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【年末特集】あの人に会いたい 追悼2025|昭和100年×追悼番組×NHKアーカイブス×あの人に会いたい内容|2025年12月26日

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追悼2025でたどる昭和100年の記憶

このページでは『年末特集 あの人に会いたい 追悼2025(2025年12月26日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
昭和100年という節目の年に放送されたこの番組は、日本放送協会に残るNHKアーカイブスの映像を通して、2025年に亡くなった各界の著名人の人生と足跡を振り返る年末特別番組です。ただ功績を並べるのではなく、その人が生きた時代の空気や、言葉、表情までを映像で伝える構成が印象的でした。

昭和100年の節目に描かれた「追悼2025」という時間

昭和100年という大きな節目の年に放送された年末特集 あの人に会いたい 追悼2025は、単なる追悼番組ではありませんでした。
NHKアーカイブスに残された映像を通して、昭和という時代を生き抜いた人々の姿を、改めて今の視点で見つめ直す構成になっています。
昭和は、戦争、復興、高度経済成長、価値観の変化を経験した時代です。その中で活躍した人物たちは、同時に社会の変化を背負って生きてきました。
番組では、一人ひとりの人生を丁寧に追いながら、その人が生きた時代そのものを映像で感じられる流れが作られていました。


時代を象徴したプロ野球スター・長嶋茂雄の記憶

プロ野球選手・監督の 長嶋茂雄 は、2025年6月3日に89歳で亡くなりました。
天覧試合でのサヨナラホームランは、昭和のプロ野球を象徴する名場面として今も語り継がれています。
三振しても全力で振り切り、ヘルメットを大きく飛ばす姿は、勝ち負け以上に「魅せる野球」を体現していました。
送球フォームに歌舞伎の所作を取り入れた話や、実は陰で努力を重ねていた事実も紹介され、
天才と呼ばれながら、努力を惜しまなかった人物像が浮かび上がります。
2004年に脳梗塞を発症後、リハビリの様子を公にしたことも、同じ病と向き合う人々に強い影響を与えました。


日本サッカーの礎を築いた釜本邦茂の功績

サッカー選手の 釜本邦茂 は、8月10日に81歳で亡くなりました。
日本代表で男子歴代最多となる75得点を記録し、強烈なシュートと得点感覚で日本サッカーをけん引した存在です。
17歳で日本代表に選ばれ、西ドイツの指導者デットマール・クラマーから学んだ経験は、その後のキャリアを大きく変えました。
1968年のメキシコシティー五輪では大会通算7ゴールを挙げ、得点王となり、日本に銅メダルをもたらします。
この活躍がきっかけとなり、日本国内でサッカーへの関心が一気に高まったことも、番組では強調されていました。
引退後も指導者として、子どもたちにサッカーの楽しさを伝え続けた姿が印象的です。


知性と品格で愛された女優・藤村志保

俳優の 藤村志保 は、6月12日に86歳で亡くなりました。
知的で凛としたたたずまいは、時代劇から現代劇まで幅広い作品で強い印象を残しています。
役作りへの姿勢は非常に真剣で、鍼灸師役を演じる際には、自ら器具をそろえて練習を重ねていました。
その姿勢は、演技を表面的な表現ではなく、生き方として向き合っていたことを感じさせます。
晩年は絵本の読み聞かせ活動にも力を入れ、言葉を通じて人と向き合い続けました。


青春歌謡の象徴として輝いた橋幸夫

歌手の 橋幸夫 は、9月4日に82歳で亡くなりました。
17歳で発表した『潮来笠』が大ヒットし、一躍時代のスターとなります。
自宅が呉服店だったこともあり、店の前にファンが集まったというエピソードは、当時の人気の高さを物語っています。
吉永小百合 とのデュエット曲『いつでも夢を』は、その年のレコード大賞を受賞しました。
多忙を極めていた二人が、実際にそろって歌ったのが授賞式だったという事実は、昭和の芸能界の勢いを感じさせます。


表現の幅を広げ続けた俳優・吉行和子

俳優・エッセイストの 吉行和子 は、9月2日に90歳で亡くなりました。
舞台や映像作品だけでなく、文章でも多くの読者に親しまれた存在です。
30代で『おかあさんといっしょ』の話し手役に挑戦したことは、当時としては意外性のある選択でした。
しかし、その柔らかな語り口と落ち着いた存在感は、番組の雰囲気に自然に溶け込みました。
年齢や肩書きに縛られず、表現の場を広げ続けた姿勢が、静かに紹介されていました。


「出発の歌」に込められた上條恒彦の思い

歌手・俳優の 上條恒彦 は、7月22日に85歳で亡くなりました。
代表曲『出発の歌』は、合唱曲として今も歌い継がれています。
この曲は、特別な技術や派手さではなく、
前を向いて歩き出す気持ちに寄り添う歌として、多くの人に受け止められてきました。
番組では、歌手としてだけでなく、俳優として舞台や映像に立ち続けた姿も振り返られています。


