曲亭馬琴の執念と出版弾圧の中で生まれた奇跡〜「南総里見八犬伝」に込めた道徳と苦悩|2025年4月1日放送回まとめ
2025年4月1日放送のNHK『先人たちの底力 知恵泉』では、江戸時代後期の読本作家・曲亭馬琴(滝沢馬琴)とその代表作『南総里見八犬伝』にスポットが当てられました。作品完成までにかかった期間はなんと28年。放送では、馬琴の人生に訪れた数々の転機と困難、そしてその中で彼がどのように物語を創り上げていったのかが描かれました。番組の中では、彼の出発点や家族の葛藤、出版弾圧の影響、そして失明後も執筆を続けた執念の姿が詳しく紹介されました。
武士の子として生まれるも、早くから放浪の人生へ
曲亭馬琴は1767年、江戸で下級武士の家に生まれました。しかし家は裕福ではなく、若くして将来に希望を持てなかった馬琴は、武家の生き方から距離をとっていきます。10代半ばで武士をやめ、行き場をなくして江戸をさまよいながら、各地を放浪するようになります。
やがて、町人の世界に足を踏み入れ、読書好きだった彼は、文字を書くこと、物語をつくることに希望を見出しました。とはいえ、筆一本で生きるのは簡単ではありませんでした。無愛想で堅苦しい性格が災いし、最初は周囲とうまくいかず、作家としての芽もなかなか出ませんでした。
才能を見出したのは「べらぼう」な出版人・蔦谷重三郎
そんな中、馬琴の才能に目をつけたのが、江戸の出版界の風雲児蔦谷重三郎でした。彼は、喜多川歌麿や山東京伝など、後の文化を支える作家・絵師たちを発掘し、世に送り出した人物です。馬琴も、蔦谷のもとで働くうちに、ようやく作家としてのスタートラインに立つことができました。
蔦谷の庇護のもと、馬琴は少しずつ作品を発表していきます。しかし、1797年に蔦谷が亡くなると、支えを失った馬琴は再び出版の道に苦労することになります。それでも馬琴は筆を折らず、さまざまな出版社と関係を築きながら創作を続けました。
幕府の出版弾圧がもたらした転機
19世紀に入ると、幕府は風紀を乱すとして出版物への規制を強め、出版弾圧が本格化します。読本や浮世絵、滑稽本なども取り締まりの対象となり、山東京伝のような作家たちは活動を自粛せざるを得なくなりました。
しかし、この厳しい時代こそが、馬琴にとっての一大転機となります。彼は作品に風刺や滑稽さを盛り込まず、あえて道徳的で真面目なテーマを打ち出すことで、検閲を避ける手法を選びます。そして、そこに生まれたのが『南総里見八犬伝』でした。
この作品には、以下のような特徴があります。
-
「勧善懲悪」「因果応報」といった幕府の価値観に沿った道徳的メッセージを重視
-
架空の物語ながら、史実や中国の古典から着想を得た重厚なストーリー構成
-
派手な演出を控えつつも、奇想天外な展開で読者を引き込む構成力
この工夫によって、馬琴は弾圧の嵐の中でも筆をとり続けることができたのです。
28年におよぶ執筆の道のりと、視力を失っても諦めなかった執念
『南総里見八犬伝』の執筆は文化11年(1814年)に始まり、完成までに28年の月日が流れました。その間、馬琴は幾度も体調を崩し、特に天保4年(1833年)以降は、視力の低下に悩まされます。
天保9年(1838年)には、両目ともに視力をほぼ失い、書くことすらできなくなりました。それでも馬琴は筆を置かず、息子の嫁・お路に口述筆記を頼み、執筆を続けます。
お路は漢字も書けなかったため、馬琴は一文字ずつ部首から説明しながら物語を語り続けました。その根気強さと執念は、まさに常人離れしたものでした。
家族との葛藤も乗り越えて
しかしその一方で、家庭内では深い葛藤が生まれます。妻・お百は、夫とお路の親密な関係を不快に思い、家の中は不穏な空気に包まれました。それでも馬琴は物語の世界に没頭し、1841年、ついに『南総里見八犬伝』を完結させました。
このとき、馬琴はすでに75歳。目も見えず、家庭も平穏ではない中での執筆完成は、まさに人生を懸けた偉業でした。
武士でありながら町人となった「ねじれ」と向き合う人生
馬琴が生涯悩み続けたのが、「武士としての誇り」と「町人としての現実」の間にあるギャップでした。筆一本で生きる町人でありながら、彼の物語には武士の忠義や正義への強い憧れが込められています。
『南総里見八犬伝』に登場する八犬士たちは、すべてが義に生きる者たち。これは馬琴自身の理想であり、心の奥に抱え続けた「もし自分が武士のまま理想の道を歩めたなら」という思いの投影でもありました。
「無粋」で「不器用」な男が成し遂げた、日本文学史に残る大偉業
馬琴は生真面目で融通のきかない性格でした。だからこそ、時代に合わせた派手さや世俗的なユーモアに乗ることはなく、長く評価されなかった時期もありました。しかし、真面目に、正直に物語を紡ぎ続けたその姿勢が、長い時を超えて今なお語り継がれています。
『先人たちの底力』では、馬琴の人生を通して「困難な時代に、いかに自分の道を貫くか」という知恵を提示していました。
出版の自由が制限され、視力を失い、家族ともすれ違いながら、それでも自分が信じた物語を最後まで書ききった馬琴の姿は、現代に生きる私たちにも大切なことを教えてくれます。信じた道をあきらめず、工夫しながら進む力――それこそが、馬琴が遺した最大の“知恵”でした。
コメント