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【おとなのEテレタイムマシン】わたしの自叙伝 山本茂實〜野麦峠への道〜 雑誌「葦」と戦後青年文化、そして製糸工女の聞き取り調査の真実|2025年12月2日

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山本茂實の原点をたどる旅へ

1980年にNHKで放送された「わたしの自叙伝 山本茂實〜野麦峠への道〜」。その人生を深掘りすると、明治末期から昭和・戦後へと続く日本社会の変化を、ひとりの作家がどう受け止め、どう記録し、どう作品に昇華していったかが浮かび上がります。

山本茂實は『あゝ野麦峠』の作者として広く知られていますが、彼を形作ったのは「農村」「戦争」「戦後の若者」「庶民の声」という、大きな日本史の流れそのものでした。

この長い道のりをたどると、ただの文学作品ではなく、歴史の影で生きた多くの人々の声が作品の根底に流れていたことがわかります。

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農家の家に生まれた“生活者としての視点”

山本茂實は1917年、長野県松本市の農家に生まれました。
当時の地方農家は、子どもも家の一員として農作業を担うのが普通で、山本も幼いころから畑仕事を経験しました。日々の暮らしは決して豊かではなく、天候や収穫、家族の働きに左右されるものでした。

この「生活のリアル」を幼いころから身体で覚えたことが、その後の作品に通じる“生活者の視点”を作り上げたと言われています。

彼は決して都会的な作家ではなく、農村の土の匂いを知り、労働の重さや家族の絆といった「地に足の着いた世界」を持ち続けた人物でした。

戦争が刻みつけた現実

1937年、20歳の山本は召集され、近衛歩兵第3連隊へ。
太平洋戦争が激化する前ですが、軍隊生活は厳しく、健康を害して終戦後は長い療養生活を送ります。

戦争体験は山本にとって大きなターニングポイントでした。

・仲間の死
・故郷への思い
・家族を支えられない悔しさ
・自分自身の生き方への問い

こうした経験は「人がなぜ苦しむのか」「どう生きるのか」という深い関心となり、後に市井の人々の声を掘り起こす姿勢につながっていきます。

上京と早稲田大学での学び

戦後、山本は上京し早稲田大学文学部へ入ります。正式な学籍ではなく聴講生ではありましたが、戦後の混乱の中で多様な人々が行き交う早稲田は、山本にとって刺激的な場でした。

街には復員兵、職探しに悩む若者、学生運動の青年たち、物資のない生活を耐える庶民があふれ、東京は“生きることそのものがテーマになる街”でした。

その空気の中で山本は、文学だけでなく哲学・社会思想・民俗学にも触れ、
「庶民の暮らしを記録することが、未来のためになる」
という考えを強く持つようになります。

雑誌「葦」の創刊

1948年、山本は同志とともに雑誌「葦(あし)」を創刊します。
タイトルの「葦」は、風にしなやかに揺れながらも折れずに生きる人間の象徴とされました。

「葦」は、いわゆる文学雑誌とは大きく異なります。
何よりも特徴的だったのは 日記・手記の募集 です。

応募は、

・早稲田の学生
・新しい職場で不安を抱える工員
・地域で活動する青年団
・戦争で家族を失った若者
・復員後の暮らしに悩む元兵士

など、学歴・生活環境を問わず、一般の若者が中心でした。

雑誌「葦」に集まった文章は、完成された作品ではなく、
「その時代を生きる若者たちの、生の声」
でした。

例えば、
家族のために働きながら勉強を続ける少年、
都会に憧れながらも地方でくすぶる青年、
職場での差別に苦しむ工員、
恋愛や将来への不安に揺れる女子学生など、
どれも歴史に残ることのない“普通の人々”の人生でした。

山本はこれらを丁寧に読み込み、編集し、雑誌として発表しました。
それは、今で言えばSNSのない時代に「若者の自己表現の場」をつくったような役割を果たしました。

「葦」の編集経験が『あゝ野麦峠』につながる

山本は若者たちの手記を読み続ける中で、
「人はなぜ苦しみながらも生きようとするのか」
という共通のテーマに気づきます。

ここから山本の関心は、さらに「歴史の中で声を上げられなかった人々」へ広がっていきました。

その中で出会ったのが、
飛騨の少女たちが野麦峠を越えて製糸工場へ働きに向かった史実
でした。

・家を支えるために峠を越えた少女たち
・学校にも通えず、危険な労働に従事した現実
・若い命が失われることもあった過酷な環境
・毎年繰り返された「女工調達」の習慣

山本はこの事実に衝撃を受け、1950年代から長期的な聞き取り調査を開始します。

インタビューは十数年にわたり、いわば“消えゆく記憶をつなぎとめる”作業でした。
女性たちが語る言葉には涙があり、沈黙があり、思い出すのも苦しい過去がありました。

これらの声を集めて一冊にまとめたのが、
1968年刊行『あゝ野麦峠』
です。

当時としては異例の 250万部超え の大ベストセラーとなり、映画化(1979)、舞台化、テレビでの紹介など、長く日本人の心に残る作品となりました。

文学者というより「記録者」「証言の編集者」

山本茂實を語るとき、彼の本質は「作家」というより

“庶民の声を残した記録者”
“歴史の外にいた人々の物語を編集した人”

と表現する方が正確です。

自分の想像で物語を作るのではなく、
実際に生きた人の言葉を聞き、資料を読み、事実を積み重ねて作品にする。
その姿勢は、雑誌「葦」で培ったものにほかなりません。

農村での原体験、戦争の記憶、戦後の若者の声──
そのすべてが渾然一体となり、『あゝ野麦峠』という作品へと結実しました。

まとめ

山本茂實の人生は、日本の近代史そのものです。

農村で暮らし、戦争を経験し、戦後の混乱を目にし、若者の声を拾い続け、歴史の影に埋もれた人々の人生を掘り起こす。
この積み重ねが、やがて『あゝ野麦峠』という日本文学史に残る作品を生み出しました。

雑誌「葦」で集めた“庶民の日記”は、
作品の土台であり、山本の全仕事の原点でした。

この作品と人生を知ることで、日本の過去をより立体的に理解でき、また2025年の今を生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれます。

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