演じることに生涯を捧げた俳優・仲代達矢

俳優の 仲代達矢 は、11月8日に92歳で亡くなりました。
内気で人見知りだった若い頃、映画『七人の侍』で 黒澤明 監督の厳しい指導を受けたことが大きな転機となります。
その後、黒澤作品に次々と出演し、俳優としての評価を確立しました。
主演作『影武者』はカンヌ国際映画祭で高く評価され、世界にその名を知られることになります。
1975年に立ち上げた無名塾では後進の育成に尽力し、
90歳を超えても能登演劇堂で舞台に立ち続けた姿は、
演じることと生きることが重なった人生そのものでした。


歌と演技で時代を映したいしだあゆみ

歌手・俳優の いしだあゆみ は、3月11日に76歳で亡くなりました。
『ブルー・ライト・ヨコハマ』の大ヒットにより、昭和歌謡を代表する存在となります。
紅白歌合戦には10回出場し、その歌声は多くの人の記憶に残っています。
俳優としては、向田邦子脚本の『阿修羅のごとく』で物語の要となる役を演じ、強い印象を残しました。
映画『火宅の人』では演技賞を受賞し、
歌と演技の両方で時代を映し出した人物として紹介されています。


大河ドラマに新たな地平を開いた脚本家ジェームス三木

脚本家の ジェームス三木 は、6月14日に91歳で亡くなりました。
大河ドラマ『独眼竜政宗』では、
歴史人物を人間味豊かに描き、年間平均視聴率39.7%という記録を打ち立てました。
この作品は、大河ドラマの表現の幅を広げた代表例として語られています。
物語の力で多くの視聴者を引き込み、
テレビドラマの可能性を押し広げた存在でした。


テレビ界を席巻した名司会者みのもんた

タレントの みのもんた は、3月1日に80歳で亡くなりました。
紅白歌合戦の司会を務めたほか、情報番組やバラエティ番組で圧倒的な存在感を示しました。
1週間で最も多く生番組に出演した司会者として、ギネス世界記録に認定されています。
テレビが生活の中心にあった時代を象徴する人物として、
その活動の幅と影響力が振り返られました。


鮮烈な色彩で時代を描いた画家・絹谷幸二

画家の 絹谷幸二 は、8月1日に82歳で亡くなりました。
長野オリンピックの公式ポスターを手がけたことでも知られています。
代表作『日月万丈富獄』に見られる、力強く鮮やかな色彩は、
見る人に強いエネルギーを与えてきました。
番組では、作品だけでなく、
絵に込めた思いや時代との向き合い方にも触れられています。


社会に警鐘を鳴らし続けた森永卓郎の視点

経済アナリストの 森永卓郎 は、1月28日に67歳で亡くなりました。
リーマンショック以降、日本社会で広がる格差について、早い段階から警鐘を鳴らしていました。
歯に衣着せぬ発言は賛否を呼びましたが、
考えるきっかけを与える存在であったことは間違いありません。
番組では、その発言の背景にある問題意識が紹介されています。


海と森をつないだカキ養殖家・畠山重篤

カキ養殖家の 畠山重篤 は、4月3日に81歳で亡くなりました。
高度経済成長期に起きた赤潮被害をきっかけに、
フランスの事例を参考に植林活動を開始しました。
森を育てることが海を守ることにつながるという考え方は、
その後、全国各地へ広がっていきます。
環境と産業を結びつけた実践として、番組でも大きく取り上げられました。


戦争と人間を描き続けた映画監督・篠田正浩

映画監督の 篠田正浩 は、3月25日に94歳で亡くなりました。
14歳で敗戦を経験したことが、その後の作品づくりに大きな影響を与えています。
集大成となった映画『スパイ・ゾルゲ』では、
軍国主義に傾いていく昭和初期の日本を描きました。
エンディングに『イマジン』を使用した演出も、
平和への強い思いを象徴しています。


茶の湯で世界と向き合った千玄室の生涯

茶道裏千家15代家元の 千玄室 は、8月14日に102歳で亡くなりました。
特攻隊員として仲間を見送った経験が、
その後の平和活動の原点になっています。
戦後は、茶の湯を通じて文化の力を伝えようと世界70か国以上を訪問しました。
千利休 の流れをくむ茶道を、
国境を越えた対話の手段として広げた生涯が描かれました。


NHKアーカイブスが語る「お宝映像」という記憶

番組後半では、NHKアーカイブスに残る貴重な映像が紹介されました。
長嶋茂雄 が『サンデースポーツ』で未来のプロ野球について語る姿など、
当時の空気をそのまま伝える映像が並びます。
記録された映像が、
時代を越えて語りかけてくる力を持っていることを実感させる場面でした。


年末に静かに心に残る追悼番組のメッセージ

年末特集 あの人に会いたい 追悼2025は、
功績を称えるだけの番組ではありませんでした。
一人ひとりの人生を通して、
昭和という時代をどう生きたのかを問いかける内容です。
年末の静かな時間に、
これまでの時代と、これからの時間を考えさせてくれる追悼番組でした。

【NHK 沖縄全戦没者追悼式】慰霊の日とは?戦後80年の平和メッセージ|2025年6月23日


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