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【世界がほれた 絶品!翔ケース】京都×和菓子|なぜ世界はこの甘さと形に心を奪われたのか

文化
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世界がほれた京菓子の正体

このページでは『世界がほれた 絶品!翔ケース(2026年1月6日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
櫻井翔さんと佐藤卓さんが向き合ったのは、京都の和菓子が持つ「おいしさ」だけではありません。神社や暮らし、季節と結びつきながら受け継がれてきた背景、限られた素材から生まれる技、そして世界に通じるデザインとしての価値でした。この記事を読むことで、なぜ京菓子が世界的ショコラティエをも惹きつけ、日本の宝として語られたのか、その理由が見えてきます。

「世界がほれた 絶品!翔ケース」番組の狙いと“翔ケース”という仕掛け

番組は、櫻井翔さんと佐藤卓さんが、都内某所にあるデザイン研究所で「日本の宝」を探すところから始まります。
ここで扱われる“宝”は、すでに有名な観光資源ではなく、世界の視点で見たときに本当に誇れる価値を持つものです。
日本各地から集められた情報を一つずつ検討する中で、今回選ばれたテーマが京都府の和菓子でした。

和菓子は、国内では当たり前の存在でありながら、背景や思想まで含めて語られることは少ない分野です。
だからこそ番組は、「なぜ京都の和菓子なのか」「何が世界に通じるのか」を、体験を通して可視化する構成をとっています。

その象徴が、佐藤卓さんが制作した『翔ケース』です。
『翔ケース』は、和菓子を収納するための箱ではありません。
集める・運ぶ・背負うという行為そのものをデザイン化した装置です。

櫻井翔さんが京都の町を歩き、出会った和菓子を一つずつケースに収めていく。
その姿は、「これは買って消費するものではなく、価値として集めるものだ」というメッセージを、言葉を使わずに伝えています。
背負うことで重さを感じ、数が増えることで存在感が増していく。
宝を集める行為そのものが、価値を実感するプロセスになっています。

番組の狙いは、和菓子を「おいしい名物」として紹介することではありません。
観光名物として流通する前の、本来の姿に立ち返り、
それを世界に誇れるデザインと文化の結晶として見つめ直すことにあります。

どの店を訪ね、どの菓子を選ぶか。
その一つ一つの選択が、「なぜこれが宝なのか」という問いにつながっています。
集めるという行為を通して、和菓子が持つ背景・思想・技術が、少しずつ浮かび上がってくる。
番組は、その過程そのものを見せることで、価値の再発見を視聴者と共有していました。

京都の和菓子が“神社・暮らし・季節”と結びつく理由

最初の舞台は 賀茂別雷神社(上賀茂神社) です。
京都の和菓子文化を語るうえで、神社との結びつきは欠かせません。
神事や祭礼とともに菓子が作られ、納められ、受け継がれてきた歴史が、今も町の中に息づいています。

この神社に餅を納めてきた菓子店で作られる名物が『やきもち』です。
形はすべて
京都では、角が立つことを避け、円満・調和・やわらかさを大切にする感覚が根づいています。
その美意識は、建物や庭だけでなく、日々口にする和菓子の形にも表れています。

『やきもち』の材料は、餅米・小豆・砂糖のみ。
驚くほど少ない素材ですが、その分、素材そのものの質火加減や練り加減が味を左右します。
余計なものを足さず、限られた条件の中で完成度を高める姿勢は、京都のものづくり全体に通じる考え方です。
引き算の美学が、ここにははっきりと見えます。

また、円城新子さんが語ったように、京都では季節の移り変わりを和菓子で感じる習慣があります。
たとえば6月。
水無月』を手渡された瞬間に、「ああ、もう6月だ」と自然に分かる。
暦や天気予報を見なくても、菓子そのものが季節を知らせる合図になります。

おはぎ』や『花びら餅』も同じです。
これらは一年中いつでも食べるお菓子ではなく、出てくる時期が決まっているからこそ意味を持ちます。
京都では、和菓子が単なる甘いものではなく、暮らしの時間を整える存在として機能してきました。

神社と結びつき、暮らしに溶け込み、季節を映す。
京都の和菓子は、信仰・生活・時間を静かにつなぐ役割を果たしてきた文化そのものです。

今回登場した京菓子の技と背景(焼きもち/旅奴/フルーツ大福ほか)

住宅街で紹介された『旅奴』は、小麦粉・卵・砂糖・黒砂糖だけで作られる、きわめて素朴な和菓子です。
表面はなめらかではなく、手でちぎったままの無骨な形
整えすぎない姿そのものが、この菓子の個性になっています。

この店の女将さんは、「旅奴は私の人生」と語りました。
高校時代、旅奴を持ってきた男性と出会い、卒業後に交際し、やがて結婚に至ったという事実があります。
特別な演出や言葉がなくても、一つの菓子が人生の記憶と結びつく
旅奴は、贈答品でも流行菓子でもなく、日常の延長線上で人と人をつないできた存在でした。

続いて紹介された『フルーツ大福』は、1980年代後半に一度大きなブームを迎えた和菓子です。
多くの地域では流行で終わりましたが、京都では違いました。
番組で取り上げられた店では、果物を上に乗せるのではなく、餅で包み込むことにこだわります。

大きさも重要な要素です。
満足感はありながら、「もう一つ食べたい」と思えるサイズに抑える。
この感覚は、食べ手の気持ちを先回りして考える京都らしい発想です。
餅で包むという技は、創業以来100年間守られてきた考え方であり、見た目だけでなく、口に運んだときの一体感まで計算されています。

