心のままに撮るという覚悟
このページでは『おとなのEテレタイムマシン 土曜美の朝 心のままに撮る 写真家 植田正治(2026年1月20日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
一枚の写真に写るのは、目に見える景色だけではありません。写真家 植田正治が向き合ってきたのは、風景の中に潜む沈黙や、人の立ち姿が生む緊張感です。
生まれ故郷の鳥取を拠点に、世界へと広がった独自の写真表現。アトリエで語られる言葉や、静かに組み立てられる構図から、植田正治が貫いた「心のままに撮る」という揺るがない姿勢が、はっきりと浮かび上がります。
写真家 植田正治の歩み
植田正治は1913年生まれ、2000年に亡くなった日本を代表する写真家です。生涯を通して、故郷である鳥取・境港を離れずに活動を続けながら、世界的な評価を受けた存在でもあります。
彼の写真の特徴は、偶然に任せてシャッターを切るのではなく、被写体を配置し、構図を整え、明確な意図をもって撮影する点にあります。モデルになるのは、家族や身近な人々。日常にあるはずの光景が、写真の中ではどこか非日常的で、詩のような静けさを帯びます。
その独自性は海外でも高く評価され、1996年にはフランス政府から芸術文化勲章を受章しています。地方に根を張りながら、世界に届く表現を生み出した稀有な写真家です。
鳥取を拠点にした創作の舞台
植田正治の作品を支えているのは、鳥取の自然そのものです。都会のスタジオではなく、山陰の空、広がる地平線、そして砂丘の圧倒的な余白が、写真の背景として使われてきました。
砂丘に立つ人物は、風景の一部でありながら、同時に強い存在感を放ちます。余白が大きいからこそ、立ち位置が数十センチ違うだけで印象が変わり、写真に緊張感が生まれます。
鳥取の風景は単なる背景ではなく、構図を成立させるための「舞台装置」です。自然と向き合いながら、人の姿をどう置くか。その問いが、作品一枚一枚に込められています。
アトリエでわかる「心のままに撮る」
番組の中心となるのが、アトリエでの映像です。そこに映るのは、感覚任せに撮影する姿ではありません。
植田正治が語る「心のままに撮る」とは、気分に流される自由ではなく、自分の感覚が最も正確に立ち上がる形を選び抜くことを意味します。場所、光、被写体の距離、視線の向き。その一つひとつを静かに決めていく姿から、写真が思考の積み重ねであることが伝わってきます。
だからこそ完成した写真は、作り込まれているのに不自然さがありません。計算と感覚が重なった場所に、独特の静けさが生まれます。
「植田調(UEDA-CHO)」の演出写真
植田正治の作風は、フランスで「UEDA-CHO(植田調)」と呼ばれるほど、名前そのものが表現様式として認識されています。
特徴は、人物を「被写体」ではなく、空間の中に置かれた一つの形として扱う点です。砂丘や海岸という広い背景に人物を配置すると、日常の家族や友人が、舞台に立つ登場人物のように変わります。
この演出は、後加工に頼るものではありません。現場で構図を完成させるからこそ、写真そのものが強い説得力を持ちます。見る人は自然と足を止め、写真の中に流れる沈黙に耳を澄ますことになります。
作品と出会える場所
植田正治の作品世界を体系的に体感できる場所として、鳥取県伯耆町にある植田正治写真美術館があります。大山の山麓に建ち、建築家・高松伸が設計した建物も含めて、作品と風土が一体となった空間です。
館内では、植田調と呼ばれる作風や、鳥取の自然と深く結びついた創作姿勢が丁寧に紹介されています。番組でアトリエの空気を感じたあとに作品を見ると、写真の静けさが偶然ではなく、選び抜かれた結果であることがはっきりと理解できます。
まとめ
この番組では、植田正治が生涯貫いた独自の写真世界が、映像を通して鮮やかに立ち上がります。鳥取の風景、アトリエの静けさ、そして「心のままに撮る」という姿勢が一つにつながり、作品の奥にある強い意志が伝わってきます。
なお、ここで紹介した内容は実際の放送と異なる場合があります。
【おとなのEテレタイムマシン】現代ジャーナル 瀬戸内寂聴「愛」ということば|無償の愛は日本語の核心か?源氏物語に響く“愛とは”の答え|2026年1月24日
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