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NHK【太陽の塔 消えた顔を追え】封印された“地底の太陽”の謎に迫る!復元と真相解明の記録|2025年5月3日放送

ドキュメント

幻の「地底の太陽」の行方と岡本太郎の祈り

1970年の大阪万博で生まれた「太陽の塔」。その地下には、今は存在しない“第4の顔”地底の太陽がありました。長らく行方が分からないこの顔にスポットを当て、NHKがその謎に迫ったドキュメンタリーが放送されました。番組は、失われた芸術作品の行方と、そこに込められた岡本太郎の哲学をひも解く構成となっており、文化や芸術を見つめ直す貴重な内容でした。

行方不明の「地底の太陽」とは?

「地底の太陽」とは、1970年の大阪万博で岡本太郎が制作した「太陽の塔」の地下に設置されていた巨大な顔型のオブジェです。直径およそ11メートルという圧倒的なスケールで、来場者に強烈な印象を与えるものでした。この顔は塔の地下に広がる展示空間に鎮座し、その周囲には世界各地の神像や仮面が配置されていました。空間全体が“生命の起源”や“人類の根源”を表す神秘的な演出となっており、「地底の太陽」はその中心として象徴的な役割を果たしていました。

・形状は球体に近く、黄金色に輝く表面と抽象的な顔の表現が特徴
・世界の神々を配置した空間演出の中でもっとも原始的で象徴的な存在として位置づけられていた
・塔内部の展示では、「地底の太陽」→「生命の樹」→「現在の顔」という進化の流れを体感できる構造

このオブジェは、万博の公式テーマ「人類の進歩と調和」に対して、岡本太郎なりの“アンチテーゼ”として生み出されたものでした。万博は未来志向の技術や経済の進歩を前面に押し出していた一方で、「地底の太陽」はその地下に位置し、人間の本質、生命の始まり、死と再生といった根源的なテーマを観客に突きつける装置でもあったのです。

しかし、万博が閉幕すると状況は一変しました。太陽の塔の地下は長く封鎖され、一般には非公開の状態が続きました。それにともない、「地底の太陽」の姿も人々の記憶から徐々に薄れていきました。

・塔の保存が正式に決まるまでの5年間、地下空間は立ち入り禁止となり放置状態
・「地底の太陽」の管理記録や移送履歴は一切残されていない
・当時の設計資料や施工記録にもこの顔に関する情報がほとんど見られない

こうした背景により、「地底の太陽」は物理的にも記録上もその存在があいまいとなり、いつの間にか“存在しなかったかのような扱い”にされていきました。芸術作品としても、展示物としても、その後の保存対象にはならず、まるで“幻の顔”として封印されたかのような状態となってしまったのです。現在、万博記念公園内に展示されているのは復元版であり、当時のオリジナルは依然として行方不明のままです。

「地底の太陽」は、現代に生きる私たちに忘れられた過去と向き合う重要性を問いかけている存在かもしれません。失われた“第4の顔”が今どこにあるのか。その真相は、今もなお明らかにされていません。

元目撃者たちが語る“その後”

「地底の太陽」が忽然と姿を消した後、その行方については長年謎のままでした。しかし、番組では当時の関係者や周囲にいた人々の証言を集めることで、その後の足取りが徐々に浮かび上がってきました。

神戸市立王子動物園で「太陽の塔の顔らしきものを見た」という証言が複数ある
・それは木製の箱に収められた状態で、屋外のフェンス際に一時的に展示されていた
・しばらくそのまま置かれていたが、数年のうちに誰にも知られず姿を消した

さらに、兵庫県庁で働いていた元職員の証言からは、別の場所での保管も示唆されます。

・動物園に近い庁舎の敷地で、「何か巨大な物体がシートにくるまれて放置されていた」
・その物体について、先輩職員からは「太陽の塔のパーツだ」と聞かされていた
・しかし、その庁舎は1980年代に解体され、保管されていた物体の行方は不明になった

これらの証言をつなぎ合わせると、「地底の太陽」が大阪万博閉幕後、一時的に神戸市内へと移送されていた可能性が高まります。しかし、公式な移動記録や管理簿は一切見つかっておらず、展示物として扱われることもなく、曖昧な状態で保管されていたと考えられています。

