2時間で心まで満たされる 出雲大社という特別な場所
出雲大社は、ただ有名な神社を見て回る場所ではありません。参道の一歩目から神話の世界に入り、建物や森、遺跡を通して、日本人が大切にしてきた「縁」「命」「国づくり」の考え方に触れられる場所です。
この番組では、出雲大社を2時間で巡るための最短で無理のないルートを使い、19の必見ポイントを3つのエリアに分けて紹介していました。短い時間でも、出雲大社の本質が自然と伝わる構成になっています。
出雲大社に向かうまでの道と最初の40分の意味
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出雲大社の最寄り駅は出雲大社前駅です。出雲市駅からは電車でおよそ30分ほどで到着します。
車窓からは出雲の町並みが少しずつ変わっていき、終点に近づくにつれて「特別な場所へ向かっている」感覚が強まります。
駅を出るとすぐ目の前に広がるのが、表参道の神門通りです。
土産物店や甘味処、老舗の店が軒を連ねる門前町で、歩く速さも自然とゆっくりになります。
参拝前に気持ちを落ち着かせ、これから向かう出雲大社の空気に心をなじませてくれる道です。
出雲大社の正式な読み方は「いずもおおやしろ」。
これは「神様をお祀りする大きなお社」という意味を持っています。
ここに祀られているのは大国主大神です。
人と人とのご縁だけでなく、仕事、土地、人生そのもののつながりを結ぶ神様として信仰され、縁結びの神様として広く知られています。
また、豊かさをもたらす神様として大黒様とも呼ばれてきました。
出雲大社がいつ、どのように始まったのかは、実ははっきりとは分かっていません。
しかし、『日本書紀』には659年に天皇が建て直しを命じたという記録が残されています。
このことから、少なくとも7世紀にはすでに出雲大社が存在していたと考えられています。
はるか昔から、出雲の地が特別な信仰の中心であったことがうかがえます。
最初のエリアは40分。
この時間は、ただ参道を歩くだけの移動ではありません。
参道に点在する社や像、景色を通して、なぜ大国主大神が縁結びの神様になったのか、その歩みを追っていく時間です。
神話の世界と現実の風景が重なり合いながら、出雲大社の物語が少しずつ立ち上がってきます。
下り参道と祓いの社に込められた意味
最初の必見ポイントは「下り参道」です。
多くの神社やお寺は、山や高台に向かって上っていく参道が一般的ですが、出雲大社の参道は珍しく、鳥居をくぐるとゆるやかに下っていきます。
この形には意味があるとされ、神様のもとへ向かうときは、自分を高めるのではなく、自分を低くして進む心構えが大切だという考え方が表れているという説が紹介されました。
歩き始めた瞬間から、気持ちが自然と落ち着き、日常から切り離された空気に包まれていくのも、この下り参道ならではの感覚です。
参道を進むと、次に現れるのが祓社(はらえのやしろ)です。
ここは、日々の生活の中で知らず知らずのうちに身につけてしまった穢れを祓うための場所とされています。
祀られているのは、伊邪那岐命が黄泉の国から戻ったあと、身を清めた際に生まれたとされる「祓戸四柱神」です。
参拝前に心身を整え、神様の前に立つ準備をする大切な場所として位置づけられています。
また、ここで紹介されたのが、出雲大社ならではの参拝作法です。
一般的な神社では二礼二拍手一礼が多いですが、出雲大社では二礼四拍手一礼が正式な作法とされています。
これは神様への敬意をより深く表すためとされ、拍手の回数にも意味が込められています。
さらに、2013年に行われた出雲大社本殿遷座祭のような特別な祭りの際には、八拍手になることもあります。
番組では、これは神様を限りなくたたえ、感謝の気持ちを尽くすための所作だと説明されていました。
この下り参道から祓社までの流れは、出雲大社を訪れる人にとって、心を整え、神話の世界へ足を踏み入れる最初の入口となる大切な時間です。
相撲と神話がつながる土俵と松の参道
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参道の途中、橋の左手に見えてくるのが出雲大社の土俵です。
この土俵は一辺が約7.3メートルあり、一般的な大相撲の土俵よりも少し大きい造りになっています。
参拝の途中に土俵が現れる神社は珍しく、出雲大社が持つ独特の歴史と文化を感じさせる場所です。
相撲の祖とされる野見宿禰は、出雲大社の13代目宮司だったとも伝えられています。
天皇の前で当麻蹴速と力比べを行い、勝利した出来事が、現在の相撲の始まりにつながったと考えられています。
