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NHK【クローズアップ現代】私が社会を変えるZ世代を魅了する歌手“ちゃんみな”の闘い|否定を力に変えた理由と『美人』の真意|2025年12月29日

クローズアップ現代
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「私が社会を変える」Z世代を魅了する歌手“ちゃんみな”の闘い

このページでは、NHK総合で放送されたクローズアップ現代(2025年12月29日放送)の内容をもとに、Z世代から強い支持を集めるアーティスト・ちゃんみなの言葉と行動を軸に、その闘いの全体像を追います。
否定された痛みを隠さず歌に変え、社会の理不尽に向き合ってきた彼女の姿は、今の時代に生きる多くの人の心と重なります。番組で語られた経験や思いを、流れに沿って整理します。

Z世代が支持する理由 否定された経験を歌に変えるメッセージ

ちゃんみながZ世代から支持される理由として、番組で繰り返し示されていたのは、歌の多くが実体験に基づいているという点です。
作られた物語ではなく、実際に自分が浴びてきた言葉や感情を、そのまま音楽に変えてきました。

「帰れ国へ」「醜いブスが歌ってんじゃないよ」。
こうした言葉は、比喩でも演出でもなく、実際にちゃんみなが向けられてきた言葉です。
彼女はそれらを隠したり和らげたりせず、悲しみや怒り、心の叫びとして歌詞に織り込み、正面から表現してきました。

その姿は、SNSや学校、社会の中で否定されてきた経験を持つ若者たちにとって、自分の気持ちを代わりに言葉にしてくれる存在として映っています。
ちゃんみなの歌は、ただ聴くものではなく、「自分だけじゃなかった」と感じさせる声になっているのです。

本人は、今の社会についても率直な言葉で語っています。
楽しくて平和に見えるけれど、悪い部分を見ようとしない無責任さがある」。
表面だけをなぞり、本当の痛みから目をそらしている空気に、強い違和感を覚えていると話しました。

また、大人世代が「自分たちの方が辛かった」と語る場面についても、そこには世代間のズレがあると感じていると明かします。
苦しさを比べ合うことで、今を生きる若者の痛みが見えなくなってしまう。そのことへの戸惑いを、包み隠さず言葉にしました。

こうした姿勢こそが、同じように否定され、理解されない思いを抱えてきた若者たちの心に、強く、まっすぐに届いている理由です。
ちゃんみなの言葉は、上からのメッセージではなく、同じ場所に立つ人の声として受け止められています。

代表曲『美人』に込めた怒りと自己肯定の闘い

代表曲『美人』は、社会から何度も否定されてきた経験そのものを正面から歌った楽曲です。
きれいごとで包んだ応援歌ではなく、傷ついた過去をそのまま差し出すように作られました。

幼い頃から音楽に打ち込み、17歳でデビューしたちゃんみな。
夢だったステージに立てた一方で、そこで待っていたのは祝福ではなく、容姿への激しい誹謗中傷でした。
見た目だけを理由に否定され続け、心は深く傷つき、摂食障害にまで追い詰められた時期があったことも番組で語られています。

その中で、ちゃんみなを支えたのは、前向きな言葉ではありませんでした。
救いになったのは、痛みそのものを隠さず歌うことでした。

有名にはなれない
醜いブス

実際に向けられた暴言に対して、怒りを飲み込むのではなく、怒りを表に出すことで自分を保ってきたのです。
感情を押さえ込まず、あえてさらけ出すことが、ちゃんみなにとって生きるための手段でした。

曲のラストに置かれた
何が美しいかは自分で決める
という言葉は、ただのフレーズではありません。
それは、社会や他人が押しつけてきた価値観に対する明確なNOであり、同時に、自分自身を取り戻す宣言でもあります。

この一言が、多くの人の胸に刺さった理由は、
「きれいになろう」「強くなろう」と言う前に、
否定されてきた現実をちゃんと通ってきた言葉だからです。

『美人』は、自己肯定を簡単に語らないからこそ、
同じように傷ついてきた人たちから、強い共感を集める一曲となりました。

自信を持てない若者たちと音楽が重なる瞬間

番組では、ちゃんみなの音楽に共感する若者たちの声も丁寧に紹介されました。
その中で特に多く挙がっていたのが、「自分に自信が持てない」という悩みです。

SNSが当たり前の環境で育ったZ世代は、日常的に他人の評価にさらされています。
投稿すれば、すぐに「いいね」やコメント、時には否定的な言葉が返ってくる世界です。
その積み重ねの中で、否定されることへの恐れが先に立ち、
「何かを発信すること自体が怖くなる」という若者も少なくありません。

