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NHK【鶴瓶の家族に乾杯】奥田民生が新潟県燕市でステキなアイテム探しの旅|燕市 工場見学×スプーン口抜け×TokoToko×旧車バイクロケ地|2026年2月14日

鶴瓶の家族に乾杯
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奥田民生が歩いた燕市の“ものづくり”旅

このページでは『鶴瓶の家族に乾杯 奥田民生が新潟県燕市でステキなアイテム探しの旅(2025年5月31日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。

スプーンの口抜けに驚き、古いバイクや工具に心を奪われ、ものづくりの町・燕市の奥深さを全身で味わう奥田民生さん。そして鶴瓶さんは、商店街を元気にしようと動き出した人々と出会い、その温もりに触れていきます。

小さな道具から人の物語まで、燕市ならではの魅力がぎゅっと詰まった旅の始まりです。

燕市で始まる“道具と人”のドラマ

奥田民生さんの旅は、新潟県のものづくりの町・燕市から始まります。ここは400年近い金属加工の歴史を持ち、スプーンやフォークなどの洋食器づくりで世界的に知られる地域です。奥田さんは「ステキなアイテム」を探したいと語り、まずは職人の技が光るスプーンの工場へ足を踏み入れます。一方で鶴瓶さんは、商店街で街を元気にしようと走り回る建築士たちと出会い、温かい人の物語にも触れていきました。

スプーンの“口抜け”に震えた奥田民生の体験

奥田さんが訪れたのは、ノーベル賞晩餐会のカトラリーも手がける老舗メーカー・山崎金属工業です。ここではスプーンの仕上がりを左右する研磨工程がすべて手作業で行われており、一本を磨くために十数種類の砥石を使い分けています。

番組では、奥田さんが工場で研磨されたスプーンでコーヒーゼリーを食べ比べます。見た目は普及品とほとんど変わらないのに、口から抜けるときの“スッ”とした感覚に本気で驚きます。職人の手で磨かれた金属は金属臭がほとんどなく、表面の滑らかさが段違い。奥田さんは「これはすごい」と何度も感心し、燕市のものづくり文化にぐっと引き寄せられていきます。

さらに工場見学では、検査担当の女性が一本一本指先で撫でて仕上がりを確認する姿に、技術の積み重ねと誇りの奥深さを感じ取っていました。

鶴瓶が出会った“街を元気にする人たち”

鶴瓶さんが向かったのは、吉田地区の商店街。その先で見つけたのが、設計事務所とカフェを合わせた拠点「Toko Toko」です。店主の建築士・蓮沼さんは、古い商店街をもう一度盛り上げようと、空き家をリノベーションして人が集まる場所をつくり続けています。

店内では、マルシェや地域イベントが開かれ、普段は静かな商店街に1000人規模の人が訪れることもあると鶴瓶さんに紹介されます。さらに蓮沼さんは、昭和の香りが残る古い建物を購入し、地域の拠点にリノベーションしようと計画中。鶴瓶さんはその情熱に何度もうなずき、街の未来へのエネルギーを感じていました。

西燕駅の旧車バイク店で見た“時代を越える技術”

奥田さんは「何か買いたい」という気持ちに背中を押され、西燕駅近くをぶらり。そこで見つけたのが、ガレージいっぱいに旧車バイクが並ぶ「小柳商店」です。

昭和45年製のHonda CB750(K0)や、ファン垂ぜんのカワサキMACH IIIなどレア車がずらりと並び、奥田さんは目を輝かせながら眺めます。そこへ、この道50年の名整備士・小野寺さんが登場。全国から持ち込まれる旧車を直し続けていること、部品が手に入らない車種は全国の仲間から集めて対応していることなど、熱い現場の話が語られました。

