旅する明治天皇の知られざる軌跡
このページでは『歴史探偵 旅する明治天皇(2026年1月28日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
明治日本が大きく動き出したあの時代、明治天皇は最先端の技術も、傷跡の残る土地も、遠い北の大地も自らの目で見て歩きました。軍艦で海を渡り、人々の声に耳を傾け、時に馬車が立ち往生すれば地元の若者と力を合わせる。その一つひとつの出会いが、国をつなぎ、未来を形づくっていきます。
壮大な旅路の先にあった日本の姿を、一緒にたどっていきましょう。
明治天皇、近代日本へのロングジャーニーが始まる
番組の前半では、明治天皇が全国を旅した「巡幸」が、どれほどスケールの大きいプロジェクトだったのかが描かれていました。明治5年、第1回の巡幸で天皇は洋装に身を包み、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允・伊藤博文・大隈重信・岩倉具視といった維新の中枢メンバーおよそ70人を従え、近代国家づくりの最前線へと乗り出します。
移動手段として選ばれたのは、最新鋭の軍艦龍驤。当時としては超ハイテクな移動スタイルで、政府が「天皇自らが近代化を体験すること」にどれだけ本気だったかが伝わってきます。
大阪では、明治4年に創業した造幣局を視察。ここで天皇が行在所にした建物が、現在も残る洋風建築泉布観です。泉布観は造幣寮(現・造幣局)の応接所として建てられたレンガ造2階建ての洋館で、名称そのものを明治天皇が「貨幣の館」という意味を込めて命名したと伝えられています。
当時、造幣局には30人以上の外国人技師が在籍し、日本初の近代的な貨幣生産が進んでいました。明治天皇は彼らをねぎらう晩餐会を開き、技術者たちを直接励まします。天皇が単に「象徴」として巡るのではなく、現場を見て、そこで働く人々のモチベーションを上げていたことが分かります。
京都では産業博覧会を視察し、国内外の最新発明品を前に、天皇が一つ一つ質問を浴びせたというエピソードも紹介されました。蒸気機関や織機など、近代化を象徴する技術を前に、「なぜこう動くのか」「どんな材料なのか」と細かく尋ねたと伝わっており、探究心の強さが際立ちます。
一方で、長崎では空気が一変します。西洋式の洋装に対して「日本の伝統が壊れる」と危機感を持った人々が、洋装反対の意見書を提出。これに対し西郷隆盛が一喝し、近代化にブレーキをかけさせまいとした場面が、ドラマチックに描かれていました。地方と政府の間には、近代化への温度差が確かに存在していたのです。
巡幸のラスト近く、悪天候によって予定外に横浜港へ立ち寄ることになった一行。政府はこのチャンスを逃しません。仮営業中だった蒸気機関車に天皇を乗せ、品川まで走らせます。わざわざルートを変えてまで最新交通インフラを体験してもらうあたり、「天皇に近代日本の全てを体で覚えてもらう」という明治政府の執念がはっきり見えてきます。
熊本の民泊と東北巡幸が変えた「天皇との距離」
続いて番組は、熊本での「民泊」に注目します。明治天皇が熊本を訪れた際、宿泊先となったのが地元商人・米村家の別邸、現在明治天皇小島行在所として知られる建物です。ここは10畳ほどの座敷を中心とした木造家屋で、いわば天皇の「民泊先」。明治5年の巡幸時、旧藩主細川家の御旅所だった米村家住宅が行在所に指定され、その後熊本市に寄贈されて文化財になっています。
第1回の巡幸で、民家に宿泊したのは全国でわずか3か所だけ。しかし第2回の巡幸では、この「民泊」が一気に増えていきます。移動手段も軍艦から馬車が中心となり、天皇がより地元の暮らしに近づいていく流れが見えてきます。
皇室記録の編纂に携わってきた岩壁義光氏は、天皇が各地の民家や村を訪れることによって、人々が「天皇は遠い神ではなく、同じ空間に生きている存在だ」と実感したはずだと指摘します。その象徴的な場面として紹介されたのが、明治天皇記に記された青森でのエピソードです。急な坂道で馬車の車輪が空転して立ち往生したとき、地元の青年たちが一斉に駆け寄り、力を合わせて馬車を押し上げた――その様子が丁寧に記録されています。
第2回巡幸の舞台に選ばれたのは、戊辰戦争の激戦地でもあった東北地方。とくに福島県白河市は、激しい戦火にさらされた町として知られます。戦後わずか7年で天皇がこの地を訪れ、地元の人々から当時の惨状を直接聞き取ったことは、単なる視察以上の意味を持ちます。征服者ではなく「話を聞く存在」としての天皇像が、ここで強く打ち出されているのです。
さらに番組では、天皇が馬好きだったことにも触れられます。ある土地では、天皇を喜ばせようと馬の展示会が開催され、全国から約1500頭もの馬が集まったといいます。明治政府が軍事・開拓の上でも馬を重視していたことと重なり、巡幸が軍事・産業・文化の全てを巻き込んだ巨大イベントだったことが分かります。
カメラと錦絵がつくった「旅する明治天皇」のイメージ
スタジオパートでは、河合敦氏が「メディアが果たした役割は大きい」と語った部分が核になっていました。明治政府は巡幸のたびにカメラマンや新聞記者を同行させ、さらに旅の様子を描いた錦絵を大量に世に出します。