自分らしさを出す前に、
「どう思われるか」
「嫌われないか」
を考えてしまい、本音を隠すことが当たり前になっている現実が浮かび上がっていました。

社会学者の石田光規さんは、
多様性が声高に語られる一方で、その言葉の嘘くささをリアルに感じながら生きているのがZ世代ではないかと指摘します。
「違っていていい」と言われながら、実際には空気を読むことや同調が求められる。
その矛盾の中で、自分を肯定することの難しさが強まっているという見方です。

そうした若者たちに強く印象づけられたのが、
ライブで『美人』を歌いながら、ちゃんみな自身がメイクを落とすパフォーマンスでした。

それは派手な演出ではなく、
「飾らない自分でいい」
「作られた姿でなくても、ここに立っていい」
という無言のメッセージでした。

言葉で励ますのではなく、
自分の姿そのもので示す。
その行為が、評価や視線に疲れ切っていた若者たちの心に、強い象徴として深く残ったのです。

ちゃんみなの音楽が重なるのは、
自信を持てない気持ちを「弱さ」と切り捨てず、
そのままの感情として受け止めてくれるからだと言えます。

自分を愛するために ちゃんみなが送る等身大のエール

ちゃんみなは、「好きにしていいよ」と言われること自体はありがたいとしながらも、
それを実際に行動に移すのはとても難しいと語ります。

自由でいい、個性を出していい。
言葉ではそう言われても、現実にはどう振る舞えばいいのか分からない人が多い。
周囲の目や評価を気にするあまり、
「自分らしくしよう」とするほど、怖くなって動けなくなる
そんな八方塞がりの感覚を抱えている人が、今の時代には多いと感じていると話しました。

だからこそ、ちゃんみなが大切にしているのが、
自分を敬愛し、尊敬することです。
誰かに認められる前に、
誰かの基準に合わせる前に、
まずは自分自身を雑に扱わないことが必要だと語ります。

無理に前向きになろうとしなくていい。
無理に変わろうとしなくていい。
そうした言葉の裏には、変われなかった自分を責め続けてきた経験があります。

「自分を変えようと頑張るより、
自分を可愛がる時間を持ってほしい」。

この言葉は、理想論や精神論ではありません。
同じように苦しみ、立ち止まり、
それでも生きてきた人だからこそ出てくる、現実に根ざしたエールです。

上から与える励ましではなく、
同じ目線で差し出される言葉。
だからこそ、そのメッセージは静かに、しかし確かに、
今を生きる多くの人の心に深く染み込んでいきます

新たな挑戦と社会への問い 美しさは誰が決めるのか

番組後半では、ちゃんみなが自らプロデュースする女性グループのオーディション企画が紹介されました。
その規模は大きく、応募者は7000人以上にのぼります。

このオーディションで特徴的だったのは、
年齢・体型・国籍といった条件が一切設けられていないことでした。
「こうあるべき」という枠を最初から外し、
一人ひとりの存在そのものと向き合おうとする姿勢が、企画の軸にあります。

この取り組みについて、犬山紙子さんは、
メディアや社会が本来やるべきだったことを、ちゃんみなが実践していると語りました。
選ばれる側が自分を削るのではなく、
評価する側が価値観を問い直す。
その視点の転換こそが、この企画の本質だと受け取られています。

ちゃんみな自身も、
美しさを他人が決める時代は終わったと、はっきりと言葉にしました。
見た目が好みかどうかで人を判断することへの強い違和感を示し、
それは才能や可能性とは全く別の話だと語っています。

さらに彼女は、
この問題は多くの人に当てはまるにもかかわらず、必死に向き合おうとする人が少ない現状にも目を向けました。
見て見ぬふりをされがちな違和感に、あえて光を当てること。
それこそが、ちゃんみなが音楽の外でも社会に投げかけている問いです。

