下町に残るコンクリート長屋の記憶
このページでは『気になる家 下町のコンクリート長屋(東京・清澄白河)(2026年1月12日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
舞台になるのは、東京・清澄白河の下町に静かに続く清澄長屋。普段は何気なく通り過ぎてしまいそうなのに、立ち止まって見てみると、街の歴史や人の暮らしが重なって見えてくる建物です。
清澄長屋ってどんな建物?
番組の舞台になる清澄長屋は、東京・清澄白河の下町エリアに並ぶコンクリート造りの長屋です。清澄通り沿いに同じ高さの建物が続き、外から見ると店舗が連なっているように見えます。
この建物は、一般には「旧東京市営店舗向住宅」と呼ばれることが多く、もともとは東京市が建てた公的な住宅でした。1階が店舗、上階が住まいというつくりで、商いと生活が同じ場所に重なっています。
現在も実際に使われ続けている点が特徴で、昔ながらの商店だけでなく、時代に合わせて使われ方が変わった店舗も見られます。街を歩いていると突然現れる存在で、下町の日常の中に溶け込んでいます。
清澄庭園の近くに位置し、表通りと緑の多いエリアが隣り合う立地も、この長屋を語るうえで欠かせない要素です。
1928年、震災復興から生まれた発想
清澄長屋が建てられたのは、関東大震災後の復興が進められていた1928年(昭和3年)です。当時の東京市が、震災に強い建物として鉄筋コンクリート造を採用しました。
この建物の大きな特徴は、『店舗付き住宅』という形です。住む場所と働く場所を分けず、同じ建物の中にまとめることで、生活の立て直しを支える役割を果たしました。
震災後の下町では、家を失うだけでなく、仕事の場も同時に失う人が多くいました。その中で、店を再開しながら暮らせる仕組みは、復興期の街にとって重要な意味を持っていました。
番組では、この建物が生まれた背景として、当時の都市計画や復興の考え方が、街の姿と重ねて紹介されていきます。
見どころは並びと装飾、そしてつくり
映像で注目されるのは、まず建物の並びです。清澄通りに沿って約250メートルにわたり、同じような外観の建物が続いています。歩いていく映像では、長屋ならではの連続性がはっきり伝わります。
次に、コンクリート造でありながら施された装飾です。壁や柱の細部には昭和初期らしい意匠が残り、無機質になりすぎない表情を見せています。
さらに、1階が店舗、上階が住居という断面構造も重要なポイントです。通りに面した店の気配と、その上に広がる生活空間が一体になっています。
現在では、リノベーションされた店舗やギャラリーなども入り、建物の基本構造を保ちながら使われ続けている様子が確認できます。
東京大空襲でも残った長屋
番組説明で触れられている通り、東京大空襲では江東区周辺の多くが焼失しました。その中で、清澄長屋は焼け残り、住人を守った建物として紹介されます。
この背景には、鉄筋コンクリート造という構造があります。もともと震災に備えて建てられた建物でしたが、その堅牢さが戦災の中でも結果的に機能しました。
周囲が焼け野原となった状況の中で、建物が残ったことは、そこに住んでいた人々の生活をつなぐ拠点にもなりました。
放送では、戦災の被害が広がった街の様子と、この長屋が残った事実を対比しながら、建物の役割が整理されていきます。
築100年の味わいと裏側の風景
築100年近い年月を経た清澄長屋の内部には、壁や天井に長い時間の積み重ねが表れています。コンクリートの質感や、使い込まれた痕跡が、そのまま残っています。
番組説明にある「家の裏に広がる意外な絶景」は、立地と深く関係しています。長屋の裏側は清澄庭園に近く、表通りとは異なる静かな景色が広がっています。
にぎやかな通り側と、落ち着いた緑の風景。この二つが背中合わせになっている点も、この建物の特徴です。
現在も店舗付き住宅として使われ続けていることで、過去の建物がそのまま保存されているのではなく、日常の中で生き続けている様子が番組では描かれていきます。
まとめ
清澄白河の下町に残る清澄長屋は、震災復興の中で生まれ、戦災をくぐり抜け、いまも使われ続けている建物です。
『気になる家 下町のコンクリート長屋(東京・清澄白河)』では、建物そのものだけでなく、そこに重なってきた街の歴史や暮らしの時間が丁寧にたどられていきます。
まだ放送前のため、具体的なエピソードや登場人物については触れていませんが、放送後に内容を確認しながら、この記事は書き直します。
【気になる家】国分寺の洋館「お化け屋敷」の再生物語!老姉妹と隣人の感動の交流|2025/1/13放送
気になるNHKをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。
コメント