この土俵は、単なる競技の場ではなく、相撲の起源と神事が結びついた特別な場所として位置づけられています。
2019年には、横綱の白鵬がこの地で奉納土俵入りを行いました。
神様に技と力を捧げるこの所作は、出雲大社と相撲の深い関わりを今に伝える象徴的な出来事でした。
土俵の近くに鎮座する野見宿禰神社には、相撲だけでなく、さまざまなスポーツの必勝祈願を願う人々が今も多く訪れています。
土俵を過ぎると、その先に広がるのが約400メートルにわたって続く松の参道です。
この松並木は、江戸時代に松江藩の藩主の妻が、夫の病気が治ることを願って1000本もの松を植えたことが始まりと伝えられています。
それから約400年にわたり植え替えが繰り返され、今も当時の松が数本残っているといいます。
松の参道の中央には道がありますが、ここは「正中」と呼ばれ、神様が通る場所とされています。
そのため参拝者は中央を避け、左右の道を歩くのがよいとされてきました。
歩く位置ひとつにも意味が込められていることが、出雲大社らしい特徴として番組で紹介されていました。
この土俵から松の参道にかけての流れは、出雲大社が神話・歴史・人の願いを重ねながら受け継がれてきた場所であることを、静かに実感させてくれます。
大国主大神の物語と因幡の白うさぎ
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参道沿いに立つ大国主大神の像は、神様になる前の若い頃の姿を表しています。
大きな袋を背負い、兄弟神たちの荷物を持たされ、まるで召使いのように扱われていた時代の姿です。
この像は、はじめから力ある神様だったのではなく、苦労を重ねながら歩んできた存在であることを静かに伝えています。
この像が象徴しているのが、『因幡の白うさぎ』の物語です。
島へ渡ろうとしたうさぎは、海の生き物をだまして並ばせ、その背中を渡っていきましたが、最後に真実を見抜かれ、皮をはがされてしまいます。
そこへ現れた兄弟神たちは、海水を浴びれば治ると教え、うさぎをさらに苦しめました。
しかし、大国主大神だけは違いました。
正しい知恵を使い、真実の方法でうさぎを助け、傷ついた体を元に戻したのです。
この行動が、知恵と慈愛をあわせ持つ神様としての力につながったと語られています。
その後、須勢理姫命と出会い、二人は恋に落ちます。
しかし、その恋は簡単なものではありませんでした。
須勢理姫命の父である素盞鳴尊は、娘を託すにふさわしい存在かどうかを確かめるため、次々と厳しい試練を与えます。
命の危険にさらされるような試練もありましたが、大国主大神は知恵と助けを得ながら、すべてを乗り越えていきました。
その姿から、困難に立ち向かう強さと、人との縁を大切にする心が伝わってきます。
こうして試練を終えた大国主大神は、地上の国を治めるよう命じられます。
しかし、国造りは簡単には進みませんでした。
思い悩む大国主大神の前に現れたのが、幸魂と奇魂という二柱の神様です。
この神々から力を授かったことで、国造りは大きく前へ進み、ついに成し遂げられたと伝えられています。
参道に並ぶ像は、この一連の物語を順にたどれるよう配置されています。
ただ立っている像ではなく、苦難から始まり、知恵と縁によって国を築いていく歩みが、空間そのものに表現されているのです。
ここを歩くことで、大国主大神が縁結びの神様として信仰される理由が、自然と心に残る構成になっていました。
杵那築の森と国譲りの神話
像の奥へと進んでいくと、静かな空気に包まれた杵那築の森にたどり着きます。
この森は、建物がなくても森そのものがお社の役割を持つ特別な場所とされています。
足元の地面の下には、出雲大社が建てられた際に使われたと伝えられる稲が埋められているという言い伝えがあり、目に見えない部分にこそ大切な意味が込められている場所です。
この森で語られるのが、「国譲り」の神話です。
大国主大神が長い時間をかけて治め、豊かに育ててきた地上の国に、天照大御神の使いが現れます。
その使いは、この国を天照大御神の子孫に譲ってほしいと交渉を持ちかけました。
国を守り、育ててきた大国主大神にとって、この申し出は簡単に受け入れられるものではありません。
神話では、話し合いと試練を重ねた末に、大国主大神は国を譲る決断をします。
ただし、その条件として「雲よりも高い立派な宮を建てること」を求めたと伝えられています。
それが、現在の出雲大社につながっているという物語です。
国を奪い合うのではなく、話し合いによって未来をつないでいくという考え方が、この神話の大きな特徴です。