奥田さんは「技術を引き継いでいけるのはうらやましい」と語り、バイク文化の奥深さと整備士の情熱に静かに感動していました。

中学生・86歳美容師・八百屋夫婦 人情があふれる燕の商店街

鶴瓶さんは、街を歩きながら出会う人たちと次々に交流していきます。

道ですれ違った中学生は、生徒会長を務める受験生。落ち着いた受け答えに鶴瓶さんも感心し、番組を見ていた奥田さんも思わず微笑んでいました。

次に訪れた自宅美容室では、86歳の現役美容師・チヱさんに出会います。10代から続けてきた美容の仕事を今もこなす姿には、日常を支える力強さと誇りがにじんでいました。

さらに、創業60年の八百屋「八百竹」では、店主夫婦が馴れ初めを語りつつ、商店街を支えてきた年月を静かに伝えます。鶴瓶さんは電気店でも気さくに会話を交わし、商店街には穏やかな時間が流れていました。

工作機械の山にときめいた奥田民生の“工具ショッピング”

旅の終盤、奥田さんは「何でもいいから工具が欲しい」とリクエスト。案内されたのは、小関地区にある新潟県央マシンセンターです。広いフロアには巨大なフライス盤やレーザー加工機が並び、操作盤のボタンの多さに奥田さんは思わず「萌える」と声を漏らします。

ただし大型機械は高額で持ち帰れないため、担当者が奥田さんを案内したのは中古工具の棚。用途が分からないU字金具や、強力磁石、つまむと先端が開く謎の工具など、奥田さんが心をくすぐられるアイテムが並びます。

最終的に300円で3つの工具を購入し、「これで300円!?」と大喜び。番組ラストでは、スタッフがスタジオ用に持ち帰った工具の一部が紹介され、燕市の“ものづくりの懐の深さ”も感じられる締めくくりとなりました。

燕市には、技術、歴史、街を支える人、そして小さな道具に宿る物語が詰まっています。今回の旅は、その魅力を余すところなく映し出した内容でした。

【鶴瓶の家族に乾杯】奥田民生がラーメン求めてさすらい旅IN新潟県燕市|燕市背脂ラーメン名店と玉川堂の銅やかん、ノーベル賞カトラリーの山崎金属工業を巡るロケ地案内|2026年2月7日

燕市の金属加工の歴史を紹介します

しげゆき
しげゆき

燕市の金属加工は、今からおよそ四百年前の江戸時代に始まったといわれています。農民が副業として和釘づくりを始めたことがきっかけで、この技術が少しずつ広がり、町全体の産業へと育っていきました。金属を打つ、伸ばす、磨くといった基本の作業がこの頃に根づき、のちの大きな発展につながっていきます。ここでは、その流れをさらに詳しく紹介します。

和釘づくりから始まった職人の技

江戸時代、信濃川の流域にある燕市では洪水が多く、農業だけでは生活が安定しませんでした。そこで生まれたのが鉄を加工する和釘づくりです。鉄を熱し、細くのばし、同じ形に整える作業は根気と技術が必要で、この積み重ねによって町に金属加工の基礎がしっかりと築かれていきました。

鎚起銅器や煙管へ広がる技術

和釘の需要が減ると、職人たちはその技術を使い、銅板を打ちのばして形を作る鎚起銅器や、細かい金属加工が必要な煙管づくりへと仕事を広げていきました。銅器は美しさと丈夫さを両立しており、手仕事ならではの魅力がありました。こうした新しい挑戦が、町の技術をさらに高めていきました。

洋食器の産地として世界へ

明治から大正にかけて、海外から洋食器が入ってくると、燕市の職人たちはその形を研究し、日本でも作れるように工夫を重ねました。ステンレスを加工する技術が発展し、スプーンやフォークを美しく磨き上げる技術も磨かれていきます。その結果、燕市は洋食器の主要産地として成長し、今では世界中のホテルやレストランで使われる製品も生まれる町になりました。一本のスプーンをつくるにも多くの工程があり、最後の仕上げは職人が目と指で確かめながら行っています。この細やかな作業こそが燕市の品質を支えています。

燕市の金属加工の歴史は、時代の流れに合わせて姿を変えながらも、ずっと大切に受け継がれてきたものです。今の洋食器産業の強さは、この長い積み重ねの上に成り立っています。

 


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