赤土が導いた再生の祭り―悪石島「ボゼ祭り」に込めた島民の願い
鹿児島県の離島・悪石島(あくせきじま)をご存じですか?定期船でしか行けず、週にたった2便、鹿児島港から約10時間。人口80人ほどのこの島で、毎年お盆の頃に行われるのが『ボゼ祭り』です。今年の祭りは、ただの伝統行事ではありませんでした。地震に揺れ、避難を余儀なくされた島民たちが「もう一度、島を立て直そう」という思いを込めて迎えた特別な日だったのです。この記事では、2025年10月27日放送のNHK総合『午後LIVEニュースーン』で紹介された悪石島のボゼ祭りを通して、島民の絆と再生の物語をたどります。
地震がもたらした試練と“帰る勇気”
悪石島は、鹿児島市から約360キロ南に位置する孤島。2025年7月、この島を震度6弱の強い地震が襲いました。1か月以上にわたって揺れが続き、生活の基盤が揺らいだことで、多くの島民が一時的に島外へ避難しました。「もう戻れないのでは」との不安が島に漂う中、静かに動き続けていたのが西澤さんです。彼は高校を卒業後、11年前に悪石島へ移住。現在は電力を管理する重要な仕事を任されています。もともと県外の出身でしたが、島の人々とのつながりの中で生きることを選び、ここで家庭を築きました。地震による停電や通信障害の中でも、彼は「島を離れたくない」という思いで現場を支え続けていました。
伝統の火を絶やさぬ長老・有川さんの思い
50年以上もボゼ祭りを守り続けてきたのが有川さん。地震直後、彼は西澤さんを釣りに誘い、こう語りました。「ボゼはこの島そのものなんだ。君の世代にも残してほしい」。その言葉には、長年の経験と深い愛情が込められていました。ボゼ祭りは、単なる行事ではなく、“共同体の再確認”でもあります。誰か一人でも欠ければ成り立たない祭り。だからこそ、有川さんは若い世代にその責任と誇りを託したのです。釣り竿を握る手に、島の未来が重なって見えた瞬間でした。
新しい赤土との出会い―大地がくれた再生の証
9月上旬、地震が落ち着き、避難していた人々が少しずつ島へ戻り始めました。そして、ボゼ祭りの準備が再開されます。今年のボゼ役に選ばれたのは、西澤さん。全身に赤土を塗り、仮面をかぶり、人々の家々を回って赤土を塗りつけるその姿は、悪霊を払い、災厄から守る神の化身そのものです。ところが今年、地震の影響で崩れた斜面から、これまでにない鮮やかな赤土が現れました。まるで地中深く眠っていた大地が、島に新しい命を吹き込むかのように。「この赤土を見たとき、もう一度立ち上がれる気がした」と西澤さんは語りました。自然の恵みが、島の人々に“再生の勇気”を与えたのです。
伯野アナも参加、祈りの赤土に込めた思い
NHK鹿児島放送局の伯野アナウンサーも現地を訪れ、ボゼの赤土を体験。自らの顔にも塗りつけて厄を払い、「赤土の温かさと力強さを感じた」と語りました。放送で印象的だったのは、彼が着ていた「悪」と大きく書かれたTシャツ。このTシャツは地震報道をきっかけに注目され、チャリティー商品として人気を集めています。売上は島の被災支援やボゼ祭りの修復費用に充てられ、いまや東京や大阪からも購入者が訪れるほど。遠く離れた人々が、Tシャツを通じて島の文化を支えるという、思わぬ“絆”が生まれています。
島をつなぐ「ボゼ」の力、世代を超えて
悪石島のボゼは、単なる民俗行事ではありません。島の暮らし、自然、そして信仰がすべて交わる“生きた文化遺産”です。赤土を塗る行為は、過去と未来をつなぐ儀式でもあります。かつての島人が自然と共に暮らし、災害の中で祈りを捧げたように、現代の島民もまた大地に感謝し、次の世代へ希望を託しています。今年の祭りを終えた夜、赤い月が東シナ海に浮かび、静かに輝いていました。地震に揺れた島に再び灯った灯り。その下で、西澤さんは「去年よりも迫力のあるボゼができた」と笑顔を見せました。
まとめ:赤土の祈りがつなぐ、悪石島の未来
この記事のポイントは以下の3つです。
・悪石島は震度6弱の地震を経ても、島民の結束で『ボゼ祭り』を開催したこと。
・地震で現れた新しい赤土が祭りを彩り、再生の象徴となったこと。
・「悪」Tシャツを通じて、島と本土の間に支援と共感の輪が広がっていること。
悪石島の人々が守ってきた『ボゼ祭り』は、ただの伝統ではなく「生きる証」。自然と共に生き、祈りを重ねるその姿は、現代社会が忘れかけた“共同体の力”を思い出させてくれます。赤土の温もりが冷めやらぬうちに、私たちもまた、自分の暮らしの中で「守りたいもの」を見つめ直してみたいものです。
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