このほかにも、京都の和菓子を象徴する品々が並びました。
小麦粉と砂糖、卵、塩だけで作られる『唐板』。
豆の粉をまぶした粟ようかん『黄檗』。
上質な餡をすり蜜で包んだ半生菓子『丹波大納言 松露』。
透明感とシャリシャリした食感を持つ『琥珀』。
光沢のある表面が印象的な『烏羽玉』。
稲を刈る鎌の形をした『鎌餅』。

どの菓子にも共通しているのは、材料の少なさ形の控えめさです。
派手な装飾や強い甘さで印象づけるのではなく、
作り続けることで完成度を高めてきた歴史そのものが、味と姿に表れています。

京都の和菓子においては、
「新しいものを足す」よりも、
同じものを作り続けること自体が高度な技でした。
番組は、その積み重ねこそが、京都の和菓子を特別な存在にしていることを、静かに伝えていました。

佐藤卓のデザイン視点で読む京菓子(形・質感・ルール)

集められた和菓子を前に、佐藤卓さんはデザインの視点から京菓子を読み解いていきます。
ここで語られるのは、味の評価や好みではありません。
形・質感・重さ・光の受け方といった、目と身体で感じる要素です。

たとえば『フルーツ大福』。
外側の餅がほんのり半透明になり、中の果物の色や輪郭がうっすら透けて見える。
この「見せすぎない透け感」が、食べる前から想像を膨らませます。
寒天菓子では、光を通したときの表情そのものが完成形の一部になっています。

きんとん菓子では、そぼろの細かさや立ち上がり方が印象を左右します。
指で触れたときの柔らかさ、箸で持ち上げたときの重さ。
京都の和菓子は、*見た目だけで完結せず、触感や密度まで含めた『テクスチャー』を持っています。
佐藤さんは、その豊かさを改めて学び直したいと感じたと話していました。

佐藤さんが繰り返し強調したのが、『ルール』の存在です。
材料が限られている
工程が決まっている
自由に見える和菓子づくりは、実は多くの制約の上に成り立っています。

佐藤さんは、完全な自由からはデザインは生まれないと語ります。
むしろ、制限があるからこそ、工夫が生まれ、表現が研ぎ澄まされる。
京菓子は、その考え方を何百年も前から実践してきた存在でした。

同じ材料、同じ工程であっても、
力の入れ方、練りの加減、整え方で、仕上がりは大きく変わります。
そのわずかな差が、店ごとの個性になり、作り手の思想になります。

佐藤卓さんの視点を通して浮かび上がったのは、
京菓子が「昔ながらの食べ物」ではなく、
高度な思考と試行錯誤が積み重なったデザインの結晶であるという事実でした。

世界に伝える“コピー”と、ジャン=ポール・エヴァンが惚れた核心

世界的ショコラティエ ジャン=ポール・エヴァンは、京菓子司の富藏さんを強く評価しています。
長年、京都に通い続け、和菓子を自身の創作の手本としてきたエヴァンさんにとって、富藏さんは京菓子の神髄を体現する存在でした。

富藏さんが手がける『深山の錦』と『唐錦』は、同じ材料を使っています。
違いは、仕上げ方だけです。
それにもかかわらず、完成した姿はまったく別の表情を見せます。

『深山の錦』は、餡を裏ごしし、箸でそぼろ状にした餡を、餡玉にまとわせていく菓子です。
そぼろの細かさまとわせ方力の入れ具合
ほんのわずかな違いで、花びらのようにも、重たくもなります。
富藏さんは、そぼろが潰れず、ふわりと広がる瞬間を目指して仕上げます。

一方の『唐錦』は、同じ材料を茶巾絞りで包み込みます。
生地を平らに広げ、餡玉を包み、濡れ布巾で絞る。
包む動作と絞る動作だけで、印象は一変します。
翔さんが挑戦した際も、包み方ひとつで完成度が大きく変わることがはっきりと分かりました。

ジャン=ポール・エヴァンさんが、富藏さんから学んだと語ったのが『抽象性』です。
京菓子は、すべてを説明しません。
名前を聞いたときに、「ああ、そうか」と受け手の中で意味が立ち上がる余白を残します。

色や形、銘に込められた意図は、押しつけられるものではなく、
想像する側に委ねられています
説明しすぎないからこそ、見る人・食べる人それぞれの感じ方が生まれる。
この姿勢こそが、エヴァンさんが「現代的」と感じた理由でした。

番組の最後に、佐藤卓さんが考えたコピーは、
京都の和菓子を『スイーツの彫刻』と表現するものでした。
味だけでなく、があり、質感があり、意味がある。
食べる前から、見ることで完結する価値を持つ存在です。

京菓子は、甘味として消費されるだけのものではありません。
思想と技術、時間の積み重ねが形になった作品です。
世界に向けて語られるべき日本の宝が、ここにあることを、
この場面は強く印象づけていました。

まとめ

『世界がほれた 絶品!翔ケース』は、京都の和菓子を通して、日本の文化とデザインの力を描いた番組でした。
神社と結びつく丸い菓子、暮らしに寄り添う旅奴、季節を知らせる水無月、制約から生まれる美しさ、そして抽象性という余白。
京都の和菓子は、過去の遺産ではなく、今も進化し続ける『生きたデザイン』であることを、この回は静かに、しかし力強く伝えていました。

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