「きょうの料理」の原点と食の物語
このページでは『放送100年特集 食べることは生きること「きょうの料理」誕生秘話(2025年12月31日放送)』の内容をもとに、料理番組がどのように始まり、社会や暮らしとどう結びついてきたのかを追っています。ラジオからテレビへ、戦争と復興を経て受け継がれてきた「食を伝える放送」の意味が見えてきます。
ラジオ放送開始と料理番組の誕生 1925年「栄養料理献立」が担った役割
1925年3月、日本でラジオ放送が始まりました。そのわずか数か月後の5月、すでに料理をテーマにした番組が放送されていたことは、今あらためて見ても驚きです。1925年5月24日に放送された『栄養料理献立』は、日本で最初の料理番組とされています。当時の日本は、関東大震災の影響が色濃く残り、不況が続いていました。食卓の中心は米で、漬物や汁物以外のおかずを日常的に食べる習慣はまだ広がっていませんでした。その結果、栄養が大きく偏り、体調を崩したり、命を落としたりする人も出ていたことが記録から分かっています。
こうした背景の中で放送された『栄養料理献立』は、見た目の豪華さよりも、生きるために必要な栄養をどう取るかに重点を置いていました。脂質やたんぱく質を意識した献立を、ラジオを通して毎日のように伝え、家庭の食生活を根本から見直そうとしたのです。ラジオという新しいメディアが、娯楽だけでなく、命を守る情報を届ける役割を担っていたことが、この料理番組からはっきりと見えてきます。
社会教育としての料理放送 大澤豊子と専門家たちが広げた家庭の食
ラジオ放送の初期、総裁だった 後藤新平 は、放送の使命を「文化の機会均等」と位置づけました。年齢や性別、階級の違いを越えて、同じ情報を電波に乗せて届けるという考えです。当時、高等女学校への進学率は15%にも満たず、女性が学ぶ機会は限られていました。そこで女性向け番組を任されたのが、新聞記者として活躍していた 大澤豊子 でした。
大澤は、料理を単なる家事の話題ではなく、社会教育の重要な柱として捉えました。番組には料理学校の教師やシェフが関わり、和食に加えて西洋料理や中華、デザートまで幅広いレシピが紹介されます。資料には、うどんや『ナポリテーヌ』といった料理名が並び、当時としては目新しい内容だったことが分かります。こうした料理は、家庭の食卓に新しい選択肢をもたらしました。栄養を取るだけでなく、食べる楽しさや彩りを伝えようとする姿勢が、放送を通じて少しずつ家庭に広がっていったのです。
戦時下の食と放送 糧友会と国策料理、放送休止まで
1930年代に入り、昭和恐慌の影響で農村部は深刻な状況に追い込まれました。女性の身売りが起きるほど生活は苦しく、そこへ 満州事変 が重なります。放送内容も、次第に国の方針と強く結びつくようになっていきました。糧友会 は 陸軍省 と 農林省 を中心に設立され、食糧問題の調査や栄養研究を進めます。その成果は料理番組にも反映され、戦地向けに考えられたレシピを家庭用に工夫して伝える取り組みが行われました。
カード式で持ち運びしやすいレシピや、うさぎ肉、高粱飯といった料理は、国策と結びついた象徴的な存在でした。1940年の 大政翼賛会 設立以降、生活統制はさらに強まり、「贅沢は敵だ」という考えが社会全体を覆います。そして1941年3月31日、料理番組は放送休止となりました。最後に紹介されたのは摘草の料理で、食料不足が極限に達していた現実がそのまま放送内容に表れていました。料理番組の歩みは、その時代の食と暮らしの厳しさを映し出す記録でもあったのです。
戦後の再出発と女性の解放 江上フジが切り開いた料理放送の再開
1945年の終戦後、放送は 連合国軍最高司令官総司令部 の指導のもとで大きく転換します。民主化が進められ、女性の解放が重要なテーマとして掲げられました。ここで中心的な役割を担ったのが 江上フジ です。入局4年目でプロデューサーに抜てきされた江上は、街頭録音に自ら立ち、人々の声を直接聞きながら番組づくりを進めました。
当時の市民生活は、配給に頼る日々で、食べること自体が大きな課題でした。1947年7月、女性向け番組の中で料理放送が再開されると、まず伝えられたのは、配給される限られた食材をどう生かすかという実践的な知恵でした。食材の扱い方を説明し、そこから複数の調理法を紹介する構成は、多くの家庭にとって現実的で役立つものでした。タラなど身近な食材の料理も取り上げられ、料理放送は再び生活を支える存在として戻ってきました。
テレビ時代へ 1957年「きょうの料理」誕生と家庭料理の原点
1953年にテレビ放送が始まり、1957年、ついに きょうの料理 がスタートします。江上フジが目指したのは、特別なごちそうではなく、日々の暮らしに根ざした家庭料理でした。手に入りやすい食材を使い、無理なく作れることが番組の基本方針として掲げられます。
番組初期には、戦前に活躍した 赤堀旺宏 の長女である 赤堀全子 も関わりました。最初に伝えたのは、ご飯の炊き方という、食生活の基本です。その考え方は今も受け継がれ、グリンピースと桜えびの炊き込みご飯のような料理として残っています。江上が残した「家庭でのお食事を楽しいものにしたい」という言葉は、料理を通じて暮らしそのものを豊かにしようとする番組の姿勢を表しています。ラジオからテレビへ、時代が変わっても、食を大切にする思いは変わらず受け継がれていきました。
まとめ 食べることは生きること、放送がつないだ100年
1925年のラジオ料理番組から1957年の『きょうの料理』誕生まで、料理放送は常に時代の課題と向き合ってきました。栄養不足、戦争、配給、復興という厳しい現実の中で、食は命を支える大切なテーマでした。この番組が伝えてきたのはレシピだけではなく、「食べることは生きること」という考え方です。100年続く料理放送の歩みは、これからの食と暮らしを考えるヒントにもなっています。
NHK【きょうの料理】高野豆腐とベーコンのチーズクリーム煮・カラフル野菜のスープ仕立て・さばとチーズのディップ・いちごのアイスクリームの作り方・レシピ|白井操 洋風献立 2025年12月24日
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