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Eテレ【ザ・バックヤード】知の迷宮の裏側探訪 浜離宮恩賜庭園|見どころと潮入の池の仕組み、大覗小覗とクネンボの秘密を徹底解説|2026年2月18日

ザ・バックヤード 知の迷宮の裏側探訪
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高層ビルの足元に広がる、将軍の庭のひみつ

東京の中心にありながら、江戸の空気をそのまま残す浜離宮恩賜庭園

潮の満ち引きを取り込む池、将軍のために整えられた狩りの仕掛け、三百年を生きる松の手入れまで、その裏側には驚きの工夫が詰まっています。

このページでは『ザ・バックヤード 知の迷宮の裏側探訪(2026年2月18日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。

将軍の別邸だった浜離宮恩賜庭園と「特別名勝・特別史跡」の重み

浜離宮恩賜庭園(東京都中央区)は、江戸時代に徳川将軍家の別邸(浜御殿)として整えられてきた日本庭園です。
明治維新後は皇室の離宮になり、戦後に東京都へ下賜され、一般公開されて今の姿へつながっています。

注目ポイントが、ここが国の文化財として「名勝」と「史跡」の両方で評価され、さらに上位の指定である特別名勝特別史跡にもなっていることです。
全国でも数が限られる“ダブル指定”で、景色の価値だけでなく、場所そのものの歴史的な意味も守る対象だと分かります。

だから番組の見方も変わります。
木や石や池を「きれいだな」で終わらせず、「なぜこの形にしたのか」「どう使ったのか」を追うほど、庭園が立体的に見えてきます。

城みたいな桝形門と、庭園が“守りの場所”でもあった理由

入口が城郭みたい、と感じた人は正解です。
大手門まわりには、敵が一気に入りにくいように動線を折る桝形(ますがた)の考え方が入っています。

庭園は、のんびり歩く場所であると同時に、将軍の大事な拠点でもありました。
とくに浜離宮は海に面し、江戸の都市構造の中でも“海側の要”の意味を持ちやすい場所です。
門のつくりひとつにも、「ここは将軍の場所です」という空気が残っているんです。

歩いているだけだと気づきにくいのに、番組はそこをわざわざ裏側から見せてきます。
「庭園の入口=おもてなし」だけじゃなく、「入口=守り」でもある、という発想が江戸っぽいです。

潮入の池の豪華な仕掛けと、池にいるクロダイの正体

浜離宮の顔が、潮入の池(しおいりのいけ)です。
海水を引き込み、潮の干満に合わせて水位や景色の表情が変わる池で、江戸の庭園の中でも“海とつながる形”を今も保っている貴重な例として紹介されています。

ここが面白いのは、景色を楽しむだけじゃなく、魚が入ってくることまで含めて“設計”になっているところです。
番組で池をのぞくとクロダイが泳いでいる、という驚きが出てきますが、潮入の池は海とつながるため、淡水の鯉だけの世界ではありません。
実際に、クロダイが園内の橋の近くで見られることが紹介されています。

水門の開閉で海水の出入りを調整する、という仕組み自体も見どころです。
「池=水をためるだけ」ではなく、「池=海のリズムを借りて景色を動かす装置」なんです。

将軍がここで魚釣りまで楽しめた、という話が出てくるのも納得です。
池が“眺める舞台”であり、“遊べる舞台”でもある。
それが浜離宮の強さです。

タカ狩りと鴨場の「謎の小屋」小覗・大覗、江戸の狩りの段取り

番組のワクワク担当が、タカ狩りと鴨場(かもば)です。
浜離宮には、鴨を誘い込むための仕掛けが残っていて、そこに「なんのための小屋?」と感じる建物がいくつも出てきます。

代表が大覗(おおのぞき)と小覗(このぞき)
水鳥の集まり具合や風向きなどを見て、どこで狩りをするか判断する場所が“大覗”。
そして“小覗”では、板木を打ち鳴らす合図で、おとりのアヒルが引堀(ひきぼり)へ入り、それにつられて鴨も入ってくる流れが説明されています。