この「国譲り」の場面は、出雲に伝わる伝統芸能の大土地神楽の演目として今も受け継がれています。
舞や音楽を通して語られることで、神話は過去の物語ではなく、土地の記憶として生き続けていることが分かります。
杵那築の森に立つと、神話、信仰、そして出雲の人々の暮らしが一体となって重なっていることを、静かに感じ取ることができます。
拝殿から御本殿へ 出雲大社の中心部
第2エリアは50分。
ここからいよいよ出雲大社の中心部へと足を踏み入れていきます。
参道を進んできた流れとは空気が少し変わり、神域の核心に近づいていることがはっきりと感じられる区間です。
まずくぐるのが銅鳥居です。
長い時間をくぐり抜けてきた参道の終わりと、中心部の始まりを分ける存在で、この鳥居を越えることで気持ちが自然と引き締まります。
その先に現れるのが、1959年に再建された拝殿です。
この拝殿は、1953年の火災によって一度全焼しています。
番組ではその歴史にも触れられ、現在の姿が長い年月と人の手によって守られてきたものであり、決して最初からそこにあったわけではないことが伝えられていました。
「今見ている景色は、受け継がれてきた結果なのだ」という視点が、ここで強く印象づけられます。
拝殿の先に構えるのが、1667年に造られた八足門です。
この門は重要文化財に指定されており、出雲大社の中でも特に格式の高さを感じさせる場所です。
門の外と内では、音の響きや空気の重さが変わるように感じられ、ここが神様の領域との境目であることを、体感として理解できます。
そして、その奥にそびえるのが御本殿です。
1744年に造営されたこの建物は、国宝に指定されています。
屋根の広さは片面だけで約180畳もあり、最大で1メートルという圧倒的な厚みを持っています。
近くで見上げると、その大きさと静かな存在感に、自然と足が止まります。
番組では、芸術家の岡本太郎が、出雲大社の御本殿を「日本建築美の最高の表現」と評した言葉も紹介されました。
派手な装飾ではなく、形や構造そのものが持つ力強さと美しさが評価された言葉です。
この第2エリアでは、出雲大社が単なる信仰の場ではなく、歴史・建築・思想が重なり合った場所であることが、建物の一つ一つから伝わってきます。
参道で神話を知り、ここでその神話を受け止める「場」としての重みを感じる流れが、50分という時間の中にしっかりと組み込まれていました。
心御柱と神々が集う十九社
2000年に発掘された鎌倉時代の心御柱は、出雲大社の歴史を考えるうえで非常に重要な発見として紹介されました。
この心御柱は、一本ではなく複数本を束ねた構造で見つかり、かつての出雲大社が、現在の御本殿とは比べものにならないほど巨大な神殿だった可能性を示しています。
番組では、発掘された実物だけでなく、古代の出雲大社模型や復元図も使って解説され、雲に届くほど高かったと伝えられる神殿の姿を具体的に想像できる構成になっていました。
「伝説」や「神話」として語られてきた話が、実際の出土品によって現実味を帯びてくる場面です。
その流れで紹介されたのが十九社です。
十九社は、19枚の扉を持つ建物で、神様たちの宿とされています。
旧暦10月、全国の神々が出雲に集まるとされる「神在月」の間、神々がここに滞在すると伝えられています。
普段は静かな建物ですが、この扉の数や配置を見ることで、出雲大社が「神々の集まる場所」として考えられてきた世界観を、建築を通して実感できます。
さらに、御本殿の裏側に回ることで、正面からは分からない出雲大社のもう一つの姿が見えてきます。
屋根の下には神輿が納められており、神事の際に重要な役割を果たしてきたことが分かります。
番組では、仮殿遷座祭の映像も紹介され、御本殿が修理や改修のたびに仮殿へと神様をお移しし、再び戻すという営みを、何度も繰り返してきた歴史が伝えられていました。
この心御柱、十九社、御本殿の裏側という流れは、出雲大社が一つの時代で完成した場所ではないことを強く印象づけます。
古代から中世、近代、そして現在まで、形を変えながら受け継がれてきた信仰の積み重なりが、このエリアには凝縮されていました。
素鵞社と西側拝礼所が教えるもう一つの視点
素鵞社には、素盞鳴尊が祀られています。
御本殿のすぐそばにありながら、空気が少し変わるように感じられる場所で、足を止める人も多く見られます。
社の背後に広がる岩場は、自然の力が集まる場所として知られ、パワースポットとして語られてきました。
岩そのものに手を合わせる人の姿もあり、神様と自然が強く結びついていることを実感させてくれます。
素盞鳴尊は、神話の中で大国主大神の父にあたる存在でもあり、出雲の神々の物語がここで一本につながります。