また、関係者の中には「太陽の塔の顔が“野ざらしで木箱に放置されていた”という扱いに衝撃を受けた」という声もあったそうです。この扱いからも、当時すでに「地底の太陽」は文化財としての認識を持たれていなかった可能性があり、後に産業廃棄物として処理されたという説が浮かび上がってきます。

・管理責任者の不在により、正式な移送・保存手続きがとられなかった可能性
・年数が経過する中で、施設の閉鎖や組織改編により記録や記憶が失われた
・結果的に「正体不明の巨大物体」として扱われ、処分されてしまった恐れ

このように、「地底の太陽」は一時的に姿を見せながらも、正式な保護対象とされなかったことから、次第にその存在が忘れられ、記憶と記録の隙間に落ち込んでしまったと言えます。まさに、“芸術の死”ともいえる悲しい結末が、今もなお真相不明のまま残されています。

万博に込めた岡本太郎の思想

1970年の大阪万博において、岡本太郎が制作した「太陽の塔」は、単なる巨大モニュメントではなく、時代に対する鋭い問いかけそのものでした。ドキュメンタリーでは、この塔に込められた思想をたどる旅がもう一つの軸として描かれていました。

岡本太郎は当時、縄文時代の文化に深い興味を持っており、その中に現代人が失ってしまった“生命のほとばしり”を見出していました。未来やテクノロジーの進歩を礼賛するだけではなく、「生命の本質とは何か」「人間の根源的な力とは何か」というテーマを芸術で表現しようとしていたのです。

・大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」だった
・会場中央には建築家・丹下健三が設計した巨大な大屋根が設置されていた
・未来的で合理的なパビリオンが並ぶ中、岡本の「太陽の塔」はその屋根を突き破って天を突くデザイン

このデザインは、万博という未来志向の祭典に対する強烈な異議申し立ての表現でもありました。塔は地上にある3つの顔(現在・過去・未来)と、地下に存在していた「地底の太陽」によって構成されており、人類の誕生から未来までを一つの流れとして表現していたのです。

特に地下に設置された「地底の太陽」は、塔全体の世界観における出発点であり、岡本太郎の思想の核といえる存在でした。

・「地底の太陽」は、地下に降り立った観客が最初に出会う“原始の顔”
・その周囲には、世界中の神や仮面が配置され、人類共通の精神性と命のルーツが表現されていた
・観客はそこから「生命の樹」を見上げ、塔の内部を通じて進化と未来をたどる構成

このような流れからも、「地底の太陽」は人間が持つ根源的な力、命のエネルギーを象徴する存在として塔の心臓部に位置していたことが分かります。それを見失うことは、太陽の塔の本質を失うことと同義であり、岡本太郎の芸術的メッセージが半世紀を経た今、あらためて問い直されているのです。

太陽の塔は今も万博記念公園に立ち続けていますが、その思想は過去のものではありません。2025年の万博を迎える今だからこそ、岡本太郎が託したメッセージを再び見つめ直すことが求められているのかもしれません。

久高島と“いのち”への祈り

番組では、「地底の太陽」をめぐる調査の過程で、太陽の塔の設計図に記された一つの言葉が新たな視点をもたらしました。それが「いのり」という文字です。この言葉の意味を探るため、番組プロデューサーの福岡伸一は、芸術家・岡本太郎がかつて2度訪れた沖縄の久高島へと向かいます。

久高島は、古来より祈りの島とされ、今も島内には御嶽(うたき)と呼ばれる神聖な祈りの場が点在しています。この島では、かつて死者を土葬せず、風葬という形で自然に還す文化が行われていました。骨が風雨に晒され、やがて朽ちていく中で、「死」は悲しみではなく新たな命への通過点とされていたのです。

・久高島では、「死」は終わりではなく再生の始まりという思想が根づいている
・自然とともに生き、命を大きな循環の中でとらえる伝統が今も残っている
・岡本太郎はこの島に惹かれ、「生命のノスタルジアを覚える」と記している

