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Eテレ【おとなのEテレタイムマシン】土曜美の朝 漆工芸家 角偉三郎|角偉三郎 作品 と 輪島塗 伝統工芸 がつながる 合鹿椀 復元 と 工房 輪島 の物語|2026年2月10日

おとなのEテレタイムマシン
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角偉三郎が映す“能登の記憶”

能登の風や海の匂いまで閉じ込めたような器を作り続けた漆工芸家、角偉三郎。その生き方と作品の背景には、自然と人の暮らしが寄り添う土地ならではの物語があります。
このページでは『おとなのEテレタイムマシン 土曜美の朝 漆工芸家 角偉三郎(2026年2月10日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。

職人としての誇り、能登の風土に根ざした技、そして合鹿椀との出会いがもたらした転機。番組をより深く味わえるよう、背景の知識もそっと添えてお届けします。

輪島に生まれた漆工芸家・角偉三郎の横顔

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番組の冒頭では、角偉三郎の生い立ちと、漆の世界へ入っていく道のりが紹介されます。角は1940年に輪島で生まれ、父は下地、母は蒔絵という漆に囲まれた家庭で育ちました。

15歳のとき、沈金の名人・橋本哲四郎に弟子入りし、漆の表面に細い線を彫って金を埋める沈金技法を徹底的に学びます。修業を終えた1960年代には、その沈金の技を生かしてパネル状の漆作品をつくり、現代美術の影響も受けた前衛的な表現で、日展などの公募展でも高い評価を受けました。

番組では、その頃のパネル作品の写真や、当時の受賞歴をたどりながら、「漆を使って絵画のように表現する作家」から、「暮らしの器をつくる職人」へと向きを変えていく角の歩みを静かにたどっていきます。華やかな受賞歴よりも、本人が大事にしたのは、毎日の生活の中に溶け込む器をつくることだった、という流れが伝わってきます。

補足として、輪島塗そのものも紹介されます。輪島塗は、木地づくりから下地、上塗り、加飾まで、100工程以上もの手作業を重ねて仕上げることで知られ、丈夫さと美しさを兼ね備えた漆器として国内外で評価されています。
そうした土地で育った角だからこそ、伝統の技を自分の表現にどう結びつけるかを、長い時間をかけて考え続けたことがわかります。

能登の風土を写し取るうつわたち

番組の中心となるのは、「能登の風土をそのまま写し取った」といわれる器の数々です。案内役のカメラは、角の椀や重箱、盆、皿を、自然光の中でじっくりと映していきます。

厚みのある椀の側面には、木目がうっすらと透けて見えます。深い赤や黒の漆の下から、年輪の線が波のように浮かび上がり、能登の海や山の稜線を思わせます。こうした表情は、木地の削り方や漆の重ね方を計算したうえで、あえて“完璧には均さない”塗りにすることで生まれたものだと解説されます。

能登の冬の曇った空、荒れる日本海、しっとりとした山の緑。角の器は、そのどれかを写実的に描いているわけではありませんが、番組の映像の中で、海辺や里山の風景と器が並ぶと、両者の色と質感が見事につながって見えます。

背景説明として、能登半島は海と山が近く、漆の原料となるウルシの木も育つ地域であることも触れられます。
日々の暮らしと自然、そして漆の仕事が一つの円のようにつながっている。その循環の真ん中に角の器がある、という構図が番組全体から伝わってきます。

合鹿椀との出会いがもたらした転機

番組の大きな山場は、角が「合鹿椀(ごうろくわん)」と出会うくだりです。合鹿椀とは、能登町合鹿地区に伝わる大ぶりの椀で、かつて山村の人たちが粥などを食べるために使っていた素朴な器です。

角は、寺に置き忘れられていた古い合鹿椀を目にしたとき、その分厚い木地と、使い込まれて傷だらけになった姿に強く心を動かされたといいます。装飾性の高い漆パネルではなく、日々の食事に寄り添う器こそが、「漆の原点」だと感じた瞬間でした。

番組では、合鹿椀の古い実物と、角が手がけた新しい合鹿椀が並べられます。元の椀は一回塗りの質素なものですが、角はそこに、自分の技術と感性を重ねていきました。ただし、豪華に飾り立てるのではなく、分厚い木地に漆を重ねながらも、あえて木目を透かし、少し歪みのある形を残すことで、山の暮らしの荒々しさや温かさをにじませています。

一般的な解説としても、合鹿椀は長く生産が途絶えていましたが、職人や研究者たちの働きかけにより昭和30年代ごろから復元が始まったとされています。
角の合鹿椀は、その復興の流れのなかでも、特に存在感のある作品群として評価されており、現在では美術館やギャラリーでもたびたび展示されています。