このオーディションは、単なる新人発掘ではありません。
誰が評価するのか、何を基準に選ぶのか
その問いを、社会全体に突きつける試みとして描かれていました。

ルーツと深い傷を越えて 『RED』に込めた愛と未来への願い

楽曲『RED』は、ちゃんみな自身のルーツにまつわる深い傷を真正面から描いた作品です。
日本人の父と韓国人の母の間に生まれ、日本で暮らす中で、
自分自身や母のルーツに対して、冷たい視線や心ない態度が向けられてきた経験が語られました。

特に忘れられない出来事として明かされたのが、
小学生の頃、母の営む飲食店で投げかけられた言葉です。
理由も背景もないまま放たれたその一言は、幼い心に深い傷を残し、
長い間、誰にも話すことができなかった出来事として胸の奥にしまわれてきました。

『RED』は、そうした経験をただ暴き出すための曲ではありません。
曲の最後が「愛してる」という言葉で締めくくられていることが、
この楽曲の本質をはっきりと示しています。

伝えたかったのは、
辛かった過去そのものではなく、それを越えて人を愛したいという気持ちでした。
傷つけられた事実をなかったことにはしない。
それでも、怒りだけで終わらせず、
許したい、憎み続けたくないという選択をしようとする姿勢が、言葉の端々から伝わってきます。

もし、あの時傷つけた相手が目の前に現れたとしても、
中指を立てることはしない。
その人にも、その人なりの人生があると考えたとき、
愛していないわけではない、だからこそ許したい
そんな思いが、『RED』には込められています。

ちゃんみなが目指しているゴールは、「愛と平和」です。
それは理想論ではなく、
痛みを知った人間だからこそたどり着いた結論だと言えます。

AIが進化し、便利さが優先されていく時代だからこそ、
「便利だからAIがいい」ではなく、
「やっぱり人間っていいな」と思える未来をつくりたい。
その言葉には、音楽を通して社会と向き合い、
本気で何かを変えようとする覚悟が込められていました。

『RED』は、過去を語る曲でありながら、
同時に、これからの社会への願いを託した一曲として、
静かに、しかし強く響いています。

NHK【クローズアップ現代】年末拡大スペシャル 激動の2025年を振り返る|注目ニュース総ざらい・あの現場はいま・日本と世界の転換点|2025年12月22日

Z世代という言葉では見えなくなるもの

しげゆき
しげゆき

この番組を見て強く感じたのは、「Z世代」という言葉で一括りにされることで、一人ひとりが抱えてきた痛みが見えにくくなってしまうという点です。Z世代という呼び方は便利ですが、実際に映し出されていたのは、共通の特徴ではなく、それぞれ違う背景と経験を持った個人の姿でした。番組は、そのズレを浮かび上がらせていました。

Z世代というラベルが先に立ってしまう違和感

「Z世代」と聞くと、SNS世代、多様性、デジタルネイティブといった言葉が並びます。ですが番組で描かれていたのは、そうしたイメージでは語りきれない現実でした。自信を失った理由も、傷ついたきっかけも、人によって違います。それでも一括りにされることで、個人の苦しさが薄められてしまう。その違和感が、番組全体を通して静かに伝わってきました。

見えてきたのは世代ではなく個人の痛み

ちゃんみなの音楽に共感していた若者たちが語っていたのは、「Z世代だから苦しい」という話ではありませんでした。否定された経験、比べられ続けた時間、評価にさらされてきた日常。それらは、世代論ではなく、一人の人間が積み重ねてきた現実として存在しています。番組は、その一つ一つを切り取ることで、世代という枠の外にある本当の姿を見せていました。

共感が生まれた理由は「同じ目線」にあった

ちゃんみなの言葉や歌が響いた理由も、Z世代向けのメッセージだったからではありません。同じ場所で悩み、同じように傷ついてきた人の視点だったからこそ、若者たちは自分を重ね合わせることができました。番組を通して見えたのは、世代を語る声ではなく、個人の痛みに寄り添う表現が持つ力でした。だからこそ、この番組は「Z世代特集」にとどまらず、もっと広い共感を生んでいたように感じます。

 

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