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NHK【名宝消失】幻の名刀・蛍丸はどこへ消えたのか|GHQ刀狩りと有明海投棄説の真実|2025年11月24日

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名宝消失 幻の名刀・蛍丸が問いかけるもの

このページでは『名宝消失 幻の名刀・蛍丸(2025年11月24日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
蛍丸は、かつて旧国宝に指定されながら戦後の混乱の中で姿を消した日本の名刀です。番組は、その誕生の背景から消失の経緯、そして現代に受け継がれる思いまでを丁寧に追いました。この記事を読むことで、幻の名刀がなぜ今も語り継がれるのか、その理由が見えてきます。

蛍丸とは何か 阿蘇神社に伝わる名刀と伝説

蛍丸は、鎌倉時代に活躍した名工・来国俊が手がけた大太刀で、肥後国、現在の熊本県に深く結びついた存在です。長年にわたり阿蘇神社に伝えられ、阿蘇家が代々守り続けてきました。刀は単なる武器ではなく、神社に奉納される神聖な存在として扱われてきたことが分かります。
蛍丸という名は、南北朝時代の武将・阿蘇惟澄にまつわる伝承から生まれました。戦で傷つき、刃こぼれした刀を携えて休んでいたとき、夢の中で蛍が集まり、刃の欠けが消えていく光景を見たと伝えられています。目覚めると実際に刃こぼれが消えていたため、人々はこの刀を『蛍丸』と呼ぶようになりました。こうした語り継ぎは、蛍丸が武の象徴であると同時に、信仰と結びついた特別な存在だったことを示しています。

旧国宝・蛍丸の実像 押し形と唯一残る写真

戦前に作成された蛍丸の押し形からは、その具体的な姿が読み取れます。全長136.36センチという堂々たる大きさは、実戦用というよりも、威厳や格式を示すための大太刀だったことを感じさせます。作者名である来国俊の銘が刻まれている点も、日本刀の中でも高い評価を受ける理由の一つです。
実物を写した写真は、熊本県立済々黌高等学校に残された一枚のみとされています。この写真は、現在も蛍丸の実在を伝える重要な資料です。さらに、明治24年には明治天皇が阿蘇神社で蛍丸を鑑賞したことが新聞で報じられています。昭和6年に国宝指定を受けたことからも、蛍丸が日本刀の中で特別な位置にあったことが分かります。

終戦とGHQの刀狩り 蛍丸が消えた日

太平洋戦争が終結した昭和20年、日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部は、武器の所持を禁じる命令を出しました。これにより全国で刀狩りが行われ、日本刀は警察を通じて回収されていきます。
阿蘇神社でも昭和20年12月4日、蛍丸を含む阿蘇家伝来の3本の刀が提出されました。当時の記録によると、提出自体は正式な手続きを踏んで行われています。しかしその後、昭和27年にまとめられた行方不明刀剣の一覧に蛍丸の名が記され、所在が分からなくなっていることが明らかになります。昭和25年の文化財保護法により、旧国宝は重要文化財という位置づけになりましたが、蛍丸は再び人々の前に戻ることはありませんでした。

有明海投棄説と海外流出説 行方をめぐる三つの可能性

番組では、蛍丸の行方について複数の可能性が整理されました。まず、有力視されてきたのが有明海への投棄説です。三角西港三角駅周辺では、戦後に武器が海へ投棄されたという証言が残されています。しかし、当時使われた木箱の長さは約115センチで、135センチを超える蛍丸が収まらないことが確認されました。
次に示されたのが、米兵による海外流出の可能性です。実際に、GHQの刀狩りで行方不明になった重要文化財の日本刀が、後年になって海外で確認された例があります。こうした事例は、蛍丸にも同様の経緯があった可能性を示しています。
さらに、国内で秘かに保管された可能性も否定できません。提出後まもなく、箱と袋だけが残っていたという証言もあり、誰の手に渡ったのかは分かっていません。

生涯をかけた探索 阿蘇惟友が追い続けた蛍丸

終戦後、台湾から帰国した阿蘇惟友は、失われた蛍丸の行方を探し続けました。進駐軍関係者から得た証言や、当時の行政機関の見解を手がかりに、さまざまな可能性を追いました。
文化財保護委員会が「蛍丸は熊本県内にあるが所有者は分からない」としていた時期もありましたが、具体的な所在は明らかになりませんでした。惟友は探究を途中でやめることなく、生涯を通じて調査を続けましたが、最終的に蛍丸を見つけ出すことはできませんでした。その姿勢から、蛍丸が阿蘇家にとってどれほど大切な存在だったかが伝わってきます。

復元に込めた想い 現代に蘇った幻の名刀

行方不明から70年が経過した2015年、刀剣ブームを背景に蛍丸復元の動きが本格化しました。クラウドファンディングによるプロジェクトには、多くの支援が集まり、最終的には目標を大きく上回る資金が集まります。制作を担ったのは、九州出身の刀匠・福留房幸です。
復元された蛍丸は、押し形や写真などの資料をもとに、形や大きさが忠実に再現されました。同じ時期に発生した平成28年熊本地震阿蘇神社が大きな被害を受けたこともあり、この復元は地域にとって大きな意味を持つ出来事となりました。現在、文化庁が把握する行方不明の文化財は130件以上あり、その半数が日本刀です。蛍丸の復元は、失われた文化財をどう未来へつないでいくのかを考える象徴的な取り組みとして、今も語り継がれています。

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