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おとなのEテレタイムマシン×横尾忠則と瀧と冒険|滝と現代美術が交差する“フィールドワークの真髄”とは|2026年2月7日

おとなのEテレタイムマシン
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横尾忠則が挑んだ“瀧と冒険”の世界へ

このページでは『おとなのEテレタイムマシン 選 教育テレビスペシャル 横尾忠則と瀧と冒険(2026年2月7日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。

1993年に放送された名作がリマスターでよみがえり、横尾忠則が全国のをめぐりながら創作の源を探す姿が描かれます。水しぶきの迫力や自然の力に向き合う横尾の言葉は、今の視聴者にも深く響きます。
旅と芸術が交差するドキュメンタリーとして、作品が生まれる一瞬一瞬を追体験できる回です。

巨匠・横尾忠則と「滝」の特別な関係

横尾忠則さんが少年時代に見た空襲の赤 「何を描いても戦争の臭いがする」 創作の背景を聞いた:東京新聞デジタル

(画像元:横尾忠則さんが少年時代に見た空襲の赤 「何を描いても戦争の臭いがする」 創作の背景を聞いた:東京新聞デジタル)

まず知っておきたいのは、横尾忠則が単なる人気画家ではなく、「の画家」と呼びたくなるほど、このモチーフに取りつかれてきた人だということです。

横尾忠則は、ポスターやレコードジャケットで世界的に知られるグラフィックデザイナーとして出発し、その後は絵画に軸足を移してきたアーティストです。1980年代以降、とくにをテーマにした作品を集中的に描き、「Waterfall(滝)」などの大作を生み出しました。

番組の中でも触れられる重要な背景が、「瀧狂 横尾忠則Collection中毒」というポストカードコレクションの存在です。これは世界中のの絵葉書を、知人やファンにも呼びかけながら集め続けたもので、その数はなんと1万3,000枚以上。画集としてまとめられるほどの膨大な量で、の作品を描くための“資料”であり、同時に創作の燃料になりました。

こうした背景を知ってから番組を見ると、「を描く横尾忠則」ではなく、「に憑かれた横尾忠則」の姿が、ぐっと立体的に伝わってきます。

全国の滝をめぐる、体当たりのアートの旅

番組本編では、当時の教育テレビのスタッフがカメラとともに横尾忠則に密着し、日本各地のを一緒に旅してまわります。

ロケ地の細かい一覧は公式には公開されていませんが、映像には、山奥の深い森に隠れるように落ちる、観光地として知られる名瀑、冬の冷たい空気の中で白く煙るなど、さまざまな表情の水の流れが登場します。

旅のスタイルは、いわばロードムービー。
案内板を見上げたり、ゴウゴウと響く水音に耳を澄ませたり、ときには足元のぬかるみに苦笑いしたり。横尾忠則が一観光客のように歩き、見上げ、見とれる姿もたっぷり映し出されます。

それでも、カメラが少し引くと、そこにいるのはやはりアーティストです。
の落ち口や水しぶきの「どの部分を見るのか」、光の入り方や岩肌の色を、じっと見極めるような視線がたびたび映り込みます。

視聴者は、ただ美しい自然の映像を見るだけでなく、「この人は今、何を形として持ち帰ろうとしているのか」という、創作の目線を疑似体験できるのが、この旅パートの大きな魅力です。

水しぶきの前で進む「瀧と冒険」の制作プロセス

番組のもう一つの柱が、のそばや滞在先で進んでいく作品制作のシーンです。

スケッチブックを開き、鉛筆やペンで素早く線を走らせる横尾忠則
その線は、実際のを写し取るというより、揺れる白い帯、ねじれる水の塊、黒々とした岩の影といった「エネルギーの流れ」をつかまえようとしているように見えます。

番組では、屋外でのスケッチだけでなく、簡易なアトリエ空間に戻ってからの制作風景も映されます。そこでは、現場での印象をもとに、キャンバス上で色や形がどんどん変化していきます。

実際、横尾忠則はインタビューなどで、「を描くことによって、自分自身が浄化されていくように感じる」と語っています。
番組の中でも、白い絵の具が縦に流れ落ちるように塗られ、そこに赤や青の強烈な色が加わっていくプロセスが映し出され、画面そのものが“生きた”のように見えてくる瞬間があります。

ここでポイントなのは、の姿をそのまま写そうとしていないことです。
水の冷たさ、轟音、霧のような水しぶき、足元の不安定さ──そうした感覚を、絵の具と線に置き換える試行錯誤こそが、「瀧と冒険」の本当の見どころだといえます。

「瀧」と「冒険」が語る横尾芸術のメッセージ

番組タイトルのキーワードは、「瀧」と「冒険」。

横尾忠則にとって、はただの風景ではありません。
評論やインタビューの中で、彼はを「あの世とこの世の境界」のような場所として語ってきました。落下する水は、上から下へと強烈な力で落ち続ける“エネルギーの柱”。その前に立つことで、人間は日常の感覚から少し外れ、別世界の入口に立たされるような感覚になるのです。

番組の随所で、横尾忠則は自然の中でそっと言葉をこぼします。
「ここはちょっと怖いね」「絵にすると全然ちがう表情になる」──その一つ一つの言葉から、を“モチーフ”というより、“対話する相手”として受け止めていることが伝わってきます。

では、「冒険」とは何でしょうか。

この番組で描かれる「冒険」は、派手なアクションではなく、自分のスタイルや過去の成功パターンをあえて壊し、未知の表現に踏み込む行為そのものです。
1990年代の横尾忠則は、グラフィックの巨匠としてすでに評価を確立していましたが、それでもなお「今の自分では描けないもの」を求めて、身体を張ってへ向かいます。

繰り返し流れ落ちるの映像と、何度も塗り重ねられる絵の具。
その往復運動を眺めていると、「冒険」とは、遠くへ行くことではなく、「昨日までの自分」を更新し続けることなのだと気づかされます。

「おとなのEテレタイムマシン」という枠の意味

今回、この1993年の教育テレビスペシャルが、NHK Eテレのアーカイブ枠であるNHKの一シリーズとしてよみがえったことにも、大きな意味があります。

当時はブラウン管テレビで見られていた映像が、リマスターによってクリアな画質と音で蘇り、水しぶきの細かな粒や、の轟音に負けそうな現場の空気感まで、より鮮明に感じられるようになりました。

また、今の私たちは、スマホで何本も動画を切り替えながら見ることに慣れています。
そんな時代に、ひとつのをじっと見つめ続け、その前で絵を描き続ける横尾忠則の姿は、かえって新鮮に映ります。

アーカイブという言葉は「過去の記録」のように聞こえますが、の映像とともに記録されたこのドキュメンタリーは、むしろ今のクリエイターや学生、大人たちにこそ強く響く内容です。

「アイデアが出ない」「新しい表現が見つからない」と感じたとき、
横尾忠則が身体ごとの世界に飛び込み、そこで得た感覚を作品に変えていく姿は、「頭の中だけで考えず、まず動いてみよう」というシンプルなメッセージとして受け取ることができます。

まとめ

この記事は事前情報をもとに構成しているため、実際の放送内容と異なる場合があります。番組では横尾忠則が全国のを訪ね、その場で感じたエネルギーを作品へ落とし込む姿が描かれる予定です。自然と創作が重なり合う瞬間を追いかけることで、横尾芸術の核心がより立体的に見えてきます。

【おとなのEテレタイムマシン】現代ジャーナル 河合隼雄の最終講義〜こころを探る〜|コンステレーション心理学を日本語で読み解く“こころの星座”と1992年の講義回顧|2026年1月31日


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