻まれることになります。
その後、茂雄は東京六大学野球のスターへと成長し、4年生のときにはホームラン8本の新記録を樹立。大学野球の歴史に名を刻む存在となりました。
ジャイアンツの背番号「3」とプロでの挫折
多くのプロ球団から声がかかる中、茂雄が選んだのは 読売ジャイアンツ。そして背番号は、ファンに永遠に刻まれる「3」に決定します。
ところが、最初のキャンプは軽いノック程度で拍子抜けする内容。オープン戦では最多本塁打を打ってしまい、「プロなんてこんなものか」と油断が生まれます。
しかし開幕戦の相手は 国鉄スワローズ。投げるは大投手 金田正一。
結果はまさかの 4打席連続三振。初めて味わう大きな挫折でした。
そこから茂雄は気持ちを入れ替え、毎日グラウンドでバットを振り続けます。その努力が実を結び、夏には四番に定着。ホームラン王・打点王・新人王の三冠を獲得し、低迷していたプロ野球の人気を押し上げる存在に。
野球史に残る『天覧試合』の名場面
昭和天皇が初めて野球観戦をした試合、『天覧試合』。相手は 阪神タイガース。投手はエースの 村山実。
4-4で迎えた9回ウラ。長嶋が打席に立ち、放たれた打球は左翼スタンドへ一直線。サヨナラホームランという歴史的瞬間でした。
この一打で、長嶋茂雄は“国民的ヒーロー”へと昇りつめます。
「魅せる野球」を貫いて迎えたラストホームラン
どんな時代も変わらなかったのが、茂雄の「魅せる野球」。観客を楽しませたい、喜ばせたいという情熱は衰えることがありませんでした。
巨人が黄金期に入る一方で、自身の体力の衰えは隠せなくなっていきます。人前では明るくふるまいつつ、家では地下室で黙々とバットを振り続けました。
昭和48年、監督の 川上哲治 から後任監督の打診を受けますが、「もう1年だけ打たせてほしい」と現役続行を願い出ます。
そして迎えた最後の年。先発を外される試合も増える中、昭和49年10月14日、後楽園球場には約5万人のファンが詰めかけました。
4回ウラ、渾身のスイングで放った打球は美しい弧を描いてレフトスタンドへ。これが 通算444号の最後のホームラン となりました。
まとめ
父が買ってくれた一つのグローブから始まった物語は、数々の伝説を生み、日本中に愛されるヒーローへとつながっていきました。
背番号「3」、天覧試合、444号のラストホームラン。どの瞬間も、野球を“魅せる場”に変える情熱がありました。
講談師 神田春陽 の語りは、そのドラマチックな人生を鮮やかに思い起こさせるものでした。野球ファンだけでなく、多くの人の心を動かす回だったと思います。
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