神々と怪談が重なる場所へ 小泉八雲が愛した出雲の時間
このページでは「超体感!八雲が愛した神々の里 ばけばけ出雲旅(2026年1月1日放送)」の内容をもとに、出雲と松江に残る風景や暮らし、そして小泉八雲と小泉セツが見つめた日本の姿をたどります。湖と城、怪談と神話、食と祈りがどのようにつながっているのかを追っていきます。
松江に降り立った八雲と変わらない水の景色
旅の始まりは松江市です。出雲大社から東へおよそ30km、中海と宍道湖を結ぶ大橋川から番組は静かに動き出しました。川の流れは、湖と海をつなぐ境目であり、松江の町が水とともに形づくられてきたことを感じさせます。
小泉八雲は明治23年8月30日、40歳のとき蒸気船で松江に到着しました。松江で過ごしたのは1年3か月という短い期間ですが、この時間の中で、後の創作につながる体験と出会いが重なっていきます。
最初に宿泊した富田旅館は現在残っていませんが、同じ場所では別の旅館が今も営業を続けています。建物は変わっても、旅人を迎える場所としての役割は受け継がれてきました。
今も変わらない風景として紹介されたのが宍道湖です。東京ドーム約1700個分という広さを持つ湖は、朝夕で表情を変えながら、当時の八雲が見た景色を今に伝えています。
八雲は1850年にギリシャのレフカダ島で生まれ、幼少期をアイルランドで過ごしました。39歳で来日し、松江に教師として赴任します。慣れない土地での生活を支えたのが、のちに妻となる小泉セツでした。水の都・松江は、八雲にとって日本との最初の深いつながりを感じる場所となりました。
松江城と語り継がれる怪談の世界
松江の町を見守る存在が松江城です。築城は1611年で、全国に5つしかない国宝の城のひとつとされています。番組では観光名所としてではなく、町の中心として自然に暮らしの中にある姿が描かれました。
この城は小泉八雲の日々の散歩コースでもあり、城の周囲を歩きながら町の空気や人々の暮らしを感じ取っていたことが伝わります。城の北側にある城山稲荷神社では、狐の石像が並び、八雲が特に好んだ場所として紹介されました。
さらに印象的だったのが月照寺に伝わる大亀の石像の話です。夜になると町で暴れ、人を食らうようになったと語り継がれるこの亀は、恐れの象徴でした。しかし、住職が藩主の功績を刻んだ石碑を背中に置くと鎮まったと伝えられています。
恐ろしさだけで終わらず、鎮める知恵が語り継がれている点に、日本の怪談の特徴があります。八雲はこうした話の中に、恐れと同時に慈悲や思いやりを見出しました。
現在では松江観光協会が主催する松江ゴーストツアーも行われ、怪談は町歩きの文化として今も息づいています。
宍道湖のしじみが支える暮らし
松江の味として知られるのがしじみです。宍道湖は20を超える川から流れ込む淡水と、日本海からの海水が混じり合う汽水湖で、塩分濃度は海水の約10分の1とされています。この環境がヤマトシジミの成育に適している理由です。
番組では、しじみ漁師の仕事の様子も紹介されました。しじみ漁には厳しい決まりがあり、一日に漁ってよい量は2箱、およそ90kgまでと定められています。さらに禁漁日も設けられ、資源を守る仕組みが続いています。
漁を終えて帰宅すると、しじみの大きさや中身の有無を一つずつ確認する選別作業が行われます。この作業によって品質が保たれ、宍道湖のしじみの信頼が支えられています。
湖の自然条件、漁のルール、家庭での地道な作業が重なり合い、松江の味は守られてきました。しじみは食材であると同時に、暮らしそのものを映す存在です。
八雲とセツが暮らした武家屋敷
小泉八雲と小泉セツが共に暮らしたのは、松江城北側のお堀沿いにある武家屋敷です。現在は記念館が併設され、八雲のひ孫にあたる小泉凡さんが案内役として登場しました。
この家に二人が住んだのは約5か月半。八雲は、日本庭園のある武家屋敷で暮らすことを強く望んでいたと伝えられています。異国の地での生活の中で、日本の住まいそのものが心の拠り所になっていました。
八雲が日本に関心を持ったきっかけは、アメリカで新聞記者をしていた頃に英訳された『古事記』を読んだことでした。多くの神々が集う出雲への思いは、来日前から心の中にありました。
セツは松江で八雲の身の回りの世話をするため住み込みで働くようになり、言葉の壁を越えて心を通わせていきます。やがて結婚し、セツが集め語った物語を、八雲が英語で書き留めました。それが著書『怪談』として世に出て、日本の物語が世界へと伝わっていきます。二人三脚の創作の時間が、この武家屋敷に残されています。
稲佐の浜と出雲大社 神話の中心へ
一畑電車に乗り、旅は出雲の中心へと向かいます。出雲市東部の斐川町では、あちこちに神様がいるという感覚が今も残り、波知神社では宮司の案内で土地の信仰が紹介されました。
稲佐の浜は国譲り神話の舞台として知られ、神話と現実が重なる象徴的な場所です。後に行われる神迎神事とも深く結びついており、出雲の信仰の要となっています。
出雲大社は日本最古の神社のひとつで、明治以前は杵築大社と呼ばれていました。八雲は松江赴任からわずか2週間後にここを訪れています。
参拝者は八足門までしか入れませんが、八雲は西洋人として初めて本殿への立ち入りを許され、宮司から直接話を聞いたと伝えられています。神話の中心に実際に立ち会った体験は、八雲の日本観をさらに深めるものとなりました。
食と温泉、祈りが続く出雲の日常
出雲の名物として紹介されたのが蕎麦です。蕎麦の実を殻ごと挽く製法が特徴で、香りとコクのある味わいが生まれます。寒い時期には釜揚げそばが親しまれ、体を温める食として根付いています。
島根は温泉地としても知られ、温泉津温泉では薬師湯が紹介されました。湯冷めしにくい泉質で、疲労回復や関節痛に良いとされています。八雲もこの温泉町を訪れ、土地の湯に触れていました。
龍御前神社では石見神楽が行われ、神様に奉納する神事が、人々に親しまれる芸能として続いている様子が映し出されました。神話は語られるだけでなく、舞や音として今も生きています。
新年を迎える出雲の祈りと営み
冬の出雲で欠かせない食材が十六島海苔です。12月から2月の限られた期間、この場所でしか採れず、海が荒れると漁ができないため非常に貴重とされています。
丸餅に十六島海苔をのせ、出汁で食べるのが出雲地方のお雑煮です。素材の味をそのまま生かした食べ方に、土地の暮らしが表れています。
年末の美保関町では諸手船神事が寒空の中で行われました。一年を締めくくる神事として、地域の人々が集い、海と向き合う時間が流れます。
旅の最後は稲佐の浜で行われる神迎神事です。八百万の神々を迎えるこの行事は、神話が過去の物語ではなく、今も暮らしの中に息づいていることを示しています。
八雲が見つめた日本が今も息づく場所
小泉八雲が見た出雲は、特別な世界ではなく、神々と共に生きる人々の営みが重なる場所でした。湖、城、怪談、食、祈り。その一つ一つが今も続き、出雲は変わらず神々の里として在り続けています。
NHK【歴史探偵】西田千太郎と小泉八雲“カタカナの手紙”の謎 『臥遊奇談』が生んだ怪談の源流を追う|2025年12月3日
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