『わたしの自叙伝 宮本常一〜民俗学との出会い〜』
日本の暮らしの原風景を歩いて記録し続けた宮本常一。その人生を振り返る番組が、アーカイブ映像を通してよみがえる回です。日本全国を旅しながら、農山漁村や離島に息づく生活文化を見つめた姿は、2025年の今だからこそ心に響きます。
宮本常一ってどんな人なのか
宮本常一は山口県の旧・屋代島で生まれ、日本の民俗学者として独自の道を切り開いた人物です。教員や郵便局員として働きながら地域を歩き、目の前の暮らしを記録する民俗学の魅力に近づいていきました。のちに代表作『忘れられた日本人』を生み出すほど、多くの土地に足を運び続けたことで知られています。
彼の特徴は、机上の研究よりも旅を通した観察と聞き書き。のちに“旅する巨人”と呼ばれるほど移動し、1200軒を超える家に泊まり込んで生活文化を見てきたことも語られる要素になりそうです。
民俗学との出会いが人生を変えた流れ
番組では、民俗学と初めて出会った頃のエピソードが取り上げられます。教員として働いていた時代に、先人の著作に触れて心が動き、地域の暮らしを記録する面白さに気づいたと言われています。この頃の体験が、のちに『生活文化の掘り起こし』として知られる宮本の姿に直結します。
1939年、アチック・ミューゼアムに研究員として入ったことがとくに大きな転機でした。ここから本格的に全国の旅と調査が始まり、民俗学者として歩む軸が決まっていきます。
渋沢敬三との出会いがもたらした力
人生を変えた重要な人物として語られるのが渋沢敬三です。渋沢は宮本を研究員として迎え、旅や調査を支援しました。この出会いがなければ、多くの地域文化の記録は残らなかったとも言われています。
渋沢の支援によって、宮本は離島や農村へも自由に足を運べるようになり、生活史の記録や地域文化の保存にもつながる調査を続けることができました。民俗学が学問だけでなく社会に役立つ実践へと広がっていく背景には、この関係が深く関わっています。
宮本常一が大切にした『民俗文化の掘り起こし』
宮本は「理論を作るための民俗学」より「現場を見る民俗学」を選びました。自分の足で歩き、観察し、話を聞き、暮らしの中にある知恵や技術、家のつくり、年中行事、言葉、仕事などを『文化』として積み上げていく姿勢が特徴です。
『掘り起こし』という言葉に込められたのは、目の前の土地に残るものを丁寧にすくい取る意識です。都市中心の視点では見えにくい「庶民の生活史」を守り、後世へ伝える考え方が番組でも語られるポイントになります。
フィールドワークで見えてきた日本の姿
宮本常一が全国を歩いたフィールドワークは、他のどの民俗学者とも違う規模でした。離島、山間、漁村、農村など、多様な地域を訪ね、それぞれの暮らしを記録することで『日本のローカル文化』の輪郭を明らかにしました。
農作業の段取りや海での仕事、住まいの構造、食の習慣、道具の使い方、地域独自の習俗など、さまざまな文化がその土地らしさとして浮かび上がります。宮本は、それを単なる記録で終わらせず「どんな生き方が続けられるか」まで考えた点に特徴があります。
研究手法と記録スタイルの個性
宮本の調査スタイルは、歩いて、見て、聞くという現場中心の方法です。インタビューによる聞き書き、民具の観察、風景や住居のスケッチ、地理的調査など、実際にそこで生きる人の目線に寄り添う形で記録を残しました。
そのため、彼の著作は学術論文のように体系的ではなく、生活の実感や時間の流れがそのまま映し出された『生活誌』としての魅力があります。こうしたリアルな記録は、2025年の今でも民俗学や地域研究の大切さを示す資料になっています。
番組の見どころとして感じられるポイント
今回のアーカイブ番組では、宮本常一本人が自分の言葉で人生を振り返る貴重な映像が見られます。民俗学との出会いから、旅を続けた理由、なぜ『忘れられた日本人』のような記録が必要だったのかまで、本人の姿を通して理解できる内容になりそうです。
また、急激に変化する日本社会で忘れられつつある生活文化を大事にした視点は、2025年の今こそ価値が増している考え方です。地域文化やフィールドワークに興味のある人にとって、学びの深い回になるでしょう。
まとめ
おとなのEテレタイムマシン『わたしの自叙伝 宮本常一〜民俗学との出会い〜』は、宮本常一の足跡と民俗学の広がりを知ることができる特別なアーカイブ番組です。
【おとなのEテレタイムマシン】わたしの自叙伝 山本茂實〜野麦峠への道〜 雑誌「葦」と戦後青年文化、そして製糸工女の聞き取り調査の真実|2025年12月2日
現代の民俗学につながる新しい広がり

現代の民俗学は、宮本常一が残した調査の姿勢を軸にしながら、大きく広がっています。調べてみると、今の研究は「過去を守る学問」ではなく、「地域の今を知り、未来につなぐ学問」へと動いていました。ここでは、その動きをさらに深く紹介します。
現代でも続くフィールドワークと地域文化の再発見
いま全国で行われている調査は、農村だけでなく都市部や中山間地域、離島にまで広がっています。自然と人の関わり、里山の手入れ、昔から伝わる地域の語り、地元で受け継がれた技や祭りなど、生活のあらゆる部分をていねいに見つめ直す動きがあります。研究者たちは自分の足で集落を歩き、手に触れるような生活の変化を追っています。
特に、葬送儀礼や墓制の移り変わり、家族の形の変化、地域再編の影響などは多くの調査があり、沖縄をはじめとした各地では戦後から今日までの暮らしの変化を記録し続けています。こうした姿勢には、宮本が大切にしていた「歩き・見て・耳を傾ける」調査方法の精神がそのまま受け継がれています。
理論と実践を行き来する現代民俗学の展開
昔の生活を記録するだけではなく、いま起きている社会の動きを読み取ろうとする研究が増えています。都市化や観光の広がり、人口の流れ方の変化などが地域文化にどう影響しているかを探る調査が中心になっています。
たとえば、若者文化や都市周辺の暮らしの変化をテーマにしたフィールドワークでは、昔ながらの農村や漁村とは違う新しい民俗の姿が見えてきます。祭りの形が変わった地域では、その背景にある住民の意識や暮らしの変化が調査されていて、民俗学が扱う範囲はより広がっています。
「記録」から「参与・共創」へ広がる公共民俗学
最近注目されているのが、研究者だけではなく、地域の人たちや行政、観光、アートの関係者が一緒になって文化を未来に残す取り組みです。これが公共民俗学と呼ばれる分野です。地域の祭りを記録しながら、地域の人と一緒に新しい形を考えたり、伝統的な技術を活かした商品づくりに参加したりする例もあります。
この考え方の背景には、宮本が残した「庶民の生活文化の記録」という姿勢があります。ただ調べるだけではなく、文化が続いていくために地域とつながる大切さが見直されているのです。
なぜ今、宮本常一の民俗学が見直されるのか
日本の各地で人口の減少や都市集中が進み、地域ごとの文化や暮らし方が大きく変わり始めています。こうした中で、「変わりゆく文化をどう未来につなぐのか」が重要になり、その答えを探すために宮本の考え方が再び注目されています。
宮本が見つめていたのは、華やかな伝統文化ではなく、日常の生活の中にある地域の個性や価値でした。この視点が、今の研究者たちが取り組む地域再生や文化継承の現場と強く結びついています。
現代の民俗学は、宮本の調査精神を受け継ぎながら、社会の変化に応じて新しい方法を取り入れた学問へと進化していて、地域の未来を考える大切な手がかりとなっています。
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