豊臣兄弟のすごろく人生 天下統一までの道が一気に見える
このページでは『歴史探偵(2026年1月1日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
新春スペシャルとして放送された今回は、歴史探偵と大河ドラマ 豊臣兄弟!がコラボし、豊臣秀吉と豊臣秀長という兄弟が、どのようにして戦国の世を生き抜き、天下統一へと近づいていったのかを、すごろく形式でたどりました。
貧しい農村から始まり、織田信長との出会い、家臣団との競争、弟・秀長の活躍、そして大坂城での天下統一まで、一つひとつの出来事がつながる構成になっています。この記事を読むことで、番組で描かれた豊臣兄弟の強さの正体と、その歩みが立体的に見えてきます。
戦国下剋上すごろくでたどる秀吉の出発点
番組の中心企画が『戦国下剋上すごろく』です。
スタートは尾張国の農村、ゴールは天下統一の象徴である大坂城。
このすごろく形式によって、豊臣兄弟の人生が一続きの道として描かれていきます。
最初にすごろくを進めて登場した重要人物が織田信長でした。
秀吉は現在の愛知県名古屋市中村区で生まれ育ったとされ、番組では中村区に残る秀吉ゆかりの史跡も紹介されています。
常泉寺にある『豊太閤産湯の井戸』は、秀吉が生まれたときに産湯として使われたと伝えられている場所です。
貧しい農民の家に生まれた秀吉は、慎ましい暮らしの中で育ちました。
戦国時代は、戦で戦う兵の半数が百姓だったとされ、身分は低くても活躍すれば目に留まる時代でした。
秀吉が下剋上を目指せた背景には、こうした社会状況があったことも、すごろくの序盤で分かりやすく示されていました。
清須城の普請が変えた秀吉の運命
信長に仕え始めた秀吉は、最初から武士だったわけではありません。
番組では、秀吉が織田家に奉公人として入り、掃除や雑用をしていたことが語られました。
転機となったのが清州城の城壁修理です。
城壁が崩れたにもかかわらず、修繕が進まず、信長が強く苛立っていた場面が紹介されました。
そのとき秀吉は、「3日で直してみせる」と提案します。
秀吉は城壁を細かく区画に分け、職人を複数のチームに配置しました。
さらに「一番最初に直した職人に褒美を与える」と宣言します。
褒美を得るため、職人たちは一斉に必死で働き、結果として城壁は1日で元通りになりました。
この働きが信長の目に留まり、秀吉は奉公人から足軽へと昇進します。
段取りと人の動かし方が、秀吉の運命を大きく変えた出来事として、番組の中でも強調されていました。
信長家臣団との出世競争
すごろくを進めると、前田利家、滝川一益、丹羽長秀といった信長の家臣団が次々に登場します。
ここから秀吉は、実力者たちとの出世競争に巻き込まれていきます。
信長の家臣団は、血縁関係のある『連枝衆』、一軍を率いる『部将』、そして信長直属の武士である『旗本』によって構成されていました。
前田利家は、その中でも『母衣衆』と呼ばれる精鋭部隊に属していました。
『母衣』とは背中にかける大きな布で、戦国時代には大将の側にいる特別な武士の証とされていました。
赤母衣衆と黒母衣衆の2つの部隊があり、信長が実力で武士を選びました。
利家は若くして赤母衣衆に抜擢され、筆頭を務めた人物です。
信長は家柄よりも能力を重視する人物だったため、秀吉もこうした精鋭たちと同じ土俵で評価されました。
この厳しい競争環境こそが、秀吉の出世をより際立たせる背景になっていました。
柴田勝家という大きな壁
信長家臣団の中でも、秀吉の前に立ちはだかった最大の存在が柴田勝家です。
番組では、柴田勝家が「織田家最強」と呼ばれていたことが紹介されました。
大河ドラマ 豊臣兄弟!では、俳優の山口馬木也が柴田勝家を演じています。
山口馬木也は柴田勝家について、「勇猛果敢な武士で、部下に慕われ、求心力のあるリーダー」と語っています。
