料理に人生をかけた“原点と哲学”に迫る
料理で世界を魅了してきた 三國清三 シェフが「もし人生最後なら何を語るか」という形で歩んできた道を振り返ります。増毛町で育った少年が、なぜフランス料理の世界で頂点と呼ばれるようになったのか。その背景には“原点”となった体験や、挫折を越えてたどり着いた『ジャポニゼ』の哲学があります。
三國清三シェフが料理に向かったきっかけ
三國清三 さんは1954年、北海道の増毛町に生まれました。海と山に囲まれた環境で育ち、毎日の食卓には豊かな自然の恵みがありました。漁師の父、農家として働く母、そして七人兄弟というにぎやかな家庭。その中で“食材は命”という感覚を自然と身につけていきます。
やがて15歳で料理人を目指し、ホテルの厨房に飛び込みます。札幌から東京へと修行先を移し、「料理で生きていく」という思いを胸に、それぞれの現場で鍋と向き合い続けた姿が浮かびます。のちに世界へ飛び立つシェフの原点には、増毛町で育まれた食材への敬意と若い日の情熱がありました。
世界へ渡り、多くの挫折の中で見えた道
国内の修行を経て20歳で在スイス日本大使館の料理長に就任したことが、三國シェフの人生を大きく動かします。そこからヨーロッパの三つ星レストランでの挑戦が始まり、フレディ・ジラルデ や アラン・シャペル など名だたる巨匠たちのもとで技を磨いていきました。
しかし、その道のりは決して順調ではありませんでした。求められる技術の高さ、料理に対する感性、そして“世界基準の洗練”という壁。厳しい言葉を受けることもありました。でも、その挫折がのちの哲学へと続く大きな糧になっています。
1985年、東京・四谷に オテル・ドゥ・ミクニ を開き、新しいフレンチの表現を日本から世界へ示していきます。“世界のミクニ”と呼ばれるまでになった背景には、挑戦を続ける姿勢と、折れない強さがありました。
『ジャポニゼ』という料理の考え方
三國シェフの料理を語るうえで欠かせないのが『ジャポニゼ』です。これは「フランス料理の技法 × 日本の食材・美意識」を合わせた表現で、ただの“和風フレンチ”ではありません。
日本各地の旬の食材を生かし、土地の色を皿に落とし込むように構築していく。そこには 地産地消 や 素材への敬意 といった考えが通っています。また、食べた時の香り、口に入れた瞬間の温度、後に残る余韻までを考え抜く姿勢が独自の世界を生み出しました。
三國シェフの歩みの中で育まれた『ジャポニゼ』は、日本の料理人が世界と向き合う際の大きな指標にもなっています。
最後の講義で語られる思い
今回の番組では、三國シェフが「最後に伝えたいこと」を語る形式になっています。放送前のため詳細は分かりませんが、これまでの人生で得たもの、挫折を越えた先にあったもの、そして若い料理人に向けたメッセージが語られると予想されます。
紹介されているキーワードから、可能性に挑んできたシェフならではの“行動することの価値”が語られる内容になりそうです。人生の節目にふさわしい深い視点が込められるのではないでしょうか。
一皿に込めた技と表現の世界
三國シェフの皿は、素材そのものの持ち味を最大限引き出し、フランス料理のクラシックな技法と日本の感性を融合させたものです。火入れの温度、盛り付けの角度、食材同士の組み合わせなど、すべてに理由があります。
たとえば果物を使う時は皮と果肉のコントラストを生かし、魚介なら産地や季節の違いを一皿の中でどう表現するかを考え抜きます。こうした積み重ねが、一皿そのものに“物語”や“季節”を宿し、記憶に残る味わいを生み出します。
今回の講義では、この技の一端が実演として紹介される予定です。
まとめ
北海道の増毛町から世界へ羽ばたいた 三國清三 シェフ。挫折と挑戦の中で育てた『ジャポニゼ』の哲学は、日本発のフレンチの可能性を広げてきました。今回の番組は、その人生と料理に込めた思いを知る貴重な機会になります。
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