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Eテレ【おとなのEテレタイムマシン】わたしの自叙伝井深大トランジスターラジオ誕生のころ|白木屋での修理から光通信の挑戦へ、創立宣言書『自由闊達にして愉快』に込めた未来|2025年11月25日

おとなのEテレタイムマシン
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井深大という挑戦者が切り開いた未来とは?

井深大は、戦後の日本がまだ混乱の中にあった時代に、「技術で人の生活を豊かにする」という強い思いを掲げて歩んだ人物です。町工場のような小さな場所から出発し、やがて世界的な企業へと育つソニーの根本には、彼の揺るぎない理念がありました。

今回の番組では、盛田昭夫とともに日本の技術産業を大きく前進させた井深の原点と、その挑戦の足跡が明らかになります。放送を見ることで、ものづくりの裏にある人間の情熱や、技術が世界を動かす力を深く感じられるはずです。

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生い立ちから始まる技術者としての感性

井深大は1908年、栃木県日光市で生まれました。幼いころに父を亡くし、家族とともに愛知や東京へ移り住みながら成長します。この環境の変化のなかで、彼の興味を強く引いたのが“電気”や“機械”の世界でした。

電気工事の現場を見たり、無線に触れたりと、子ども時代の体験が彼の想像力を刺激します。家にある機械を分解して仕組みを探り、電気を扱う作業にひかれることで、技術者としての芽が早い段階で育ち始めました。

その後、早稲田大学 理工学部電気工学科へ進学。ここでの研究は、彼の人生を決定づける大きな出来事になります。卒業研究で取り組んだ『光通信』の実験が成功し、学生発明家として新聞に取り上げられます。この経験は、技術が人の未来を変えるという確信につながりました。

大学卒業後は、映像・録音機器の開発に携わり、魚眼光やネオン管を使った作品や発明によって注目されます。戦時中には無線・通信技術の現場でも働き、技術者としてさらに経験を積み重ねていきました。

終戦後、日本の状況は大変厳しいものでしたが、井深はその中でラジオ修理から再出発します。焼け跡となった東京・日本橋の白木屋の一角で、小さな修理業から始めた取り組みが、後の大きな企業の一歩となりました。

ソニーの原点となる挑戦のはじまり

1946年、井深は盛田昭夫とともに「東京通信工業株式会社」を設立します。これが、後に国際的な大企業となるソニー株式会社の誕生です。

創業当時は資本金も人手も少なく、設備も整っていませんでした。それでも井深は「技術で日本文化に貢献する」という理想を掲げ、技術者の自由な発想と情熱を重んじる“理想の工場”を目指しました。

井深は技術開発を、盛田は事業・営業を担当するという明確な役割分担により、会社は着実に方向性を固めていきます。

1950年代に入り、会社は大きな転機を迎えます。アメリカのベル研究所が持つトランジスタ技術のライセンスを取得し、この技術を家庭用の製品に応用する挑戦を始めたのです。

ここから、世界に名を轟かせる画期的な製品が次々に誕生します。

技術革新への情熱と「モノづくり」の姿勢

井深は、製品を作るうえで“人の生活をよくすること”を最も大切にしていました。その姿勢は、彼が手がけた数々の新しい製品からはっきり読み取れます。

1949年には、日本で初めての磁気録音テープを自社開発。録音の精度が高まり、新しい音の文化が広がっていきます。

そして1955年、日本初となる国産トランジスタラジオ「TR-55」が発売されました。ポケットに入るサイズで、若者が音楽を持ち歩けるという体験を初めて可能にした製品です。小さな工場が生み出したこの製品は、やがて世界中で売れるヒットとなり、ソニーの名が国際的に知られる大きなきっかけとなりました。

1960年にはトランジスタテレビも登場し、映像体験をより身近なものへと変えていきます。井深が目指した「新技術で未来を変える」という信念が、次々に形となって現れていきました。

技術だけでなく「人」を大切にした視点

井深の思想で特に特徴的なのは、技術だけでなく「人」そのものに関心を持っていたことです。

多くの技術者が自由に発想し、失敗を恐れずに挑戦できる環境づくりに力を注ぎました。創業時に掲げた『自由闊達にして愉快なる理想工場』は、その象徴ともいえる言葉です。

また、井深は子どもの成長について深く考えており、0〜3歳の学習が人の能力に大きな影響を及ぼすと考えていました。著書『幼稚園は遅すぎる』は、その思いを形にしたものです。技術者として人の未来を支える視点を持ち続けた井深の、もう一つの顔でもあります。

世界へ広がったソニーと井深大が残したもの

1958年、会社名は覚えやすく響きのあるソニー株式会社に変更され、世界市場へより積極的に挑戦する企業へと成長しました。

アメリカに子会社を設置し、海外市場での販売も本格化。井深が掲げていた理想は、国際的な規模で少しずつ形になっていきます。

1971年に社長の座を離れた後も、会長・名誉会長として会社を支え、技術者としての視点を持ち続けました。

井深大は1997年に89歳で亡くなりましたが、その業績は今も企業や技術者に大きな影響を残し続けています。文化勲章や文化功労者の称号を受けたことは、日本という国が彼の功績をどれだけ重要視していたかを示しています。

まとめ

井深大の人生は、新しい技術に挑む勇気と、人を豊かにしたいという強い思いに満ちていました。

ソニーが世界に広がっていく過程は、決して順調なものではありませんでしたが、井深が持っていた「未来を信じて踏み出す力」が、多くの壁を乗り越えさせました。

2025年の今、技術が生活の中心にある時代を迎えていますが、その基盤には井深大のような先人たちの挑戦があります。

今回の番組は、井深がどのように未来を切り開いたのかを知るうえで貴重な機会です。


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