揺らぐ世界遺産 西本願寺が問いかけるもの
このページでは『西本願寺 伝統と葛藤(2026年1月1日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
世界遺産として知られる西本願寺は、日本の仏教と文化を長く支えてきた存在です。しかし今、その足元では静かな変化が起きています。門徒の減少、寺離れ、社会との距離感。長い歴史を持つ大寺院が、時代の転換点で何を守り、何を変えようとしているのか。本作は、伝統仏教が現代社会と向き合う姿を真正面から映し出す番組です。
国宝が語る西本願寺の歩みと誇り
西本願寺には、安土桃山から江戸初期にかけて花開いた文化が、建物そのものとして今も息づいています。戦乱の時代を経たからこそ生まれた力強さと、平和を求める心が重なり合い、境内には独特の空気が流れています。
国宝・唐門は、その象徴ともいえる存在です。門全体を覆うほどの豪華な彫刻には、動植物や物語性のある意匠が細部まで刻まれ、視線を向けるたびに新たな発見があります。あまりの見事さに時を忘れ、気づけば日が暮れてしまうことから『日暮門』と呼ばれるようになりました。
この門は、かつて西本願寺の正式な正門として使われ、要人や門徒を迎える「寺の顔」でした。その役割からも、この場所が特別な意味を持っていたことが分かります。
池に面して建つ国宝・飛雲閣は、金閣、銀閣と並ぶ『京都三名閣』の一つとされ、格式と遊び心をあわせ持つ建物です。歴代の門主が、限られた客人をもてなすために用いた空間であり、宗教施設でありながらも、心を解きほぐすための場として設えられてきました。
左右対称に整えられた建築とは異なり、あえて均衡を崩した構造や、階ごとに変わる景色と雰囲気は、形式に縛られない西本願寺らしい美意識を今に伝えています。
白書院は、門主と各地から集まった僧侶や門徒が対面するための重要な空間でした。ここには、身分や立場を超えて言葉を交わす場としての役割がありました。
天井には最も格式が高いとされる折上格天井が用いられ、欄間には当時の技術を集めた透かし彫りが施されています。光の入り方によって表情を変えるこれらの意匠は、見る人に静かな感動を与えます。
こうした空間から、西本願寺が信仰の拠点であるだけでなく、文化と美の中心として人々の心を引きつけてきたことが、はっきりと伝わってきます。
親鸞の教えが今も生きる場面
西本願寺は、鎌倉時代の僧である親鸞が開いた浄土真宗の本山です。親鸞は若くして出家し、比叡山延暦寺で20年にわたる厳しい修行を重ねました。しかし、煩悩を完全に断ち切ることができない自分自身と向き合い、その限界をはっきりと自覚します。
僧でありながらも、自らを愚かな凡夫と見つめた姿勢は、当時の仏教界では異例でした。だからこそ親鸞は、人の力だけで悟りに至ろうとする道ではなく、阿弥陀如来のはたらきによって、どのような人でも救われるという考え方を打ち出します。能力や立場、過去に左右されないその教えは、悩みや苦しみを抱える多くの人の心に届いていきました。
その教えを今に伝える大切な行事が、毎年1月に営まれる御正忌報恩講法要です。これは親鸞の命日にあわせて行われる、西本願寺で最も重要な法要とされています。参拝者は手を合わせながら、誰一人として見捨てないという教えを改めて心に刻みます。
法要のあと、人々が向かうのが国宝・鴻の間です。かつては親鸞の子孫でもある歴代の門主と対面するための特別な空間でしたが、この場所では現在もお斎と呼ばれる食事の接待が行われます。
振る舞われるのは、聖護院大根や湯葉の炊き合わせなどを中心とした精進料理です。身分や立場を問わず、希望すれば誰でも同じ食事を共にできるこの場には、『分け隔てなく向き合う』という親鸞の教えが、そのまま形となって表れています。
境内の中心に建つ国宝・御影堂は、親鸞の木像を安置する堂です。この堂は、毎朝5時半からすべての人に向けて開かれており、信仰の有無に関わらず静かに手を合わせることができます。早朝の堂内には、長い歴史を超えて人々の思いが重なってきた空気が満ちています。
御影堂の隣にある国宝・阿弥陀堂には、阿弥陀如来坐像が安置されています。堂内は金色の輝きに包まれ、極楽浄土を思わせる世界が広がります。その光景は、訪れた人の心をそっと包み込み、生きることの不安や迷いに寄り添う場として存在し続けています。
門徒減少という現実が突きつける課題
長い歴史を歩んできた西本願寺ですが、いま大きな転換点に立たされています。
番組では、門徒の数がこの5年で約20万人減少していることが明らかにされました。しかもその減り方は、これまでにない速さだといいます。かつて当たり前のように続いてきた「家と寺の関係」が、社会の変化とともに急速に薄れている現実が浮かび上がりました。
西本願寺の運営を支えているのは、賽銭やお布施、そして関係する各地の寺からの負担金です。
浄土真宗の教えに基づき、お守りや御朱印といった授与品は扱っていません。そのため、門徒の減少は、そのまま寺の運営基盤を揺るがす問題につながっています。信仰のあり方が変わる中で、これまで成り立ってきた仕組みが通用しにくくなっているのです。
こうした影響は、本山だけでなく、地方の寺院により深刻な形で表れています。
奈良県西吉野にある光専寺では、過疎化が進み、かつて村中から人が集まっていた法要の光景は過去のものとなりました。番組で紹介された法要に集まった門徒は、60代から80代のわずか4人でした。境内には静けさが広がり、地域の人口減少がそのまま寺の姿に重なって見えます。
