人形とは何かを見つめる25分
1998年放送の名作をよみがえらせるおとなのEテレタイムマシン。今回は四谷シモンの創作現場に迫った回です。
このページでは「おとなのEテレタイムマシン 土曜美の朝 少女のかたち 私のかたち 人形作家四谷シモン(2026年2月17日放送)」の内容を分かりやすくまとめています。
なまめかしいリアリズムをたたえた等身大の人形。その制作の裏側と、「人形とは何か」という問いを追います。
おとなのEテレタイムマシンが呼び戻す「土曜美の朝」四谷シモン回
今回の番組は、NHKのアーカイブから選ばれた過去番組をリマスターして届けるおとなのEテレタイムマシンです。
取り上げられるのは、1998年放送の「土曜美の朝」で紹介された四谷シモンの回です。
番組の中心にあるのは、「なまめかしいリアリズムを漂わせる」等身大の人形で知られる作り手が、そもそも“人形とは何か”を探し続ける姿です。
カメラは完成品を見せるだけではなく、創作の現場そのものを訪ね、手が動く瞬間を追います。
四谷シモンとは何者か 人形作家としての歩みと舞台の時間
ここであらためて、番組の中心人物である四谷シモンの歩みを整理して紹介します。作品の背景を知ることで、創作の現場に映る一つひとつの動きが、より立体的に見えてきます。
人形と出会った青年時代
四谷シモンは1944年生まれの人形作家であり、俳優としても活動してきました。若いころから人形制作に打ち込み、自ら素材を選び、形を探り続けてきた人物です。1960年代、ドイツのシュルレアリスム作家ハンス・ベルメールの人形作品に触れ、その独特な身体表現に強い衝撃を受けました。分解や再構成が可能な身体という発想は、のちの球体関節人形制作へとつながる大きな転機となりました。
舞台経験がもたらした身体感覚
四谷は唐十郎率いる状況劇場に役者として参加していた時期があります。前衛演劇の現場で培われた身体への鋭い感覚は、人形制作にも色濃く反映されました。立ち方や重心、視線の角度といった細部への意識は、単なる造形を超えた存在感を生み出します。完成した人形が静かに立つ姿には、舞台に立つ俳優のような緊張感が宿ります。
等身大人形と教育への広がり
1970年代、女性の等身大人形を個展で発表し、美術界に大きな反響を呼びました。実際の人間に近い大きさだからこそ生まれる迫力と、繊細な肌の質感が多くの注目を集めました。そして1978年には人形学校「エコール・ド・シモン」を開校し、制作技術と思想を次世代へ伝えていきます。創作と教育の両輪が、日本における球体関節人形文化の発展を支えてきました。
等身大の人形が生まれる場所へ 制作現場と素材、手の動き
「少女のかたち 私のかたち」 人形に宿るリアリズムの理由
番組タイトルにある「少女のかたち 私のかたち」は、単にかわいらしさを語る言葉ではありません。
そこには、作り手自身のまなざしや記憶、身体感覚が重なっています。
四谷シモンの人形は、見る人によって受け取り方が変わります。
「きれい」と感じる人もいれば、「こわい」と思う人もいます。
そして同時に、「どこか懐かしい」と口にする人もいます。
一つの印象に決めきれないところに、作品の深さがあります。
番組紹介文では、四谷の人形が「なまめかしいリアリズム」を漂わせると説明されています。
このなまめかしいリアリズムは、写真のように正確という意味だけではありません。
皮膚の質感やまぶたの重さ、わずかな唇の厚みが、人の存在を思わせるのです。
人形なのに、人の気配がする。
近づくと、視線を返されるような感覚がある。
その感覚をどう生み出しているのかを、番組は制作の現場から丁寧に追いかけます。
そして番組の中心にあるのは、「人形とは何か」という問いです。
答えを一つに決めるのではなく、作りながら迷い、確かめ、また作る。
その積み重ねが、人形の表情や立ち姿ににじみ出ていきます。
問い続ける姿勢そのものが、作品の空気となって現れているのです。
球体関節人形と日本の表現 背景にある美術と時代の空気
四谷シモンの歩みには、1960年代から70年代の美術や舞台の熱気が重なります。
当時は、絵画や彫刻だけでなく、演劇や身体表現まで含めて「新しい表現」を探す動きが強まっていました。既存の形にとらわれず、人の身体そのものを問い直す流れが広がっていた時代です。
舞台に立った経験を持つ四谷にとって、人形は単なる“飾り”ではありませんでした。
立ち方や視線、重心の置き方までが意味を持つ“存在”として扱われます。
静かに立つ人形の姿に、舞台上の俳優のような緊張感が漂うのは、その身体感覚が根底にあるからです。
また、四谷は長く制作だけでなく教育にも関わってきました。
「エコール・ド・シモン」での指導は、技術を教える場にとどまりません。
人形を通して“人のかたち”を考える場でもあったと伝えられています。
造形の技術と同時に、身体をどう見るかという視点を育てる時間でもありました。
今回のおとなのEテレタイムマシンは、作品の紹介で終わる回ではありません。
創作の迷い方、問い続ける姿勢までを映し出します。
完成した人形の前で静かに立ち止まる時間。
制作現場で手が動き、形が変わっていく時間。
その両方を見比べることで、四谷シモンが探している「人形とは何か」という問いが、少しずつ自分の言葉として近づいてきます。
最後に
本記事は公開されている番組情報をもとに構成しているため、実際の放送内容と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。
今回は四谷シモンの創作現場に光を当て、人形とは何かという問いに向き合う姿を中心にまとめました。アーカイブからよみがえる貴重な映像を通して、その表現の奥行きを紹介しています。
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球体関節人形の源流と日本での広がり

ここで少し背景も紹介します。番組の理解を深めるために、日本における球体関節人形の歴史を整理しておきます。四谷シモンの創作は、突然生まれたものではありません。海外の前衛芸術からの影響と、日本独自の発展が重なり合って形づくられてきました。
ハンス・ベルメールの衝撃
1930年代、ドイツの芸術家ハンス・ベルメールは、球体で関節をつなぎ、自由にポーズを変えられる人形作品を発表しました。分解や再構成が可能な身体という発想は、当時の美術界に強い衝撃を与えました。人形は飾るものではなく、思想や身体観を表す表現へと変わったのです。この考え方がのちに日本へ伝わります。
日本での創作の始まり
1960年代、日本では澁澤龍彦がベルメールを紹介しました。その影響を受け、若い作家たちが球体関節人形の制作を始めます。中でも四谷シモンは、人の体に近い等身大の人形を発表し、大きな注目を集めました。関節があることで生まれる微妙な角度や重心の変化が、まるで本物の身体のような存在感を生み出したのです。
日本独自の広がり
1970年代以降、日本の球体関節人形は独自の美意識を深めていきます。少女像を中心にした表現や、繊細な肌の質感、静かなまなざしなど、日本的な感覚が加わりました。さらに1999年にはボークスが「スーパードルフィー」を発表し、創作人形は広く一般にも知られるようになります。芸術作品としての流れと、ホビー文化としての広がりが並行して進んだ点も、日本ならではの特徴です。
こうした歴史の積み重ねの中に、四谷シモンの表現があります。番組で描かれる創作の現場は、日本における球体関節人形史の大きな流れの一部でもあるのです。
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