続いて紹介されたのが西側拝礼所です。
ここでは、正面ではなく西を向く御神体と向き合って拝礼を行います。
多くの神社とは向きが異なるため、意識して訪れないと気づきにくい場所ですが、出雲大社を理解するうえで重要な意味を持っています。
西側拝礼所から意識が向く先にあるのが稲佐の浜です。
この浜は、全国の神々を迎える場所として知られ、出雲の神話において欠かせない舞台となっています。
番組では、御本殿だけで神話が完結するのではなく、稲佐の浜を含めた土地全体で物語が成り立っていることが語られました。
素鵞社、西側拝礼所、そして稲佐の浜へと視線がつながることで、
出雲大社の信仰は一つの建物に閉じたものではないということがはっきりと伝わってきます。
神様の存在は点ではなく線で結ばれ、さらに土地全体へと広がっている。
このエリアは、出雲の神話が持つ広がりと奥行きを実感できる場所として印象に残ります。
命主社から大しめ縄へ 深まる理解の30分
第3エリアは30分。
ここからは、出雲大社を「知る」から「理解する」へと進む時間になります。
建物の大きさや神話の物語だけでなく、命や信仰がどのように受け継がれてきたのかを、静かに感じ取れる場所が続きます。
まず訪れるのが命主社です。
この社には、樹齢千年以上とされるムクノキが立っています。
長い年月を生きてきたその姿は、ただの御神木ではなく、命そのものの象徴のように感じられます。
ここに祀られているのは神産巣日神で、万物の命を生み出す神様とされています。
人の一生だけでなく、自然や世界そのものの始まりに思いを巡らせる場所です。
次に紹介されたのが真名井遺跡です。
この遺跡からは、勾玉や銅戈といった古代の祭祀に使われたと考えられる品が出土しています。
神話の世界だけで語られてきた出雲の物語が、実際の出土品によって現実の歴史と結びつく場面です。
想像の中の神話と、地中から現れた遺物が重なり合うことで、出雲大社の時間の深さがよりはっきりと感じられます。
近くにあるのが真名井の清水です。
「真名井」とは神聖な井戸を意味し、この水は特別なものとして扱われてきました。
井戸の中にある小石は、出雲大社の神事にも使われており、自然の一部がそのまま信仰につながっていることが分かります。
水、石、土地が切り離されることなく、神様と結びついている感覚が残る場所です。
そして最後に登場するのが神馬神牛像です。
神馬像は江戸時代に、神牛像は明治時代に寄進されたものとされています。
時代は違っても、人々が神様への思いを形にし、捧げ続けてきたことが、この二つの像から伝わってきます。
信仰は一つの時代で終わるものではなく、世代を超えて受け継がれてきたものであることを、静かに物語っています。
この第3エリアは、派手さはありませんが、
出雲大社が持つ「命」「歴史」「信仰の連なり」を深く感じ取れる締めくくりの時間となっていました。
神楽殿の大しめ縄で旅が完成する
最後に訪れるのが神楽殿の大しめ縄です。
この場所は、出雲大社を巡る旅の締めくくりとして、多くの人の記憶に強く残る場面でもあります。
番組では、1932年に撮影された神楽殿の写真が紹介され、現在の姿へと受け継がれてきた歩みが語られました。
その後、1981年に神楽殿が再建されたことにも触れられ、建物とともに信仰の形が守られてきた歴史が伝えられています。
大しめ縄は、5年から6年ごとに新しいものへと架け替えられ、同じ姿のままではなく、時を重ねながら更新され続けている存在です。
この大しめ縄を作っているのが、島根県の飯南町です。
稲わらをより合わせ、一本一本の工程を積み重ねて完成させる作業は、機械だけでは成り立ちません。
地域の人々の手仕事によって作られ、運ばれ、架け替えられることで、出雲大社の信仰は今も現実の暮らしと結びついています。
目の前に立つと、その圧倒的な大きさに思わず見上げてしまいますが、
同時に感じられるのは、単なる迫力ではなく、人の手で守られてきた信仰の重みです。
神楽殿の大しめ縄は、出雲大社が神話の世界だけでなく、今を生きる人々によって支えられている場所であることを、静かに教えてくれます。
まとめ
出雲大社を2時間で巡るこのガイドは、時間を追う旅ではなく、物語をたどる旅でした。参道で心を整え、神話に触れ、建築と遺跡で歴史を感じ、最後に大しめ縄で信仰の形を目にします。
短い時間でも、出雲大社がなぜ特別な場所なのか、その理由が自然と胸に残る構成になっていました。
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