体格の停滞が教えてくれる“現代の課題”とは?
戦後、日本人の体はぐんぐん大きくなりました。食事が豊かになり、成長期には牛乳やお肉をたくさん食べて、身長も右肩上がり。しかし1990年代を境に、その伸びはピタリと止まりました。いま、日本人男性の平均身長は約171cmのまま。
「食べ物も豊富、医療も発達しているのに、なぜ?」――この疑問には、現代社会の課題が詰まっています。
この記事では、体格の停滞が示す“現代日本の問題点”を、人類学・栄養学・社会環境の3つの視点から探ります。読み終えるころには、私たちの体が今、何を訴えているのかが見えてくるはずです。
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栄養の「量」から「質」へ──見落とされたバランスの崩れ
戦後の日本では、まず「お腹を満たすこと」が大切でした。ご飯を中心に、魚や野菜のおかず、そして学校給食で出された牛乳が“栄養の象徴”とされ、エネルギーとたんぱく質をしっかり取ることが成長の鍵と考えられていました。実際、1950年代から70年代にかけては食事量の増加とともに身長もぐんぐん伸び、栄養改善運動が国を挙げて進められた時期でもあります。
しかし現代では、食べ物の“量”は十分でも、“質”が偏る傾向が見られます。特に不足が目立つのが、亜鉛や鉄、カルシウムなどの微量栄養素です。これらは体の代謝やホルモン分泌を助け、成長期の発達に欠かせない成分ですが、若者の摂取量は年々減少しています。国立健康・栄養研究所の調査によると、現代の摂取水準は1950年代とほぼ同じレベルまで低下しているといいます。
背景には、加工食品や外食、コンビニ食の普及があります。手軽でおいしい反面、加工過程でビタミンやミネラルが失われることが多く、体が必要とする“微細な栄養”が不足しがちです。さらに、精製された糖質や油脂を多く含む食事は、一時的に満腹感を与えるものの、体の内側からの健康を支える力を弱めてしまいます。
一方で、現代人は「多様な食」を楽しむようになりましたが、その多様性が必ずしも“栄養の多様性”につながってはいません。スムージーやサプリメントで栄養を補う人が増えても、食材そのものから得られる自然な栄養バランスは、日常の食卓から少しずつ姿を消しています。
つまり、現代の食生活は「量の豊かさ」と引き換えに、「質の細やかさ」を失ったのです。体の成長が止まったように見える背景には、私たちが気づかないうちに“体が必要とする基礎栄養”を見落としてきた現実があります。
睡眠と成長ホルモン──夜更かしが未来の体を変える
身長や筋肉の発達に欠かせないのが、成長ホルモンの働きです。このホルモンは、骨の成長や筋肉の修復、脂肪の代謝を促す重要な物質で、主に深い眠りの最中に多く分泌されます。特に睡眠開始から約90分以内に訪れるノンレム睡眠(深い眠り)の時間帯に最も多く分泌されるため、「眠りの質」が体の発達を左右すると言われています。
しかし、現代社会ではこの自然なサイクルが大きく崩れています。夜遅くまでテレビや動画、SNSを見続けることで、目から入るブルーライトが脳を刺激し、眠気を誘うホルモンであるメラトニンの分泌を妨げてしまいます。脳は「まだ昼間だ」と錯覚し、体内時計のリズムがずれてしまうのです。その結果、寝つきが悪くなり、眠っても浅い睡眠が続くようになります。
この浅い眠りでは、成長ホルモンの分泌量が十分に確保できません。特に思春期の子どもたちは、身長が伸びるピークの時期にこの影響を強く受けます。成長ホルモンは骨端線(骨の成長プレート)を刺激して身長を伸ばしますが、夜更かしや不規則な睡眠が続くと、この働きが鈍くなり、体格の発達にも影響を及ぼします。
また、睡眠不足は単に身長だけでなく、免疫力や集中力の低下、ホルモンバランスの乱れなど、体全体に悪影響を与えます。最近では、大人でも夜遅くまでスマートフォンを手放せず、慢性的な睡眠不足に陥る人が増えています。これは子どもにとっても生活の手本となるため、家庭全体のリズムが夜型に傾く一因にもなっています。
本来、人間の体は「夜に眠り、朝に動く」よう設計されています。深い眠りの時間にしっかり休み、ホルモンが働く環境を整えることこそ、健康的な成長と発達の基本です。成長ホルモンは特別な薬やサプリで補うものではなく、質の良い睡眠習慣によって自然に引き出される“体の知恵”なのです。
子どもの体が語る「社会の格差」
体格の停滞には、経済や社会構造の変化が大きく関わっています。かつての日本は「経済成長=栄養改善」と言われ、所得の上昇とともに食生活が豊かになり、子どもたちの身長も伸びていきました。しかし、バブル崩壊以降の景気低迷と共働きの増加、そしてライフスタイルの多様化が、家庭の栄養バランスや生活リズムに新たな歪みを生み出しています。
国立成育医療研究センターの報告によると、1980年前後に生まれた世代を境に成人男性の平均身長がわずかに低下しています。成長が鈍化した最大の要因とされるのが、**低出生体重児(出生時体重2,500g未満)**の増加です。現在、日本では生まれてくる赤ちゃんの約10人に1人が低出生体重児とされており、この割合は先進国の中でも高い水準にあります。