このコメントは、勝家が単なる武闘派ではなく、人望を集める存在だったことを示しています。
すごろくの中では、秀吉が戦で次々と武功を挙げていく一方で、勝家という大きな壁が常に意識されていました。
その中で、秀吉が一人で戦っていたわけではないことが、次の展開で明らかになります。
秀長の登場と兄弟の役割分担
ここで物語に本格的に登場するのが弟の豊臣秀長です。
秀長が歴史の表舞台に現れるのは、秀吉が信長に仕えてから15年以上が過ぎた後でした。
浅井長政と朝倉義景が信長を裏切り、戦を仕掛けてきた際、秀吉は殿を務めます。
命がけで信長を守り抜いたこの働きによって、秀吉は浅井の領地を与えられ、長浜城の城主となりました。
さらに『長篠の戦い』での活躍が評価され、秀吉は織田家の重臣として大軍を任される立場になります。
この時、秀吉と秀長は兄弟そろって、毛利輝元が治める中国地方の平定を任されました。
番組では、兄の秀吉が前に立って進み、弟の秀長がそれを支える形で役割分担していたことが、分かりやすく描かれていました。
竹田城と鮎漁免状が示す秀長の強み
中国地方平定の中で、秀長が初めて任された城が竹田城です。
竹田城は雲海に浮かぶ姿から『天空の城』とも呼ばれ、番組でもその壮麗さが紹介されました。
秀長は、ここを拠点に毛利方に与する有子山城の攻略を進めます。
しかし、秀長には船がなく、川を使った移動ができないという不利な状況がありました。
そこで秀長が出した策が『羽柴秀長鮎漁免状』です。
地元の漁師たちに対し、鮎漁の際には税を取らないと約束しました。
この免状によって、漁師たちは安心して協力し、秀長は船を確保することができました。
円山川を北上し、有子山城へと進軍した結果、天正8年に城は陥落します。
秀長のやり方は、少ない犠牲で最大の成果を上げるものであり、兄とは違う強みがはっきりと示されました。
本能寺の変と運命の分かれ道
すごろくが止まったマスは『本能寺の変』です。
信長の家臣である明智光秀が謀反を起こしたという衝撃の知らせが、秀吉と秀長のもとに届きます。
番組では、光秀の人物像についても触れられました。
光秀は風呂好きで知られ、京都の妙心寺には、光秀を弔うために建てられた浴室があります。
史料『兼見卿記』には、光秀が交流のあった公家の家で蒸し風呂を所望したという記述が残っています。
豊臣兄弟は謀反人となった光秀を討ち、秀吉は関白の地位を得ます。
ここで物語は、下剋上から天下人への決定的な転換点を迎えました。
大坂城と天下人のもてなし
すごろくのゴールは大坂城です。
戦国時代の大坂城は、現在よりもはるかに巨大な城だったと説明されました。
天守には、秀吉が大名たちをもてなすために用いた『黄金の茶室』がありました。
この茶室は組み立て式で、どこへでも運べたとされています。
百姓出身の自分が天下人になったことを示す、強い象徴でした。
一方で、番組は権威だけでは天下は安定しないことも描きます。
そこで活躍したのが秀長です。
かつて敵だった毛利輝元が上洛した際、秀長は自ら出迎え、奈良の興福寺や春日大社を案内しました。
心を配ったもてなしが、相手の信頼を得る力になっていました。
うぐいす餅に込められた兄弟の心
すごろくがゴールすると、ごほうびとしてスタジオに『うぐいす餅』が登場しました。
この和菓子は、秀吉をもてなす茶会のため、秀長が菓子職人に作らせたと伝えられています。
天下統一という大きな物語の最後に、ささやかな菓子が登場したことで、豊臣兄弟の人を思う姿勢が際立ちました。
戦と政治の裏側には、こうした心配りがあったことを印象づける締めくくりでした。
Eテレ【先人たちの底力 知恵泉】しがらみなし!地方の底力豊臣秀吉やるときは大胆に|地方出身・決断力・賤ヶ岳の戦い・京の大改造|2025年12月30日
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