記事内には、広告が含まれています。

なぜ国宝五城は特別なのか?現存天守との違いと国宝五城が5つしかない理由を解説|歴史探偵 国宝五城 2026年4月1日

歴史
メール購読のご案内

いつも「気になるNHK」をご覧いただきありがとうございます。
このブログでは、NHKの番組紹介や見どころ、新着情報などをいち早くお届けしています。

スポンサーリンク

国宝五城の本当の価値とは

日本には多くの城がありますが、当時のまま残る天守はわずかしかなく、その中でも国宝五城は特別な存在です。なぜ5つだけなのか、その理由には歴史や建築の深い意味があります。このページでは「歴史探偵 国宝五城(2026年4月1日)」の内容を分かりやすくまとめています。見た目の美しさだけでなく、なぜ残り、なぜ評価されたのかを知ることで、城の見方が大きく変わります。

この記事でわかること
・国宝五城とは何かと選ばれた理由
・現存天守との違いと価値の差
・犬山城・松本城・松江城それぞれの特徴
・最新の科学調査でわかった新事実
・なぜ今「城ブーム」が起きているのか

NHK【あさイチ】映画「国宝」大ヒットの秘密&映画の魅力を再発見!映画館の見やすい座席からトイレ対策、予告編の日本式テクまで深掘り|2026年1月28日

国宝五城とは何か?なぜ5つしかないのか

国宝五城とは、天守が国宝に指定されている5つの城、つまり松江城・姫路城・彦根城・犬山城・松本城のことです。日本の城は全国にたくさんありますが、今も当時の天守が残る「現存天守」は12城しかありません。その中でも国宝になっているのは5城だけです。これは「古いから」だけで決まるのではなく、建物としてとてもすぐれていて、歴史の中で特に大切な意味を持つと認められたものだけが選ばれるからです。文化庁の基準でも、重要文化財は意匠・技術・歴史・学術・地方性などの面で価値が高いもの、国宝はその中でも「極めて優秀で、文化史的意義が特に深いもの」とされています。

ここで大事なのは、「有名な城」=そのまま国宝ではないということです。たとえば天守がよく知られている城でも、火災や戦争で失われて再建されたものは少なくありません。だから国宝五城のすごさは、見た目の立派さだけでなく、近世の城づくりを今に伝える本物の建物が残っていることにあります。『歴史探偵 国宝五城』というタイトルが気になる人が多いのも、ただの観光名所ではなく、「なぜ本物はこんなに少ないのか」という根っこの疑問に触れるテーマだからです。

現存天守が少ない背景には、いくつもの時代の変化が重なっています。江戸時代には一国一城令などで城が整理され、明治になると廃城の流れで多くの天守が取り壊されました。さらに近代の戦争や火災でも失われ、今に残ったのはほんのわずかでした。つまり国宝五城は、たまたま残ったのではなく、長い時間の中で壊されず、守られ、修理され続けてきた「生き残り」でもあるのです。

現存天守12城の中で国宝に選ばれた理由

現存天守12城の中で国宝に選ばれた理由は、一言でいえば、建築としても、歴史資料としても、飛びぬけて価値が高いからです。文化庁の指定基準では、まず重要文化財として高い価値があり、そのうえで国宝は特に深い文化史的意味を持つものとされます。城の天守でいえば、建てられた時代の工法がよく残っていること、構造に独自性があること、当時の政治や戦い方、町づくりの変化まで読み取れることが大きなポイントになります。

つまり、国宝五城は「古くてきれい」だから選ばれたのではありません。その城を見れば、その時代の日本がどうやって戦い、どうやって権力を示し、どうやって技術を育てたかまで見えてくる。この情報量の多さが、国宝と重要文化財の差になっています。言い換えると、国宝の天守は巨大な歴史資料でもあります。木の組み方、柱の太さ、窓の位置、壁の厚さ、屋根の形まで、どれも「昔の人の答え」が残ったものです。

また、国宝に選ばれた城は、それぞれ役割が違うのも面白いところです。たとえば松本城は戦うための機能が色濃く残り、松江城は近世城郭の成熟した構造と完成年代がはっきりし、犬山城は創建年代をめぐる大きな学術テーマを抱えてきました。同じ「天守」でも、何がすごいのかは城ごとに違います。この違いを見ないまま「国宝だからすごい」で終わると、本当のおもしろさを半分しか見ていないことになります。

犬山城の特徴と最古天守の価値

inuyamaの写真素材|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK

犬山城は、木曽川をのぞむ高い場所に立つ天守で、長く「現存最古の天守」として知られてきました。ただし、この「最古」という言葉は、単純に1年単位で決められる話ではありません。犬山城の創建年代には長くいくつもの説があり、文化遺産オンラインでは天守の年代を1601年としていますが、近年の犬山市の年輪年代調査では、天守の主要部材の中に1585年や1588年の年輪を持つ木材が見つかり、しかも1階から4階までが一連で建設された可能性が強く示されました。

ここがとても大事です。前は「まず二重の天守があり、あとから三重目が増築された」という見方が有力でした。ところが調査では、天正期の木材がまとまって見つかり、しかも年代差が小さいため、最初から高層の天守としてつくられた可能性が高まったのです。これは、犬山城の価値が「古い」というだけでなく、安土桃山から江戸初めにかけての天守の発達を考えるうえで、とても重要な手がかりを持つ城だということを意味します。