当時、写真はまだ高価で新しいメディアでした。天皇や要人が写る写真が新聞に載ること自体がニュースであり、読者にとっては「近代国家の顔」を視覚的に確認する機会になります。地方の人々にとって、天皇の姿を写真で見ることは、自分たちの暮らしが大きな国家の枠組みにつながっていると実感するきっかけになりました。
一方の錦絵は、もっと幅広い層に届くポップカルチャー的なメディアです。色鮮やかな版画で、明治天皇が軍艦に乗る姿、六連島灯台を視察する姿、各地の行列や馬車のシーンなどが描かれ、人々はそれを土産物として持ち帰りました。六連島灯台は山口県下関市沖の島に建つ灯台で、明治5年の九州巡幸で天皇が訪れた最初の「灯台行幸」の場所としても知られています。
こうしたビジュアルメディアの力によって、「旅する天皇」のイメージは、実際に行幸を目撃していない人々の間にも広がっていきました。巡幸そのものが、近代日本をPRする巨大キャンペーンだったとも言えます。
北海道巡幸と屯田兵、ビール工場で見たフロンティア
番組後半のクライマックスは、北海道での巡幸です。明治政府は、ロシアの南下政策に備えるため、北海道に屯田兵制度を設けました。全国から集められた元武士や農民たち、家族も含めて約4万人が北海道に入植し、警備と開拓、そして食料増産の担い手となります。
明治天皇は巡幸の道中でこの屯田兵たちと対面し、演習を視察しながら励ましの言葉をかけたと伝えられています。北のフロンティアで汗を流す兵・農民たちにとって、天皇の訪問は「自分たちの努力は国家から見られている」という強烈なメッセージになりました。
札幌では、明治9年に設立された開拓使麦酒醸造所を訪れます。ここは現在のサッポロビールの前身で、ドイツ式ラガービールづくりに挑戦した日本初の本格ビール工場です。
番組でも紹介されたように、見学の際に明治天皇はそこで造られていたビールを試飲し、「おかわり」を所望したというエピソードが残っています。後年、サッポロビール博物館として整備された建物には、明治天皇が座った椅子が今も保存されており、「重ねて所望された」という当時の記録も伝わっています。
さらに、北海道北広島市では、天皇は中山久蔵と面会します。久蔵は、寒さに強い米赤毛を使って、北海道での稲作を成功させた人物です。北広島市島松の地で、昼夜を問わず水温を管理しながら栽培方法を開発し、明治6年に初めて収穫に成功したとされています。
巡幸の際、明治天皇はこの赤毛で炊いたご飯を実際に口にし、栽培方法や収穫の様子について次々と質問を重ねたと伝えられています。北海道という新しいフロンティアで、「兵士の食」と「国民の食」を支える農業技術が生まれつつあることを、天皇自身が確認した場面でした。
「赤毛」からななつぼし・ゆめぴりかへ続く米づくりの革命
番組では、北海道で誕生した赤毛が、その後の日本の米づくりにどれほど大きな影響を与えたのかにも踏み込んでいました。寒冷な北海道では長らく稲作は不可能と考えられていましたが、中山久蔵の挑戦によって、寒さに強い赤毛種の栽培が成功し、開拓民たちの主食確保に道筋がつきます。
久蔵は、自分だけが儲けるのではなく、全道の開拓者に種もみを無償で配り、北海道一帯に稲作が広がるきっかけをつくりました。この赤毛は後に改良が重ねられ、現代の北海道を代表するブランド米ななつぼしやゆめぴりかの「先祖」にあたる品種とされています。
つまり、明治天皇が北海道巡幸で口にした赤毛のご飯は、今日の北海道ブランド米につながる「起点」の味でもあったわけです。番組は、この歴史的なつながりを丁寧に示しながら、巡幸が単なる政治イベントではなく、日本の食文化と農業技術の進化とも深く結びついていたことを浮かび上がらせていました。
巡幸が切り開いた明治日本のゴールとその先
物語のラストでは、壮大な巡幸のエンディングが描かれます。明治天皇の全国巡幸は明治18年に終わり、その翌年には大日本帝国憲法が発布されます。天皇と政府要人は議会や各種公務に忙殺され、長期間東京を離れることは難しくなっていきました。
スタジオで佐藤二朗は、「明治時代の急激な変化に人々は戸惑いながらも、それを乗り越えていった。その背中を押したのが巡幸だった」といった趣旨のコメントを述べます。近代化への期待と不安が入り混じる中で、天皇が全国を旅し、現場を見て人々の声を聞き、ときには馬車を一緒に押し、屯田兵や技師たちを励ます――その積み重ねが、「この国は一つだ」という感覚を育てていったのだと番組は断言していました。
歴史探偵「旅する明治天皇」は、教科書に載る年号や制度の裏側で、どれだけ多くの出会いと物語が折り重なっていたのかを、具体的な場所や建物、食べ物(ビールや米)まで絡めながら描き出した回でした。泉布観、六連島灯台、熊本の小島行在所、札幌の開拓使麦酒醸造所、北広島の赤毛の田んぼ――それぞれの現場をたどることで、「旅する天皇」が実際に見て、味わい、語りかけた明治日本の姿が、ぐっと立体的によみがえってきます。
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