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NHK【首都圏いちオシ!】中川家礼二の沿線いちオシ!JR山手線スペシャル下町編|山手線下町スポット・品川田端全駅・140年の歴史|2025年12月20日

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中川家礼二の沿線いちオシ!JR山手線スペシャル下町編

このページでは『首都圏いちオシ!中川家礼二の沿線いちオシ!JR山手線スペシャル下町編(2025年12月20日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
開業140年を迎えたJR山手線。その中でも今回は、始発の品川から田端まで、東京の歴史と人の記憶が色濃く残る「下町側」を一気にたどりました。再開発が進むエリア、時代を超えて残る建物、変わらない味、そして街に生きる人の思い。番組を通して見えてきたのは、山手線が単なる環状路線ではなく、東京そのものを映す存在だという事実です。

山手線140年の歴史と高輪・品川エリアに残る鉄道の原点

番組は高輪ゲートウェイ駅からスタートしました。山手線は1885年、品川と赤羽を結ぶ路線として誕生し、1925年に環状運転が完成しました。今では当たり前のように走る山手線ですが、その原点には大胆な発想があります。
紹介された高輪リンクラインは、日本でも最古級の線路跡。内陸に土地を確保できなかったため、海の上に線路を通すという選択がなされました。現在は歩道として整備され、鉄道が街を切り開いてきた力強さを静かに伝えています。
続いて登場した品川駅では、日本の鉄道距離の起点を示す0キロポストと、構内の立ち食いそば店が紹介されました。およそ100年前から続くこの店は、ホームごとにつゆの濃さを変える工夫があり、名物の『品川丼』は駅とともに歩んできた味として今も親しまれています。

港区から都心へ 田町・浜松町・新橋に見る仕事と暮らしの東京

田町駅では、東京23区で唯一の酒蔵として知られる東京港醸造が登場しました。約200年前に始まり、西郷隆盛勝海舟も通ったと伝えられる酒蔵は、一度途絶えながらも約10年前に復活しています。現在は水道水を使い、まさに『メイドイン東京』の一杯を生み出しています。
浜松町駅では東京タワーの新サービス『東京ダイヤモンドツアー』を紹介。完全予約制で、専任アテンダントが高さ250メートルのトップデッキまで案内する体験は、定番観光地に新しい価値を加えています。
新橋駅では、サラリーマンの聖地とも言えるニュー新橋ビルが登場しました。50年以上愛されるこのビルの名物はオムライス。1日200食も出るという一皿は、溶かしバターが決め手で、働く街・新橋の象徴的な存在です。
この区間では、高橋みなみがAKB48の原点として田町駅を挙げ、ミッツ・マングローブも学生時代の記憶から田町を語りました。

有楽町・東京駅 日本の中心が育んだ文化と新しい楽しみ方

有楽町駅では東京交通会館が紹介されました。全国のアンテナショップが並ぶ中、注目されたのは世界初出展となる高級チョコレートメーカーのベーカリー。特に人気なのが、ビターチョコの風味が効いた『カレーパン』で、日本独自のパン文化を再提案する存在として話題になっています。
東京駅は日本の始発駅として知られ、レンガ造りの駅舎は重要文化財に指定されています。その駅舎の中にある東京ステーションホテルでは、文化財に泊まるという特別な体験が可能です。部屋ごとに異なる景色、バーで味わう伝統の『ビーフシチュー』が、東京の中心で過ごす時間に深みを与えています。

神田・秋葉原・御徒町 下町とサブカルが交差する街の記憶

神田駅では、マンホールの下に広がる神田下水が登場しました。140年前に伝染病対策として造られたレンガ造りの下水は、今も現役で使われています。駅よりも古いこの建築は、下町東京を支えてきた存在です。
秋葉原駅では、戦後の露天商から始まった秋葉原ラジオセンターを紹介。70年以上営業を続け、電子部品からアニメのフィギュアまで並ぶ姿は、まるで街の博物館。95歳の無線店主・菊池隆の存在も、秋葉原の歴史を物語っていました。
御徒町駅ではアメヤ横丁が登場。約400店舗が並ぶ商店街で、近年は国産ジーンズが再評価されています。外国人観光客の売り上げが4割を占めるなど、下町文化が世界へ広がっている様子が描かれました。

上野から田端へ 芸術・文学・人がつないだ北側山手線

上野駅では上野恩賜公園を紹介。花見、動物園、美術館と一年中にぎわうこの場所は、寛永寺を創建した天海が庶民のための観光地として整えました。不忍池は琵琶湖を模して造られています。
鶯谷駅では子規庵が登場。正岡子規が亡くなる直前まで文学に打ち込み、『ホトトギス』が生まれ、後に夏目漱石が『吾輩は猫である』を発表した場所です。
日暮里駅では『谷根千』ブームの裏側が語られました。地元女性たちが作った地域雑誌をきっかけに、編集者の森まゆみらが地域の魅力を掘り起こし、今の人気観光地へとつながりました。
西日暮里駅は社交ダンスの聖地として紹介され、80歳を超えて踊り続ける人々の姿が印象的でした。
終点の田端駅では、車両基地を望むトレインビューホテルと、田端文士村記念館が登場。芥川龍之介が学生時代から生涯を過ごした街として、文学の香りが今も残っています。

まとめ

品川から田端まで、15駅すべてに用意された『いちオシ』は、東京が歩んできた時間そのものでした。山手線は移動のための路線ではなく、人の暮らし、文化、記憶をつなぐ存在です。下町編を通して見えたのは、変わり続ける東京と、変わらず残り続ける東京。その両方を抱えながら、山手線は今日も街を一周し続けています。

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