犬山城の本当の魅力は、見た目の美しさの奥にある時代の重なりです。昔の材が残り、のちの改修の材も入り、修理の歴史も積み重なっている。つまり犬山城は、「ある1日に完成して、ずっとそのまま」という建物ではありません。長い時間の中で直され、守られ、それでも古い骨格を残してきたからこそ、学術調査をすると新発見が出てきます。本物の城は、建物そのものが歴史のノートなのだとよくわかる例です。

松本城の構造美と戦いのための工夫

松本城 - No: 3205529|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK

松本城は、黒い外観の美しさで人気がありますが、本当のすごさはその中身です。松本城天守群は、大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の五棟でできていて、これが一体となった連結複合式の天守です。しかも戦国末期につくられた戦うための部分と、平和な江戸初期に加わった優雅な部分が一つにまとまっています。見た目は一つの城でも、中には時代のちがう考え方が同居しているのです。

戦うための工夫はとても具体的です。松本城の大天守・渡櫓・乾小天守には、鉄砲狭間・矢狭間が115か所、石落が11か所あり、壁の厚さは1・2階で約29センチあります。さらに内堀の幅まで、火縄銃の届き方を考えた防御の設計が見られます。つまり松本城は、「かっこいい城」ではなく、本気で戦うために組み立てられた巨大な防御装置でもあったのです。

その一方で、後から加えられた辰巳附櫓月見櫓には、戦国の城らしい強い戦闘性があまり見られません。松本城の公式解説でも、辰巳附櫓の1階南側には、本来なら石落がありそうな場所に板敷きがあり、月見櫓を付けるための連結役としての性格が強いと説明されています。これは、城が「戦う場所」から「権威や余裕を見せる場所」へと変わっていく流れを、そのまま建物の中に残しているということです。

さらに松本城は、軟弱地盤の上に巨大な天守を立てる工夫でも特別です。公式解説によると、天守台石垣の内部には16本の土台支持柱が配置され、堀底には丸太を並べる筏地形が使われていました。重さ約1000トンの大天守を安定して支えるため、地面の下にまで知恵がめぐらされていたのです。城を見るとつい上ばかり見ますが、本当は見えない土台の技術こそ、天守を何百年も立たせた大仕事でした。

松江城の最新調査でわかった新事実

松江城の写真素材|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK

松江城は、今では国宝五城の一つとして知られていますが、今の評価が決定的になった大きな理由は、祈祷札の再発見でした。文化庁の解説では、松江城天守は堀尾氏が築城を進めた松江城の天守で、慶長16年(1611年)に完成した現在の天守が残っているとされています。そして近年に再発見された2枚の祈祷札によって、その完成時期がより明確になりました。

この発見がなぜそんなに大きいのかというと、古い建物では「いつ建てられたか」がはっきりしないことが多いからです。完成年代が明確になると、その城がどの時代の技術を代表するのか、どの城と比べるべきなのかがぐっとわかりやすくなります。松江市の案内でも、松江城天守は2015年7月8日に正式に国宝に指定され、祈祷札なども附指定されたと説明されています。つまり松江城は、見た目が立派だからというだけでなく、建物と証拠がそろって価値を証明できた城なのです。

松江城の構造もとても興味深いです。文化庁の詳しい解説では、太い柱と梁を組み、二階分の通し柱を多用し、さらに1階から4階の柱のうち130本に包板が取り付けられているとされています。包板は、柱の補強や軸部の強化に役立ったと考えられています。これは見た目の豪華さよりも、大きな天守をどう安全に、どう確実に立たせるかという、実用の知恵がはっきり残っている例です。

もう一つ面白いのは、松江城の下層部に富田城の部材が多く使われた可能性があることです。文化庁の解説では、地階から二階には古材が多く、堀尾氏の家紋に関わる刻印を持つ部材も含まれているとされ、前の居城だった富田城からの転用が推定されています。これは、城づくりが「ゼロから新品でつくる」だけではなく、政治の移り変わりと一緒に部材まで動いていたことを教えてくれます。城は石と木のかたまりではなく、時代の引っ越しまで記録しているのです。

科学調査で解明された天守の秘密とは

近年の城研究で特におもしろいのは、科学調査によって、昔は想像で語るしかなかったことが、かなり具体的にわかるようになってきたことです。たとえば犬山城では、木材の年輪を調べる年輪年代法によって、1585年や1588年の材が確認され、創建年代をめぐる大きな議論が前に進みました。松江城では祈祷札の再発見で完成年がはっきりし、柱の構法や包板技法の意味も整理されました。つまり今の城研究は、伝説や印象ではなく、木・札・構造・修理記録を合わせて読む学問になっているのです。

科学調査がすごいのは、単に「古いことを証明する」だけではありません。どの部分が当初材で、どこが改修かどんな力を想定した構造かその城がどういう時代の考え方を背負っているかまで見えてきます。松本城のように地盤や耐震の課題が現代の調査で明らかになる例もあり、文化財は「昔のもの」なのに、研究はむしろどんどん新しくなっています。保存や修理の方法も、こうした科学的な裏づけがあって初めて決められます。

だから国宝五城を見るときは、外から写真を撮って終わりではもったいないです。大事なのは、なぜこの形なのか、なぜこの柱なのか、なぜここに窓があるのか、なぜ今まで残れたのかを考えることです。そうすると城は、ただの観光地ではなく、日本の技術・政治・戦い方・美意識がぎゅっと詰まった立体資料に見えてきます。国宝に選ばれた理由も、5つしかない理由も、結局はそこにあります。数が少ないから価値が高いのではなく、見れば見るほど日本の歴史が深く読めるからこそ、5つは特別なのです。


気になるNHKをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました