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【未解決事件File.08】日本赤軍 vs 日本警察 知られざる攻防 前編 穂苅正臣の証言と本富士警察署火炎瓶事件・フランス拘束事件の真相|2025年11月29日

未解決事件
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日本赤軍 vs 日本警察 前編

日本を揺るがせた『日本赤軍』と、『日本警察』との長い攻防。その裏側を描いた今回の前編は、過去を扱いながらも現在の社会にもつながる重いテーマでした。事件の背景には、理想を掲げた若者たちの暴走、国家の判断、人命の重さ、国際情勢が複雑に絡み合っています。読めば読むほど、単なる歴史ではなく、今この瞬間にも続く問題だと気づかされます。

国松孝次が語る“敵”とされる存在

番組は、国松孝次元警察庁長官の証言から始まりました。

地下鉄サリン事件の指揮を担い、その年に銃撃され瀕死となった国松孝次氏は、生涯の“敵”として重信房子の名を挙げます。

重信房子は日本赤軍の中心人物として世界各地で事件を起こし、人質を盾に要求を突きつけ、政府に超法規的措置を迫りました。国松氏は、警察官として、そして犠牲を見てきた当事者として、その存在を語る口調に力がこもっていました。

今回、刑期を終えた重信房子が番組の取材に応じたことも大きな焦点です。彼女の語る「差別のない社会を目指した」「非合法になることもあった」という言葉は、過去の行動と大きな矛盾を抱えて聞こえます。

60年代の学生運動から武装闘争へ

60年代後半、社会は大きな変化の波にありました。

重信房子は昼は一般企業で働き、夜は明治大学に通い、学生運動にも参加していました。当時の学生運動は希望や変革を求める動きでしたが、その一部は過激化し、暴力を伴う武装革命に傾いていきます。

1969年、過激派の中でも武装蜂起を掲げた『赤軍派』が結成されました。

国松孝次氏が署長を務めた本富士警察署は、赤軍派の若者たちから火炎瓶攻撃を受け、関係者37人が逮捕される事態に。差し入れに訪れたのが、後に国際赤軍の中心となる重信房子でした。

この頃を境に、警察は取り締まりの方針を大きく変えます。ビラ貼りなどの軽微な事案でも逮捕するなど、過激派を弱体化させる方向へ舵を切りました。

69年の一斉検挙によって赤軍派は弱体化しますが、火種は消えていませんでした。

あさま山荘事件がもたらした失望と断絶

1972年、赤軍派の流れをくむ『連合赤軍』があさま山荘事件を起こします。

警察官2人、民間人1人が命を落とし、さらにその裏で仲間同士によるリンチ事件が発覚。かつて共感されていた学生運動から一転、社会からの信頼は完全に失われます。

警察は「これで過激な運動は終わった」と考えたと番組では紹介されました。しかし、その認識は大きな誤算でした。

世界が震えた“ロッド空港乱射事件”

1972年5月、イスラエルのテルアビブ・ロッド空港で銃乱射事件が発生。24人が死亡し、実行犯3人のうち1人が生き残った岡本公三でした。

岡本公三が「日本の赤軍」と名乗ったことで、国際社会は日本の活動家を一気に注目することになります。

警察は実行犯の1人奥平剛士重信房子の関係に目を向けます。重信は事件の前年にレバノンへ渡り、そこで奥平剛士と結婚。現地では『パレスチナ解放人民戦線(PFLP)』が世界各地の革命組織とつながりを築き、重信はその広報活動を手伝っていました。

事件後、アラブ諸国ではイスラエルとの対立構造から日本人実行犯を肯定的に語る声もあがり、佃泰ら外務省関係者がその空気を読み取った様子も紹介されました。こうした反応を背景に、日本から新たな活動家がレバノンへ集まるようになっていきます。

日本赤軍の結成と海外での活動

1973年には、PFLPと日本人による旅客機ハイジャック。翌74年にはシンガポールでの石油施設爆破と、事件は連鎖します。

中東に対する情報網がほとんどなかった日本警察は、事件の実態把握さえ困難でした。

1974年、フランスで日本人活動家による誘拐計画が発覚し、その所持品から重信房子の関与が浮かび上がります。この時期に、PFLPから独立する形で『日本赤軍』が誕生し、最高幹部に就いたのが重信でした。

クアラルンプール事件が突きつけた現実

1975年8月、マレーシア・クアラルンプールで日本赤軍メンバー5人が53人を人質にとり、日本国内で収監中だった活動家の釈放を要求します。

当時の日本政府は、人質の安全を守るため要求を受け入れる判断を下しました。釈放された活動家の中には、あさま山荘事件で警察官を殺害した人物もおり、親しかった国松孝次氏は強い怒りを語ります。

国際社会も揺れました。アメリカのジェラルド・R・フォード大統領は日本政府に懸念を伝え、外交的圧力が重くのしかかりました。

「人命は地球より重い」とは何だったのか

1977年には釈放されたメンバーを含むグループが、再びハイジャック事件に関与。乗客だった医師穂苅正臣氏は、彼らが掲げる理想と行動の矛盾を痛烈に語ります。

その中で、福田赳夫首相の「人命は地球より重い」という発言は強い印象を残しました。重信ら内部では「その言葉を言うべきなのはむしろ自分たちではないか」という声が上がったと証言され、ここに日本赤軍内部の認識の危うさが表れていました。

このハイジャック事件を機に、警察は重信房子を国際手配し、中東を含む広域での追跡チームを結成します。番組では、その特別チームがどれほど極秘で動き、日本赤軍がどれほど巧妙に逃れたかが克明に語られました。

まとめ

学生運動から始まった流れが、やがて国際武装闘争へと転じ、国家の判断を迫り続けた『日本赤軍』。今回の前編では、その出発点からハイジャック事件までが詳しく明かされました。

理想を掲げながら暴力に走った若者たち、国家の判断に揺れた政府、人命を守るため葛藤し続けた警察。どれも単純に善悪で語れない複雑さがあり、今だからこそ振り返る意味があると感じられます。

後編では、特別追跡チームがどのように重信らを追い詰めたのか、そして国際社会の中で日本赤軍がどのように終息へ向かったのかが描かれるはずです。


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