能登半島地震から2年 輪島市のパン店「くまのおうち」が迎える現実
この記事では『午後LIVE ニュースーン5時(2025年12月24日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。能登半島地震からまもなく2年。輪島市で暮らし、パン店を営む古川まゆみさんと店を、番組が発災直後から継続して取材してきた記録をたどります。一度は見えた復興の光と、その先で立ち止まらざるを得ない現実。パン屋という身近な存在を通して、能登半島地震が今も続けている影響を見つめます。
発災直後の輪島市で起きた日常の崩壊
2024年1月1日に発生した能登半島地震は、輪島市の街と暮らしを根本から変えました。住宅の倒壊や道路の寸断が相次ぎ、商店街も静まり返りました。電気や水道が止まり、物資が届きにくい状況が続く中で、人々は先の見えない不安を抱えて生活することになります。焼きたてのパンの香りが漂っていた店先も例外ではなく、パン店は設備の損傷や材料の確保が難しくなり、思うように営業できない日々を余儀なくされました。パンを買うという何気ない行動が消えたことは、地域から日常の象徴が失われたことを意味していました。
店主・古川まゆみさんが歩んできた2年間
そうした状況の中で、古川まゆみさんは店と向き合い続けてきました。完全な形での再開が難しくても、できる範囲でパン作りを続け、地域とのつながりを絶やさない選択を重ねてきました。店を開けることは収入のためだけでなく、輪島市で暮らす人たちに「いつもの場所がある」と伝える行為でもありました。この2年間は、生活と仕事を同時に立て直す時間であり、迷いながらも前に進む日々の積み重ねでした。番組では、そうした歩みを発災直後から追い続けてきた経過が示されます。
一時は見えた復興の兆しと変わり始めた状況
時間がたつにつれて、少しずつ街に人の動きが戻り、店を訪れる常連の姿も見られるようになりました。パンを手に取る行為そのものが、日常が戻りつつある実感として受け止められ、店は前向きな話題として紹介されることもありました。復興に向けた歩みが始まったかのように感じられた時期です。しかし、その一方で、人口の減少や生活再建の遅れといった問題は静かに進んでいきました。表面上は落ち着きを取り戻しているように見えても、内側では別の変化が起きていました。
震災から2年で直面する大きな岐路
震災から2年が近づく現在、輪島市では復興の長期化が現実として見えてきています。人が戻らないこと、暮らしの基盤が十分に整わないことは、小さな店の経営に直接影響します。一時は前に進めると感じた道の先で、続けることの重さが増していきました。店をこのまま維持するのか、形を変えるのかという選択は、単なる経営判断ではなく、生活そのものに関わる問題です。パン店が立たされている状況は、能登半島地震の影響が今も終わっていないことをはっきりと示しています。
仲間や地域と支え合いながら続く現在
この2年間を支えてきたのは、古川まゆみさん一人の力ではありません。地域の仲間や、変わらず店に足を運ぶ人たちとの関係が、日々の支えになってきました。パンを買う、顔を合わせるといった小さな積み重ねが、困難な状況の中で前を向く力につながっています。以前と同じ形ではなくても、店は地域とつながる場所として存在し続けています。その姿は、輪島市で暮らす人たちが今どんな日常を生きているのかを映しています。
これからの輪島市と迫られる選択
輪島市の復興は、いまも途上にあります。住宅や道路の整備、生活の再構築には時間がかかり、先行きは簡単ではありません。その中で、パン店がどのような形で続いていくのかは、地域の未来とも重なります。『午後LIVE ニュースーン5時』は、震災から2年という節目に、身近なパン屋の歩みを通して、復興の現実とこれからの選択を伝えます。
※この記事は放送前の情報をもとに構成しています。放送後、内容が判明し次第、書き直します。
震災前と現在で変わった、パン屋が地域で果たす役割

輪島市にあるパン屋は、震災前と震災後で、地域の中で担う役割が大きく変わりました。どちらも「パンを売る場所」であることに変わりはありませんが、その意味合いはまったく違っています。生活の中でどんな存在だったのか、そして今どんな役割を背負っているのかを、暮らしの目線で整理します。
震災前の日常にあったパン屋の役割
震災前のパン屋は、地域の人にとってごく当たり前の生活の一部でした。朝にパンを買い、昼や夕方に立ち寄り、家族の食卓に並ぶパンを選ぶ場所でした。学校や仕事の前後に足を運ぶ人も多く、パン屋は「買い物の場所」であると同時に、町のリズムを感じる場所でもありました。特別な用事がなくても立ち寄れる存在で、日々の生活を静かに支えていました。
震災直後に変わったパン屋の意味
能登半島地震のあと、パン屋はそれまでの役割を果たせなくなりました。建物や設備の被害、材料の不足、生活そのものの混乱により、パンを焼くこと自体が難しい状況が続きました。その中で、店が再び動き出すことは、単なる営業再開ではありませんでした。パンがあるという事実が、生活が少し前に進んだ証として受け止められるようになります。パン屋は、日常が戻り始めたことを感じさせる存在へと変わっていきました。
現在のパン屋が背負う役割
震災から時間がたった現在、パン屋は再び地域に根づいています。ただし、その役割は震災前と同じではありません。今のパン屋は、食べ物を提供する場所であると同時に、地域の変化や現実を映す存在になっています。客足の変化や生活の違いを肌で感じながら、それでも店を続ける姿は、地域が置かれている状況そのものを表しています。パン屋は、今も続く震災の影響を静かに伝えながら、暮らしをつなぐ場所として存在し続けています。
気になるNHKをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。


コメント