つまり「力技で追い込む狩り」ではなく、
音、習性、視界、隠れ場所、全部を組み合わせた“段取りの狩り”です。

番組が「将軍様に必ず獲物をとらせる」と語る空気も、ここでリアルになります。
仕掛けがあるからこそ、“失敗しにくい舞台”を作れる。
狩りですら、将軍のための演出として組まれていたのが見えてきます。

ゾウが食べた柑橘クネンボと、三百年の松を守る職人の手入れ術

「ゾウが食べた幻のフルーツ」という話は、園内にある柑橘の一種クネンボ(九年母)と結びつきます。
園の発信では、将軍が食べた記録が残り、ベトナムから贈られた象も食べた、という説明が出ています。

“幻”と呼びたくなるのは、ふだんの果物売り場で見かけにくいこともありますし、なにより「庭園の中で、将軍と象の記憶が一本の木につながる」からです。
食べ物の話なのに、歴史の距離が一気に縮まります。

そしてもうひとつの主役が、三百年の松です。
宝永年間(1700年代初頭)に植えられたと伝わるクロマツで、浜離宮の象徴として語られています。

300年クラスの松は、放っておけば保てません。
土の状態、根の呼吸、病害虫のリスクまで考えながら、専門家の診断や対策を重ねて樹勢を守っていることが説明されています。

番組で「お手入れテクニックも体験」と出てくるのは、まさにここです。
庭は自然に見えて、実は“人の手の積み重ね”で生きています。
将軍の時代の遊び心と、いまの管理の技術が、同じ場所でつながっていく。
浜離宮の面白さは、そこにあります。

まとめ

この記事は、番組情報をもとに『ザ・バックヤード 知の迷宮の裏側探訪(2026年2月18日放送)』の見どころを整理しました。実際の放送では、紹介順や扱う場所、説明の細部が変わるなど、記事内容と違う場合があります。浜離宮恩賜庭園の潮入の池や鴨場の仕掛け、三百年の松など、注目点がどう描かれたかは放送で確認してください。

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徳川将軍家と浜御殿の具体的な利用記録

しげゆき
しげゆき

ここであらためて、徳川将軍家がどのように浜御殿を使ってきたのかを具体的に紹介します。庭園はただ眺める場所ではなく、将軍の暮らしと行事が実際に行われた舞台でした。その記録をたどると、浜御殿の役割がよりはっきり見えてきます。

将軍の別邸としての始まり

浜御殿は、もともと甲府藩主だった徳川綱重の別邸として造られました。その後、綱重の子である徳川家宣が将軍になると、将軍家の正式な別邸として整えられていきます。歴代将軍は庭園を改修し、建物を増やし、景観を整えました。とくに十一代将軍徳川家斉の時代には大きな整備が行われ、現在につながる庭園の骨格が完成しました。将軍が滞在し、休息し、客をもてなす場所として使われていたことが記録に残っています。

狩りと遊宴の舞台

浜御殿ではタカ狩りや鴨猟が行われていました。園内の鴨場には、獲物を誘い込むための引堀や小屋が設けられ、計画的に狩りが進められていました。将軍が確実に成果を上げられるように工夫された仕組みが整えられていたのです。また、庭園では茶会や宴席も開かれ、海を望む景色の中で食事や交流が行われていました。浜御殿は政治の緊張から離れた、特別な時間を過ごす場所でもありました。

農作物の試験と実用の庭

八代将軍徳川吉宗は、庭園内で農作物の試験栽培を行った記録があります。米や野菜、果樹の育ち方を確認し、実際の政策に生かそうとしました。庭園は観賞用だけでなく、実験や学びの場としても使われていたのです。さらに、将軍が味わったとされる果実の記録も残っており、浜御殿は食文化とも深く結びついていました。こうした具体的な利用記録から、浜御殿が生活と政治、娯楽と実用をあわせ持つ特別な場所だったことが伝わってきます。


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