住職の山本佐登子さんは、寺を維持するための費用すら確保が難しくなっている現状を前に、廃寺という選択肢にも触れました。
それでも、「私がやめておかないと後の人が困る」「お参りする人がいなかったら何もならない」と語り、簡単には終わらせられない思いをにじませます。続けたい気持ちと、続けられない現実。その間で揺れ動く心情が、淡々と、しかし重く伝えられました。
かつて寺が地域の中心であり、人々の集まる場所だった時代は、静かに遠のいています。
それは突然失われたわけではなく、気づかないうちに少しずつ形を変えてきた結果です。番組は、この現実を誇張することなく映し出し、西本願寺とその門末寺が直面する厳しさを、見る側に突きつけていました。
教えを届けるための新しい挑戦
人々の仏教観が大きく変わる中で、西本願寺は、教えそのものだけでなく、言葉の届け方を真剣に模索しています。
長く前提とされてきた檀家制度は、核家族化や単身世帯の増加によって揺らぎ、家単位で寺と関わる形は少しずつ薄れてきました。番組で紹介された2023年の調査では、「仏教に関心がある」と答えた人は全体の約1割にとどまり、教えが人々の日常から離れつつある現状が示されています。
こうした中、地方の寺では独自の工夫が始まっています。
広島県にある西善寺では、漢文で書かれたお経に現代語訳を添えた新しい経本を用い、親鸞の教えを身近に感じてもらう取り組みが行われています。
この日唱えられていたのは、『正信念仏偈』でした。漢文の横に意味が分かる言葉が並ぶことで、内容が心に届きやすくなります。住職は、響き方は人それぞれであることを踏まえ、「形は一つでなくていい」という姿勢を大切にし、共感の広がりを重んじています。
一方、西本願寺の本山でも、新たな動きが進んでいます。
教えと現代社会の関係を考える総合研究の場が設けられ、そこで特に力を入れているのがSNSでの発信です。週に一度、発信する言葉をめぐって僧侶たちが集まり、聖典と照らし合わせながら慎重に議論を重ねています。
一見すると前向きに見える言葉でも、その背景や状況によって受け取り方は大きく変わります。
実際に検討された「雨が降るから虹が出る」という言葉は、その難しさをはっきりと示しました。
この言葉が発信されようとしていた時期、熊本県や愛媛県などで大雨による被害が発生していました。その結果、SNS上には「寄り添っていない」「現実を見ていない」といった批判の声が寄せられます。
善意から生まれた言葉であっても、状況次第で人を遠ざけてしまう。その現実は、仏教の言葉を今の社会に届ける難しさを、改めて突きつけるものとなりました。
それでも模索は止まりません。
親鸞の教えが持つ力を、どうすれば「今を生きる人」に届く形で伝えられるのか。西本願寺と各地の僧侶たちは、試行錯誤を重ねながら、新しい一歩を探し続けています。
次の時代へつなぐ僧侶たちの覚悟
都市部でも仏教に触れてもらおうと、若い僧侶たちが動き始めています。
大阪では、40歳前後の僧侶が定期的に集まり、これからの時代に合った僧侶像とは何かを語り合っています。家と寺の結びつきが弱まる中で、これまでの形にとらわれず、人と向き合う方法を探しているのです。
光照寺の副住職である若林唯人さんも、その一人です。
若林さんの寺は、代々住職を務め、西本願寺を長く支えてきました。しかし現実は厳しく、門徒の数は10年で半分ほどに減少しています。地域のつながりが薄れる中で、若林さんは宗派の枠を越えた活動にも参加し、仏教に関心を持ってもらう場づくりに取り組んできました。
学生や会社員が集まる都市部のイベントでは、参加者の悩みに答えるトークセッションが行われます。
若林さんは、僧侶として学んできた言葉で真剣に向き合おうとしますが、必ずしも思いが届くとは限りません。後日、質問をした本人に声をかけたところ、自分の答えが納得されていなかったことを知り、深く考え込むようになります。
「伝えたつもり」でも、「届いていない」。その事実は、若林さんに大きな課題を突きつけました。
そんな中、若林さんに訪れたのが、父であり住職の眞人さんの病でした。
診断は末期がん。余命は数か月と告げられます。それでも眞人さんは、僧侶として法話を残したいと、自らの体を押して語りの場に立ちました。
避けることのできない死について、自分自身の姿を引き合いに出しながら語る父の言葉。その姿は、若林さんの心に深く刻まれます。
法話から3日後、眞人さんは亡くなりました。
父を見送り、若林さんは「別れのつらさ」や「悲しみ」そのものを、体験として受け取ります。
そして、「浄土に生まれて仏となる」という言葉が、頭ではなく、支えとして心に残ったと感じるようになります。
父の死から3か月後、若林さんは再びイベントの場に立ちました。今度は、言葉を整えすぎるのではなく、同じ目線で悩みに向き合うことを意識しながらです。そこには、僧侶として新たな一歩を踏み出す覚悟がありました。
年末、御煤払いが行われる御影堂と阿弥陀堂では、新しい年を迎える準備が進められていました。
長く続いてきたこの行事は、過去を区切り、次へと向かうための時間でもあります。
西本願寺が問い続けているのは、形としての伝統を守ることではありません。
人が悩み、苦しむ時代に、どう向き合い続けるのか。その一点に、すべてが集約されています。
親鸞の教えは、過去のものではなく、いまを生きる人のそばで、静かに、しかし確かに力を発揮しようとしています。
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