未来予測反省会「台風の進路を変えられる」って本当に可能なの?
「台風の進路を変えることも近代科学の力で夢ではない」——これは、昭和の政治家であり後に総理大臣となる中曽根康弘氏が、1959年に語った実際の言葉です。
当時の日本は、高度経済成長の入り口に立ちながらも、自然災害によって多くの命と生活を奪われていました。その象徴となったのが、同年9月に発生した伊勢湾台風です。最大風速55メートル、高潮被害による死者・行方不明者は5,000人を超え、名古屋や三重、愛知を中心に街全体が水に沈みました。
この悲劇を前に、中曽根氏は「政治の責任として、科学技術の力で災害を克服しなければならない」と宣言します。当時、彼が長官を務めていたのは科学技術庁。まだ宇宙開発も始まっていない時代に、自然の巨大な力である台風を「制御する」という発想は、まさに未来を信じた日本人の象徴でした。
この「未来予測反省会」では、そうした昭和の夢と、令和の科学がどこまで追いついたのかを、最新研究とともに検証します。放送後には、番組で紹介された実験結果や専門家の発言も追記予定です。
NHK【チコちゃんに叱られる!】なぜ日本は台風を番号で呼ぶの?戦後の歴史とアジア名の違いを解説(2025年8月29日放送)
台風の進路を変える——本気で挑んだ国と科学者たちの物語
1950〜60年代、世界では「気象を操る」という言葉が現実味を帯びていました。
アメリカでは『ストームフューリー計画(Project Stormfury)』という国家的実験が行われ、ハリケーンの目にドライアイスを投下して勢力を弱める試みがなされました。一方、日本でも、台風や豪雨の被害を減らすために、「人工的に雲を変化させる」研究が進みます。
その中心には、気象庁や日本気象学会、そして大学・電力会社が連携した研究チームがありました。航空機を使って雲の中にヨウ化銀やドライアイスを散布する人工降雨実験が行われたのはこの時代のことです。
当時はコンピューターがまだ普及しておらず、シミュレーションも不可能に近い状況。研究者たちは観測気球やラジオゾンデ(大気観測器)を使い、気温・湿度・風の流れを手作業で記録していました。その地道な観測データが、今の数値予報モデルの基礎になっています。
しかし、「台風の進路を変える」という明確な成果は得られず、報告書には「効果が不明確」「統計的根拠に乏しい」と記されています。技術の未熟さだけでなく、「本当に自然を操作してよいのか?」という倫理的な壁もあったのです。
ドライアイスで台風をおびき寄せる?壮大な実験の真相
番組でも取り上げられるであろうのが、「ドライアイスで台風をおびき寄せる」という驚きの実験。
1947年、国内の大学や在日米軍の協力のもと、航空機からドライアイスを散布する人工降雨実験が行われました。理論上は、雲の中で氷晶核が増えることで上昇気流が変化し、雨の降り方や雲の発達を操作できるという考えです。
後の研究では、「ドライアイスを台風の中心にまけば、上昇気流が抑制されて風速が弱まるかもしれない」という仮説も登場しました。中には「台風の目に氷をまくと気圧が上がり、進路が逸れる可能性がある」という大胆な推論までありました。
ただし、これらの実験はいずれも確実な成果を上げられず、再現性の低さと観測精度の不足が指摘されました。
一部の海外メディアでは「ノーベル賞学者が台風制御に挑戦」と報じられたこともありますが、現時点でそのような明確な記録は確認されていません。おそらく、当時の報道や研究成果が誇張され、夢のある物語として広まったとみられます。
それでも、この試みは「自然現象に人間がどこまで介入できるか」という壮大な問いを投げかけた歴史的実験として、今も語り継がれています。
なぜ日本は台風制御に“後ろ向き”になったのか
1960年代以降、日本では台風制御の研究が急速に減少していきます。
その背景には、科学的限界と倫理的問題、そして社会の不安がありました。
まず、台風というのは直径1000キロを超える大気の渦で、そのエネルギーは広島型原爆の数十万倍にも匹敵します。人間の技術でそれを「動かす」には、気象学的にも物理的にも、途方もないエネルギーが必要です。
さらに、「もし進路を変えた結果、別の地域に被害を与えたら?」という重大な倫理問題があります。
ある地域を守るために、別の地域を危険に晒すことになれば、それは「人為災害」に他なりません。被害が出た場合、責任は誰が取るのか? 補償はどうするのか? そのルールすら存在していませんでした。
また、日本では古来より自然と共生する文化が根付いており、「天をいじる」という発想に抵抗を感じる人も多かったのです。宗教的な背景も影響し、「自然を操作するのは神の領域だ」とする声が、当時の世論には少なくありませんでした。
結果的に、政府も「制御」から「予測」へと方針を転換。避難体制や防災教育、堤防整備など、現実的な災害対策に力を入れるようになっていきました。
現代の科学が挑む「台風との共存」——タイフーンショット構想の最前線
21世紀に入り、気候変動によるスーパー台風の増加が深刻化しています。これを受けて再び注目されているのが、科学技術による新たな挑戦、『タイフーンショット構想(Typhoon Shot)』です。
このプロジェクトは、内閣府ムーンショット型研究開発制度の一環として2022年に始まり、「2050年までに極端な台風や豪雨の脅威から解放された社会をつくる」という壮大な目標を掲げています。
中心メンバーには、東京大学大気海洋研究所の佐藤正樹教授、名古屋大学宇宙地球環境研究所の坪木和久教授、横浜国立大学の笹岡愛美教授ら、日本を代表する気象・海洋学者が名を連ねています。
彼らが取り組むのは、かつてのように「台風を動かす」実験ではありません。AIとスーパーコンピューターを使い、
・台風の発生メカニズム
・進路や強度のリアルタイム予測
・海洋と大気のエネルギー交換の解析
などを組み合わせ、台風の「暴れ方」を事前に把握し、被害を最小化することを目指しています。
さらに、研究にはELSI(倫理・法・社会的課題)の観点も導入され、科学者だけでなく法学者・社会学者・行政機関も参加。技術と社会のバランスを保ちながら、「安全に台風と向き合う未来」を構築する試みが進行中です。
まとめ
この記事のポイントは以下の通りです。
・1959年、中曽根康弘氏が掲げた「科学の力で台風を動かす」という未来予測は、災害と闘う日本の希望だった。
・人工降雨実験やドライアイス散布など、実際に台風制御を目指した試みは存在したが、成功には至らず、倫理的・技術的課題が残った。
・現代の研究は、『タイフーンショット構想』を中心に、AIや衛星技術を活用して「進路を変える」のではなく「被害を最小限にする」方向へ進化している。
・科学技術だけでなく、社会の理解や倫理の議論を含めた新たな防災モデルが求められている。
半世紀前の夢は、形を変えながら生き続けています。
「台風を動かす」ことはできなくても、「台風から守る」ことはできる——その信念のもと、科学者たちは再び挑戦を始めています。
11月11日放送の『未来予測反省会』では、こうした研究の現場や科学者たちの本音、そして「夢と現実の交差点」が描かれるはずです。放送後には、番組で明らかになった新しい知見や発言内容を追記予定です。
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