日本赤軍vs日本警察|知られざる国際捜査の全貌
1970年代から続いた日本赤軍と日本警察の対立。その裏には、ダッカ日航機ハイジャック事件の屈辱や、極秘に結成された特別チームの存在、中東での危険な情報戦、そして重信房子逮捕へとつながる長い国際捜査がありました。この記事では、番組で描かれた知られざる攻防を、時代の流れに沿って立体的にまとめます。国際テロ対策がどのように強化され、日本赤軍の組織が追い詰められていったのか、その全体像が理解できる内容です。
日本赤軍と日本警察の対立はどこから始まったのか
1970年代、日本赤軍は国内外で武装闘争を繰り返し、世界中で事件を起こしました。転機となったのが『ダッカ日航機ハイジャック事件』です。1977年、パリを出発した日航機が武装メンバーに乗っ取られ、バングラデシュのダッカへ強制着陸。犯行グループは大量の身代金と拘束中の仲間の釈放を要求し、政府は超法規的措置で要求に応じ、人質解放を優先しました。この判断は、当時の日本警察にとって大きな屈辱であり、国際テロへの対応強化が国家的課題となりました。
ここから警察庁は日本赤軍対策を根本から変え、指名手配強化に加えて極秘の『特別チーム』を結成。
このチームが、のちに日本赤軍の国際ネットワークを追跡していく中心となります。
特別チームはどんな捜査を行ったのか
特別チームには、捜査のプロだけでなく外国語に堪能な人材も加わり、国外潜伏者の追跡に本格的に動き出しました。中でも注目されたのが、拠点のひとつだったレバノン・『ベイルート』での情報収集です。
しかし現地捜査は想像以上に難しく、協力体制は弱く、政治情勢も不安定。平沢勝栄らメンバーは目立たないよう動きつつ、少しずつ情報を積み重ねました。警察が動いていることが日本赤軍に知られれば報復の危険があったため、大使館にも気づかれないよう慎重さが求められたのです。
逃亡メンバーの所在情報、偽造旅券の足跡、国際手配リストとの照合――こうした地道な作業が、後の摘発へつながっていきました。
重信房子はどのような国際ネットワークを築いたのか
日本赤軍の最高幹部だった重信房子は、中東や社会主義国の勢力と関係を深め、国外の支援を得ながら活動しました。冷戦期には、反帝国主義を掲げる組織や国から支援を受けやすい環境があり、武器訓練や潜伏先の確保、資金の流れなどが形成されていきました。
ベイルートや社会主義圏との結びつきが強固だったことで、日本赤軍は国外での活動継続が可能となり、警察にとっては追跡が非常に困難な状況が続きました。この国際的な広がりが、日本赤軍を「世界的テロ組織」として認識させる要因となりました。
80年代、日本は世界のインテリジェンスとどう連携したのか
ダッカ事件を受けて政府はハイジャック対策本部を設置し、国際協力を含めた法制度・警備体制を強化しました。1980年代に入ると、警察庁は30以上の国の大使館に警備官を派遣。目的は、各国のインテリジェンス機関と連携し情報交換を進めることでした。
さらに旧東ドイツの秘密警察『シュタージ』が、日本赤軍と関係が深いと見られた人物の誘拐を企てていた情報も共有され、国際テロの脅威が高まっていることが明らかになりました。
国松孝次元警察庁長官は、こうした国際連携の中で日本の存在感が高まっていったと振り返っています。
日本赤軍の勢力を把握し対抗するには、外国機関との協力が欠かせなかったためです。
90年代は国際摘発が加速した時代だった
1995年、ルーマニアで日本赤軍メンバーが偽造パスポートで拘束されました。身分偽装は巧妙で、ペルー人になりすましていたことが明らかになっています。さらに別のメンバーがペルーに潜伏していることが判明し、特別チームの平林新一が現地へ。
捜査当局の協力を得て外国人登録のファイルを調べ、日本から持参した手配書と照合することで逮捕に成功しました。
一方、中東ではレバノン政府との協力が進展。レバノンの首相らが来日し、経済協力の話し合いが行われた裏で、実は特別チームが捜査協力を要請していました。
その結果、1997年に日本赤軍メンバー5人がレバノン当局に拘束されました。
なかでも注目されたのが岡本公三です。彼はかつてイスラエルの空港で銃乱射事件を起こし、終身刑となった後、捕虜交換で解放されレバノンへ渡っていました。拘束はされたものの、亡命が認められレバノンに留まることになりました。
こうした国際摘発の進展により、日本赤軍の活動基盤は大きく弱体化し、90年代後半には組織の影響力が急速に低下していきました。
重信房子の逮捕は何を意味したのか
2000年、長年国外に潜伏していた重信房子が大阪で逮捕されました。彼女は偽造パスポートで入国し、国内で身を隠していました。捜査関係者は、同じく逃亡していた坂東國男が大阪に潜んでいる情報も掴んでいましたが、最高幹部である重信の逮捕を優先したと語っています。
この逮捕は、日本赤軍追跡の象徴的なゴールともいえる出来事でした。
国松孝次は、重信逮捕をスイスで聞いたと話し、日本赤軍の追及が日本の警察力を国際的に高めたと振り返りました。
2022年、重信は刑期20年を終え出所。その後も『パレスチナ問題』に関する講演や執筆を続けていますが、組織としての日本赤軍は2000年代以降事実上消滅しています。
まとめ
今回の放送では、日本赤軍と日本警察の50年にわたる対立の裏側が描かれ、特別チームの存在や国際協力の進展、そして重信房子逮捕へと至る長い捜査の蓄積が明らかになりました。国家の威信を揺るがした『ダッカ日航機ハイジャック事件』から始まり、世界中での潜伏者追跡、レバノンとの協力、90年代の摘発ラッシュを経て、組織は終焉へ向かいました。
国際テロと向き合う日本の姿勢がどのように変化してきたのかを理解できる内容で、2025年の今も学ぶことの多いテーマでした。
NHK【未解決事件File.08】日本赤軍 vs 日本警察 知られざる攻防 前編 穂苅正臣の証言と本富士警察署火炎瓶事件・フランス拘束事件の真相|2025年11月29日
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