胎児期の栄養状態は、その後の成長に大きく影響します。母親の食事内容やストレス、過度なダイエット、夜型の生活リズム、そして長時間労働などが胎児の発育を妨げる要因となります。特に、鉄分や葉酸、たんぱく質の不足は胎盤を通じて胎児への栄養供給を制限し、成長ホルモンの働きを弱めることが分かっています。こうして生まれた時点で“小さな体”を持った子どもは、成長期に追いつくことが難しく、そのまま成人しても平均より低い身長となるケースが増えています。
さらに、体格差は家庭の経済格差や食環境にも直結しています。例えば、共働き家庭では調理の手間を省くために加工食品や外食が増えやすく、栄養の偏りが起こりやすくなります。反対に、時間と食材に余裕のある家庭では、旬の野菜や魚、手作りの食事を通じて自然な形でバランスの取れた栄養が取れます。このような「食の格差」は、地域や家庭の所得状況によっても広がっています。
つまり、身長や体格は単に遺伝だけで決まるものではありません。そこには、社会の構造・労働環境・家族の暮らし方といった“目に見えない要因”が重なっています。体の成長は、社会の健康を映し出す鏡のような存在なのです。
「体を育てる時間」を失った現代人
便利になった現代の生活は、同時に「動かない暮らし」を広げました。エスカレーターや自動車、デスクワーク中心の仕事が当たり前になり、体を使う時間は確実に減っています。これらの生活様式は、筋肉や骨にかかる刺激を減らし、体の発達をゆるやかに鈍らせています。人の骨や筋肉は“負荷”がかかることで強くなりますが、動かない時間が増えるほどその刺激を受ける機会が減り、筋力低下や骨密度の低下を引き起こしやすくなります。
運動不足は単に体を硬くするだけではなく、血流の悪化を通じて体の中の栄養循環にも影響します。食事で取った栄養素は血液によって全身に運ばれますが、筋肉を動かさないとポンプの役割が弱まり、細胞の隅々まで行き渡りにくくなります。これが続くと、成長期の子どもでは骨や筋肉の発達が遅れ、成人では代謝の低下や冷え・疲れやすさといった不調を招く原因にもなります。
昔の子どもたちは、放課後に公園や空き地で走り回り、転びながら体を鍛えていました。遊びの中に自然な運動があり、骨の成長線(骨端線)がしっかり刺激されることで、丈夫な体を育てていたのです。今の子どもたちは、室内でタブレットやスマートフォンに触れる時間が増え、体を動かす機会が圧倒的に減りました。画面を見る姿勢が長く続くことで姿勢の歪みや筋肉のアンバランスも進み、体の成長を支える土台そのものが弱くなっています。
こうした「静かな生活」が積み重なると、将来的に健康寿命にも影響を及ぼします。若いうちは不調を感じなくても、筋肉量の減少や血流の滞りは、年齢を重ねたときに大きな差となって表れます。骨を育て、筋肉を動かし、血を巡らせることは、単に“運動”ではなく、“生きる力”そのものを支える行為なのです。
成長の止まりは「警告」ではなく「問いかけ」
1990年代以降、日本人の身長の伸びが止まった背景には、栄養・睡眠・運動・社会環境など、複数の要因が複雑に関わっています。これらは単なる生活習慣の問題ではなく、社会の成熟や価値観の変化を映し出す現象でもあります。かつての日本は「より良い暮らし」「より健康な体」を目指して突き進んできましたが、経済成長とともに生活が便利になる一方で、体が受ける刺激やリズムは少しずつ失われていきました。
この“成長の止まり”は、決して退化ではありません。むしろ、それは現代社会への問いかけなのかもしれません。私たちは戦後の貧困を乗り越え、世界でも有数の長寿国となりました。医療の発展によって多くの病気が克服され、技術の進歩によって生活の質も格段に上がりました。人々は過酷な肉体労働から解放され、より安全で快適な暮らしを手に入れたのです。
しかし、その便利さの裏側で、私たちの体の本来のリズムや生命力は少しずつ弱まりつつあります。夜遅くまで灯りが消えない街、冷暖房で一定に保たれた室内、デジタル画面に囲まれた時間。こうした環境は、体が自然と調和して働くためのサイクルを乱し、知らず知らずのうちに「生きる力の省エネ化」を招いています。
身長が伸びなくなったのは、もしかすると“もうこれ以上の成長を求めないで”という体からのサインなのかもしれません。私たちの体は、数字で測れる成長ではなく、質的な豊かさを求め始めている。速さよりもバランスを、量よりも調和を――その変化こそが、現代に生きる人間が次のステージへ向かうための進化なのです。
放送後に追記予定
放送では、影山優佳が司会を務め、馬場悠男、森崎菜穂、瀧本秀美ら専門家が、体格の変化が語る現代社会の姿をさらに深く掘り下げる予定です。放送後には、新たに判明したデータや分析を追記し、記事をアップデートします。
まとめ
この記事のポイントは以下の3つです。
・身長の伸びが止まった背景には、栄養・睡眠・生活習慣の複合的な要因がある
・低出生体重児の増加や社会格差が、体格差に反映されている
・体の停滞は“退化”ではなく、社会のあり方を見直すサインである
“成長”とは、数字を大きくすることではなく、質を高めること。
身長の停滞は、私たちが「どう生きるか」「何を大切にするか」を問い直すチャンスなのかもしれません。
出典:NHK総合『未来予測反省会 日本人男性の平均身長は175cmになる』2025年10月14日放送予定
https://www.nhk.jp/
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