記事内には、広告が含まれています。

Eテレ【グレーテルのかまど】吉村昭のアイスクリームと最後の晩餐|硬派な作家が選んだ人生の一口(2025年8月11日放送)

グレーテルのかまど

吉村昭とアイスクリーム 作家人生を彩った小さな幸せと思い出

作家吉村昭は、79年間の人生で370を超える作品を残しました。戦争、震災、医療といった重いテーマを、徹底的な取材と膨大な資料をもとに描き続けた、日本を代表する記録文学・歴史小説の名手です。その一方で、日常生活では意外にもやわらかな一面を持ち合わせていました。それがアイスクリームへの愛情です。食後や執筆の合間に口にし、人生の最後に食べたいものとしても選んだアイスクリーム。その背景には、幼いころの懐かしい記憶と、日々書き続ける中で得た小さな安らぎがありました。本記事では、NHK Eテレ「グレーテルのかまど」で紹介されたエピソードをもとに、作家としての歩みと甘い記憶の物語を紐解きます。

幅広いテーマを描いた作家人生

吉村昭は1927年5月、東京・荒川区に生まれました。作風は事実に基づく精緻な描写が特徴で、歴史や社会の出来事を独自の視点から掘り下げることで知られています。代表作の『破獄』では昭和初期の脱獄王・白鳥由栄を題材にし、刑務所関係者や当時の記録を徹底的に調査。『仮釈放』では戦後の刑務所と人間模様を冷静に描きました。さらに『破船』では江戸時代の漁村で起きた食人事件を題材に、人間の生と死、共同体の在り方を浮き彫りにしています。
こうした作品の背景には、数か月から数年にわたる取材がありました。三陸沿岸の大津波を描いた『海の壁(三陸海岸大津波)』では、現地に何度も足を運び、生存者の証言を一つひとつ記録。『関東大震災』では膨大な文献資料と政府報告書、被災者の口述記録を突き合わせ、事実を積み上げていきました。吉村にとって取材は創作の核であり、創作のための労力を惜しまない姿勢は、生涯一貫して変わることがありませんでした。

書くことが生活の中心

吉村の生活は「書くこと」に完全に軸足が置かれていました。毎朝決まった時間に机に向かい、膨大なメモや書籍に囲まれて執筆。原稿用紙に向かう時間は何より優先され、体調不良や天候などに左右されることもほとんどありませんでした。1つのテーマに集中すると数百枚単位の原稿が短期間で仕上がることもあり、その集中力と持続力は周囲から驚嘆されていました。彼にとって書くことは職業であると同時に、生きる意味そのものだったのです。

アイスクリームとの日常的な関わり

そんな厳格な執筆生活の中にも、小さな楽しみがありました。それがアイスクリームです。食後や執筆の小休止に、スプーンでゆっくりすくって味わうアイスクリームは、彼にとって日々の活力源でもありました。味の好みは時期によって変わりましたが、バニラのやさしい甘みや、黒糖しょうがの独特な香りなど、どこか懐かしさを感じさせる風味を好んだといいます。

少年時代に刻まれた甘い記憶

吉村がアイスクリームを特別に愛した理由は、少年時代の体験にあります。戦前、まだアイスクリームが高級品だった頃、焼き芋屋が売っていたカップ入りのアイスを買ってもらったことがありました。列車に揺られながら、窓辺で一口ずつ大事にすくって食べたあの瞬間。車窓から流れる景色と、ひんやりとした甘みが一体となったその体験は、彼の心に強く刻まれました。年月が経っても、その記憶は色あせず、人生の節目や執筆の合間にふと思い出す存在となったのです。

最後の晩餐もアイスクリーム

晩年、エッセイ「最後の晩餐」で人生最後に食べたいものを問われた吉村は、「ごく上等のアイスクリーム」と即答しました。理由は単純でありながら深く、少年時代の幸福な記憶と、大人になってからの日常の安らぎ、その両方がアイスクリームに結びついていたからです。吉村昭記念文学館でも、この言葉は彼の人柄を象徴するエピソードとして紹介され、訪れる人々の心を温めています。

「グレーテルのかまど」での再現

2025年8月11日放送のNHK Eテレ「グレーテルのかまど」では、このエピソードをもとに吉村昭のアイスクリームが特集されました。番組内では、彼が好んだバニラ黒糖しょうがのアイスクリームを再現し、その味わいがもたらすやさしい時間が映し出されました。視聴者は、厳しい取材と執筆を重ねた作家の背後に、甘い時間を愛した一面を垣間見ることができました。

作家人生と甘い記憶の交差

重厚なテーマと向き合い続けた作家が、日常で求めたのは、一口のアイスクリームがもたらす静かな喜びでした。取材で人々の悲しみや苦難を聞き取り、歴史の闇に光を当てる仕事を続けながらも、スプーンを手にした時だけは、少年の頃の自分に戻れたのかもしれません。このささやかな楽しみがあったからこそ、彼は長年にわたって創作の炎を絶やさずにいられたとも考えられます。

まとめ

吉村昭は、徹底した取材と資料の裏付けで数々の名作を生み出した作家です。その生涯は厳しさと探究心に満ちていましたが、同時に、幼い日の記憶と日常の安らぎが重なるアイスクリームという小さな幸せに支えられていました。食後の一口、執筆の合間のひと休み、そして人生最後の望みまで。甘いひとさじが、作家の心と作品世界を静かに彩り続けたことは、彼の物語をより温かく感じさせます。吉村昭の作品を手に取るとき、このアイスクリームのエピソードを思い出せば、文字の奥に潜む人間味をより深く味わえるはずです。

番組を見て感じたこと

『破獄』を初めて読んだとき、吉村昭の筆致の厳しさと、事実を突き詰める圧倒的な緊張感に心をつかまれました。徹底した取材で描かれる脱獄囚・白鳥由栄刑務官の息詰まる攻防は、ページをめくる手を止めることを許さないほどの迫力で、物語の隅々まで張り詰めた空気が漂っていました。妥協を許さない作家の姿勢が、その一行一行から滲み出ており、読む者を現場へと引き込む力を感じました。

そんな硬派な作家像が自分の中で揺るぎないものになっていたのですが、今回の番組で、その吉村昭が日々の暮らしの中でアイスクリームをこよなく愛し、食後や執筆の合間にゆっくりと味わっていたこと、そして人生の最後に食べたいものとしても迷わずアイスクリームを選んでいたことを知り、胸が熱くなりました。

あの張り詰めた文体や、資料の山と真剣に向き合う姿の裏側に、少年時代の甘い記憶と、ひと口で心をほぐす穏やかな時間があったこと。それはとても温かく、作家という存在をより立体的に感じさせるものでした。昭和の列車の窓辺で食べたという思い出と、晩年まで続いた小さな習慣が、一本の糸のようにつながっているように思えます。

アイスクリームを味わうその姿は、『破獄』の重厚で緊迫した世界に、一瞬だけ差し込む柔らかな光のようでした。厳しさと温かさ、その両極を持つ吉村昭という人物を、以前よりもずっと近くに感じられるようになり、作品を読み返したときの印象も、きっとこれから変わっていくと感じています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました