伊勢神宮への旅・第三夜|白子宿の巨大港とサーキットの謎!江戸の土産文化
2025年4月19日(土)放送予定の『ブラタモリ』第三夜では、伊勢神宮を目指す旅の中でも三重県鈴鹿市に焦点をあてた内容が展開されます。今回の見どころは、鈴鹿サーキットにある“謎の池”の正体や、白子宿に築かれた徳川御三家の巨大港の歴史、さらに江戸時代に大流行したお伊勢参りの“土産文化”まで、多彩な視点で「伊勢路の真価」が掘り下げられます。
放送後、さらに詳しい内容が明らかになり次第、最新情報を追記します。
鈴鹿サーキットに潜む“逆バンク池”の秘密
今回の放送ではまず、タモリさんが鈴鹿サーキットのコース内を“激走”します。そして見つけたのが、コース内にぽつんと存在する「逆バンク池」という謎の空間です。一見ただの池に見えますが、これには設計上の意図と景観を整える役割が隠されています。
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「逆バンク池」はサーキットの逆バンクコーナー付近に位置している
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人工池であり、周囲は芝生や樹木で整備されていて、季節によって表情が変わる
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ドライバーからも視認できる場所にあり、レース中の風景にアクセントを加えている
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サーキット全体の設計思想として、自然との調和や観客の視覚的楽しみを考慮した要素の一つ
この池は、レースやイベントの合間に立ち寄る人の心を癒すだけでなく、“世界に誇るサーキット”が持つ環境演出の一例としても注目されそうです。
白子宿と徳川御三家が築いた「幻の巨大港」
番組後半で取り上げられるのが、江戸時代に栄えた東海道五十三次の宿場町「白子宿」です。この町には、徳川御三家・紀州藩が築いたとされる巨大港「白子港」が存在していました。白子港は、単なる海の玄関口ではなく、当時の物流と軍事を支える重要拠点でした。
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紀州藩の領地である和歌山と江戸を結ぶ物資の流通拠点として活躍
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白子港は伊勢湾に面しており、潮の流れが穏やかで港として最適だった
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周囲には藩の管理施設や米蔵、船問屋、商家が並び、地域の経済も活性化
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白子宿を経由し、東海道へとつながる交通網も発達していたため、海と陸の要衝として機能
現在は港の形は残っていませんが、周辺の地名や古地図、わずかに残る石碑などから当時の様子を知ることができます。紀州藩の力がこの地にまで及んでいたことの証拠として、今も研究が進められています。
江戸のお伊勢参りブームが生んだ“超絶技巧”の土産文化
番組のもう一つの見どころは、江戸時代に流行した“お伊勢参り土産”の誕生秘話に迫る場面です。参拝者たちが伊勢神宮での体験を持ち帰るために選んだ品々には、地元の職人たちの技が詰まっていました。
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木製の細工物、精巧な紙細工、組み木のおもちゃなどが人気の土産だった
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特に白子宿周辺では、漆細工や伊勢人形などの製作が盛んに行われていた
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土産には信仰的意味合いもあり、家族や親戚に無事の報告と感謝を込めて持ち帰られた
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中には手のひらサイズの小さな神棚や、お札を模した飾り物もあった
タモリさんは、その土産を作った現代の工房や職人の技術継承の現場を訪ね、“モノに込められた心”がどのように今に受け継がれているかを深く探っていきます。
白子宿が語る伊勢路のもうひとつの顔
今回のルートである伊勢路は、90kmの道のりを桑名から伊勢神宮へと向かう旅路ですが、その途中にある白子宿は、海と街道をつなぐハブのような存在でした。物流・信仰・生活の交差点として、町全体が一体となって旅人を迎えていた様子がうかがえます。
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現在も白子宿周辺には江戸時代の町割りが一部残っており、まち歩きにも人気
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白子駅や旧港周辺には、宿場の面影を感じさせる石畳や道標が残されている
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周辺地域では、当時のお伊勢参りにちなんだイベントや祭りが開催されていることも
このように、ただの通過点ではなく、地域文化が詰まった「拠点」としての宿場町の存在感が今も残されています。
まとめ
『ブラタモリ』伊勢神宮への旅・第三夜は、スピードと歴史が交差する鈴鹿市の魅力をたっぷり味わえる回になりそうです。サーキットという現代の象徴と、白子宿という江戸時代の面影を残す町。その両方を歩くことで、一つの地域に秘められた“時間の重なり”を体感することができるでしょう。
放送の内容と異なる場合があります。
放送後、詳しい内容が分かり次第、最新の情報を更新します。
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