この文化と岡本の思想を重ね合わせたとき、福岡は「地底の太陽」が持つ意味に新たな解釈を見出します。それは、塔の地下に隠されたこの顔が“死”という概念を象徴していたのではないかという視点です。

・太陽の塔は地上に「現在」「過去」「未来」の顔を持つが、地下には「死=始まり」の顔があった
生命の始まりから終わり、そして再生へとつながる壮大な物語が、塔全体を通して描かれていた
・「地底の太陽」は、その中でも“死への祈り”を込めた原初の象徴であったと考えられる

岡本太郎の作品には、常に生と死、混沌と秩序、破壊と創造といった対立する力の共存がテーマとして流れています。久高島の風葬文化が示すような「命の循環」の思想こそが、岡本の芸術に深く息づいていたのではないかと、福岡は語ります。

つまり、「太陽の塔」は単に生命の誕生や未来を表すものではなく、死という終わりを経て再び新たな命へとつながる“循環のモニュメント”だったのです。この視点は、「地底の太陽」の謎を追う番組において、最も深く胸に響くメッセージとなりました。

現代を生きる私たちにとって、「いのち」とは何か、「死」とは何か、そしてそれをどう受け止め、どうつないでいくのか。太陽の塔が半世紀を経た今、あらためて生命への祈りと敬意を語りかけているように感じられました。

そして廃棄の可能性へ…最終局面を迎える調査

番組は、消えた「地底の太陽」の行方を追い、いよいよ最終局面を迎えました。最後に調査の焦点となったのが、神戸市の布施畑環境センター。この施設は、1980年代に神戸市内の産業廃棄物が搬入されていた場所であり、「地底の太陽」が廃棄されたとすれば、ここしかないとされました。

・当時の廃棄物収集業者の団体担当者は、「地底の太陽の処分先はここしかない」と明言
・神戸市環境局の職員は、「センターでは大きなものをそのまま受け入れることはない。必ず解体されてバラバラで搬入される」と証言
・つまり、もし搬入されていたとしても、原形をとどめてはいない可能性が高いとされました

この証言や資料の裏付けにより、「地底の太陽」は、いつしか廃棄物として扱われ、解体されたうえで埋立処分された可能性が極めて高いという結論に近づいていきます。

地中探査の専門家と連携し、かつて廃棄された可能性の高いエリアの地中スキャンも実施されましたが、明確な形跡は確認されず、現段階で“発見”には至りませんでした。

・調査対象の地層はすでに堆積物が深く、掘り返すこと自体が困難な状態
・探査技術による反応も限定的で、地底の太陽が存在した証拠は発見できず

福岡伸一は、「死への祈り」を込めた岡本太郎のメッセージが、最もふさわしくない場所で葬られてしまったことに、無念さを感じると語りました。モニュメントとしての「太陽の塔」が再評価される中、地下にあったその“心臓”とも言える「地底の太陽」が、記憶と記録の狭間で静かに消えていった現実が明らかになったのです。

最終的に、“物体”としての「地底の太陽」は見つかりませんでしたが、この番組を通じて私たちが得たものは大きな問いでした。

・失われた芸術をどう受け止めるか
・記録が途絶えたものに、どのように敬意を払うべきか
・そして、芸術に込められた“いのち”のメッセージを、どう次の世代に伝えていくか

この調査は、単に1つのオブジェを探す旅ではなく、芸術と記憶、そして「いのち」の尊厳と向き合う物語でもありました。岡本太郎が命を吹き込んだ「地底の太陽」は、形を失っても、その思想と問いかけは、これからも私たちの中で生き続けていくことでしょう。

終わりに

「地底の太陽」はもう現物としては戻らないかもしれません。しかし、岡本太郎が作品に込めた「いのち」「死」「再生」への問いは、今も生き続けています。この番組は、単なるミステリードキュメントではなく、芸術と時代をつなぐ“いのちの物語”でした。

2025年の大阪・関西万博が開幕する今、太陽の塔は再び私たちに問いかけています。「失われたものの記憶を、あなたはどう受け継ぎますか?」

放送:2025年5月3日(土)21:05〜21:55/NHK総合

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