郷土料理研究家・横山タカ子さんの信州の暮らしと受け継がれる台所
2025年6月17日放送の『心おどる あの人の台所(3)』では、NHK『きょうの料理』でもおなじみの郷土料理研究家・横山タカ子さんの台所に密着。信州の自然とともにある暮らし、そして母から受け継いだ保存食の知恵が息づく、今も昔も変わらぬあたたかい台所風景が紹介されました。番組では、冬の長い信州で生きるための工夫や、四季を感じながら食を大切にする姿勢が伝わってきました。
信州の暮らしとともにある保存食の文化
信州は標高が高く、冬の寒さがとても厳しい地域です。そのため、夏から秋にかけて採れる野菜や果物を冬まで保存するための工夫が、昔から暮らしの中で発展してきました。横山タカ子さんの台所には、そうした知恵と工夫がしっかりと息づいている様子がありました。
横山さんは家の階段下のスペースを保存食専用の収納庫に改装し、光の入らない冷暗所にしています。そこには、小さなガラス瓶に詰められた味噌やしょうゆ、果実煮、干し野菜、豆類、漬物、ジャムなどが整然と並び、見た目にも美しく、ひとつひとつが丁寧に管理されています。
・保存瓶は用途ごとに大きさが分けられており、すぐに使えるように分類されている
・瓶のふたには日付や内容が書かれていて、発酵の進み具合が一目でわかるようになっている
・棚の下には木桶や大きな陶器の容器もあり、大豆や味噌などの発酵が進むのをじっくりと待っている状態
保存の方法自体はとてもシンプルで、塩、味噌、醤油、酢といった基本調味料のみで味つけされています。調味料を足しすぎず、素材の味を生かすことを意識しているとのことです。たとえば野菜を干す場合も、特別な道具を使わず、日差しがしっかり当たる場所で6時間ほど干すだけ。それだけでうまみと栄養がぎゅっと凝縮されるのだそうです。
干した野菜は、すぐに調理に使えるようになっていて、味噌汁に入れたり、酢の物にしたりと、使い道は多岐にわたります。
・人参や大根、白菜は干すことで水分が抜け、旨味と甘みが強くなる
・きのこ類は香りが深まり、煮物にするとだしがしっかり出る
・かぼちゃやごぼうは薄く切ってから干し、油と一緒に調理することで食感も楽しめる
こうした保存方法は、冷蔵庫に頼らずに食材を長持ちさせる知恵でもあり、同時にキッチンのスペースも有効活用できます。無駄がなく、見た目も整っていて、暮らし全体がすっきりとした印象になります。横山さんの台所は、信州の風土と昔ながらの生活の知恵が詰まった場所であり、それを現代の暮らしにしっかりと根づかせているところが印象的でした。
発酵の力を取り入れた現代的な台所
横山タカ子さんの台所では、発酵食品が日々の食卓に欠かせない存在となっています。信州の厳しい寒さの中で育まれた「寒仕込み」の味噌や酒粕を活用することで、体を芯から温める料理が自然と台所に並びます。とくに冬場には、これらの発酵食品を使った味噌汁や粕汁が定番で、家族の健康を支える大きな柱になっているそうです。
印象深い料理の一つが、干し鱈を酒粕に漬けて仕上げた一品です。硬くなった干し鱈が、酒粕の中でじっくりと戻され、やわらかくなると同時に、酒粕のほんのりとした甘さと香りがしっかりと染み込みます。素材の再生と発酵の香りが見事に調和した一皿で、見た目は素朴ながらも深い味わいがありました。
横山さんの台所は、そうした発酵の力を活かしながらも、現代の暮らしに寄り添った工夫が施されています。食材の保存や調理法は昔ながらの知恵を活用しつつ、調味料の分量や工程をシンプルにすることで、忙しい毎日でも無理なく続けられるように整えられているのが特徴です。
・寒い時期には、味噌や酒粕を使った汁物が多く登場
・冷蔵庫を使わずに保存できる発酵食品を常備
・味つけは塩や味噌など最低限で、素材の味を引き出す
・台所には季節の飾りや自然素材の道具が置かれ、五感で季節を感じられる空間になっている
このように、横山さんの台所はただ料理をする場所ではなく、信州の自然と向き合いながら暮らしを丁寧に整える場として存在しています。四季の移ろいを感じ、その季節に合った発酵食品や調理法を取り入れることで、食べることが単なる栄養補給ではなく、暮らしの一部としての豊かさを育んでいます。古き良き知恵を大切にしながら、今の時代に合った方法で伝えていく姿勢が、横山さんの台所の魅力となっています。
母の味が根づく記憶と、それを伝える思い
横山タカ子さんにとって、台所は料理をするだけの場所ではありません。そこは、母との思い出が詰まった心の原風景であり、暮らしのすべてが始まる場所でもあります。幼い頃、味噌や漬物、梅干しなどを丁寧に仕込む母や祖母の姿を間近で見て育ち、自然と手仕事の感覚や季節に合わせた食材の扱い方を覚えていきました。
とくに印象的なのは、漬物との関わりです。毎日の食卓に並ぶのはもちろん、仕込みの工程も季節の行事のように生活の一部になっていて、小さな頃から“漬物は家族の味”として受け継がれてきたものでした。塩加減や漬ける時間、保存場所なども、理屈ではなく体と感覚で覚えてきたといいます。
40代になって体調の変化を感じたことが、あらためて「母の味」を見つめ直すきっかけになりました。発酵食品をふだんの食事に戻してみると、体の内側から整っていく感覚があったそうです。肌の調子が良くなり、疲れにくくなったと実感するようになったことで、改めて母の知恵の価値を深く理解したといいます。
その経験から、信州の自宅に自ら台所を中心とした住まいを整え、料理教室を開きました。そこでは、料理のテクニックを教えるだけでなく、暮らしの中でどう台所を使い、どう季節と向き合うかを伝えることを大切にしています。
・漬物や味噌づくりの工程を通して、四季の変化を学ぶ
・保存食の扱い方から、無駄を出さない暮らしを考える
・料理を通じて、家族の記憶や思い出を次世代に語り継ぐ
横山さんが伝えようとしているのは、単なるレシピではありません。それは「食べること=生きること」につながる知恵と姿勢であり、台所を通じて感じる「家族」「季節」「自然」との関係性です。
現代の暮らしでは効率やスピードが求められる場面が多い中、ゆっくりと時間をかけて食材と向き合い、思いを込めて台所に立つことの大切さを、横山さんは身をもって示しています。母から譲られた台所文化は、今も彼女の手の中で息づき、次の世代へと静かに受け継がれているのです。
横山タカ子さんの台所が伝えるもの
今回の番組では、現代的な設備や派手な演出はありませんでしたが、そこにあるのは静かで丁寧な暮らしの形でした。味噌をかき混ぜる手、干し野菜を並べる姿、そして季節ごとの保存食が整然と並ぶ台所からは、「暮らしを楽しむ知恵」がにじみ出ていました。
横山さんは、旧暦を参考にした季節の暮らし方も実践しており、冬には越冬野菜を活用して、台所から体を温める工夫もされていました。こうした日々の積み重ねが、今も信州に息づく台所文化として続いているのです。
「食べることは、生きること」。番組を通して感じられたのは、台所が単なる調理の場所ではなく、人生そのものを包み込む場所であるということでした。信州の風土と共にある横山タカ子さんの台所は、これからも多くの人の心を動かし続けることでしょう。
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