輪島の工房で見せる独自の漆技法

番組後半では、輪島の工房で角が実際に作業している姿が映し出されます。ろくろで木地を挽き、削り跡がゆるやかな同心円を描くように整えていく様子。そこに何度も漆を重ねながら、指や藁(わら)を使って模様をつけるような、独自の塗り方が紹介されます。

通常の輪島塗は、刷毛で均一に塗り、研いでは塗る作業をくり返して、つるりとした表面に仕上げていきます。しかし角は、あえて指跡を残したり、漆の溜まりやムラを生かしたりすることで、器の表面に微妙な起伏や揺らぎを作り出しました。その結果、光の当たり方で表情を変える、どっしりとした器が生まれます。

また、角が作品に銘を入れず、代わりに五つの点を線で結んだ「五つ星」の印を用いていたことも語られます。これは「材料」「道具」「作り手」「使い手」、そして「自然」との調和を表したものだとされており、番組内でも代表作の椀や重箱にその星印がさりげなく刻まれている様子が映ります。

視聴者にとっては、「完璧に整ったつやつやの漆器」だけが漆の世界ではないことを知るきっかけになります。小さな傷やゆらぎをあえて残すことで、その器は長く使うほどに味わいを増し、持ち主の暮らしとともに変化していく——そんな価値観が、角の手つきから伝わってきます。

いまに受け継がれる角偉三郎の精神と作品

番組の締めくくりでは、角偉三郎の作品が、いまも国内外の美術館や旅館、美術ギャラリーなどで愛されていることにも触れられます。和倉温泉の美術館スペースや各地の展覧会では、合鹿椀やへぎ板、重箱など、多彩な器が展示され、能登の手仕事を象徴する存在となっています。

さらに、角の意思を引き継ぐ作り手たちが、輪島や能登で漆の仕事を続けていることも紹介されます。なかには、角の工房で学んだ人や、合鹿椀に魅せられて木地づくりから取り組む若い職人もいます。漆器の産地として大きな被害を受けた能登にとっても、角の器が示した「暮らしとともにある美しさ」は、産地の復興を考えるうえで大切なヒントになっています。

番組を通して浮かび上がるのは、「作家」としての名声よりも、「使われる器」を生涯追い求めた一人の職人の姿です。手に持ったときの重さ、縁にふれたときの感触、汁物をよそったときに立ちのぼる湯気と器の色のなじみ方。そうした細部にまで心を配りながら、角偉三郎は能登の風土を宿した器を作り続けました。

この記事を読んで番組に興味を持った方は、実物の器にもぜひ触れてみてください。画面越しに見るだけではわからない、温度や匂いまで含んだ「能登の空気」が、器の中にたしかに閉じ込められていることに気づけるはずです。

注意事項とまとめ

この記事は番組内容をもとに構成していますが、実際の放送内容と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

角偉三郎が生み出した器には、能登の風土や暮らしの温度が深く息づいています。番組ではその制作の様子や背景が丁寧に紹介され、作品の奥にある思いが静かに伝わってきます。

NHK【京都極上モノ紀行 ガラス工芸編】京都のガラス工芸 見どころと祇園のガラスの器、法然院ガラス枯山水からガラス茶筒の職人技へ|2026年1月31日

能登半島の漆の歴史

しげゆき
しげゆき

ここからは、番組では触れきれなかった背景を、筆者の視点で紹介します。能登で生まれる器の根っこには、長い漆の歴史があります。能登半島は昔からウルシの木が育ちやすく、山あいの斜面で栽培が盛んに行われてきました。採れた漆は地元の職人たちが受け取り、木地と合わせて器づくりの土台になってきました。特に輪島塗は、何十もの工程を積み重ねることで強く、美しく仕上がることで知られています。

ウルシの木が育つ土地性

能登は雨が多く、湿度も高いため、ウルシの木がまっすぐ育ちます。樹液をとる作業は細やかで、朝の冷たい空気の中で慎重に傷を入れて漆を集めます。この樹液が、器の強さと深い色を生み出す材料になります。

下地づくりの文化

輪島では、地元で採れる珪藻土を焼いて作った「地の粉」を混ぜ、器の下地に使います。これが器の丈夫さの秘密で、重ねて塗るほどにしっかりとした層ができあがります。強さと美しさが両立する漆器として、昔から多くの人に大切にされてきました。

地場産業としての発展

北前船が行き交った時代、能登で作られた漆器は船に乗って各地へ広まりました。町には職人が集まり、一つの器ができるまでに多くの手が加わる「分業の文化」が根づいていきます。能登の暮らしと漆器は、ずっと寄り添って発展してきたのです。

能登半島の土地性と人の手が重なり合い、角偉三郎の器が生まれる背景がより深く見えてきます。


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