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【ラストトーキョー2025】変わりゆく新宿100年 再開発とゴールデン街が失ってきた文化|2025年12月29日

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再開発の先に何が残るのか 新宿100年が問いかけるもの

このページでは『ラストトーキョー2025 変わりゆく新宿の100年(2025年12月29日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
新宿という街が、なぜ人を引き寄せ続けてきたのか。再開発が進む今、何が失われ、何が残ろうとしているのか。その答えを、半世紀にわたり新宿で生きてきた一軒の麻雀店と、街の記憶を通して描いたのがこの番組です。この記事を読むことで、新宿の表と裏、華やかさと弱さ、そのすべてが一本の線でつながって見えてきます。

半世紀続く麻雀店が映す 再開発と日常のせめぎ合い

物語の出発点は、50年以上にわたり新宿で麻雀店を営んできた柚木佳江の店です。
高度経済成長、バブル、景気後退、そして街の再編をくぐり抜けながら、この麻雀店は新宿の片隅で灯りをともしてきました。常連客の顔ぶれは時代とともに変わっても、「ここに来ればいつもの空気がある」という安心感だけは変わらず守られてきました。

ところがコロナ禍は、その長い歴史の中でも大きな試練でした。
人の流れが止まり、先が見えない日々が続くなか、3店舗のうち1つを閉めるという苦渋の決断を迫られます。積み重ねてきた時間を手放すことは簡単ではなく、店を閉めるという選択そのものが、街の変化を突きつけられる瞬間でもありました。

それでも残った店は、少しずつ息を吹き返していきます。
現在は再び多くの客が足を運び、店内には笑い声と牌の音が戻っています。従業員の平均年齢は80歳近く。長年働いてきた仲間たちは、体力的な不安を抱えながらも、互いを気づかい、役割を分け合いながら店を支えています。派手な工夫や新しい仕掛けではなく、積み上げてきた経験と信頼関係が、この店の強さになっています。

しかし、その足元では別の時間が進んでいます。
店の周辺では新宿駅を中心とした環境整備や再開発の計画が具体化し、立ち退きや買収の話が現実味を帯びてきました。地図の上では「整備区域」「更新エリア」と表記される場所が、ここでは生活の場であり、働く場です。

店を続けたいという思いと、街が変わっていく現実。
どちらか一方を簡単に選べる状況ではありません。その間で揺れ動く姿は、一軒の店の問題にとどまらず、新宿という街が長い時間をかけて抱えてきた矛盾そのものを映し出しています。
人が集い、古いものと新しいものがぶつかり合いながら形を変えてきた街。その縮図が、この麻雀店の前に静かに広がっているのです。

娘が追った母の人生 「新宿のネズミ」と呼ばれた理由

番組を動かしているのは、ディレクターである柚木映絵の視点です。
この物語は、単なる街の記録ではなく、娘が母の人生を見つめ直すところから始まります。母は自分のことを「新宿のネズミ」と語ります。それは自嘲でも冗談でもなく、新宿の表通りだけでなく、裏路地、雑居ビル、深夜の街の空気まで、体で覚えてきた人間だという誇りの言葉です。時代ごとに客層が変わり、街のルールが変わり、店の並びが消えていく中でも、その変化をすべて見届けてきました。

映絵は、そんな母の背中を追いながら、新宿という街がどう生き延びてきたのかを記録していきます。取材の視点は常に近く、派手な出来事よりも、積み重なった時間に焦点が当てられます。母が語る何気ない言葉や、店の中で交わされる視線のやりとりが、街の歴史と重なっていきます。

コロナ禍を乗り越えた今も、現実的な問題は終わっていません。
体調管理が難しくなる日が増え、人手不足は慢性化しています。開店前の掃除ひとつ取っても、誰が来られるのかを確認しながら進めなければなりません。シフトの組み間違いで、本来出られない従業員を入れてしまうこともあります。そうした小さなミスの裏には、長年一緒に働いてきた仲間への気遣いと、「無理をさせたくない」という思いが重なっています。

出られなくなった従業員を責めることはなく、代わりに自分が動く。
その判断の積み重ねが、店を支えてきました。しかし同時に、それは年齢を重ねた体には負担にもなっていきます。日常の一つ一つが、以前よりも重みを持ってのしかかります。

こうした日々の営みが、再開発という大きな波の中で静かに揺れていきます。
図面や計画書には表れない、人の迷いや覚悟が、この番組では丁寧にすくい取られています。新宿が変わるということは、建物が建て替わるだけではありません。そこに生きてきた人の生活や判断、関係性が、少しずつ形を変えていくことでもあるのです。

歌舞伎町にあった静かな文化 俳句集団「屍派」の記憶

柚木映絵は、新宿・歌舞伎町の一角にある古い雑居ビルを訪ねます。
そこはかつて、歌舞伎町俳句一家「屍派」と呼ばれる集まりが開かれていた場所でした。夜の街というイメージとは対照的に、ここでは言葉に向き合う静かな時間が流れていました。年齢も職業もばらばらな人たちが集まり、それぞれの視点で俳句を詠み、短い言葉に街の感情や個人の思いを込めていました。

店でも劇場でもなく、雑居ビルの一室。
その曖昧な場所だからこそ、肩書きや立場を超えた交流が生まれていました。歌舞伎町という街の中に、声を張り上げる必要のない居場所が確かに存在していたのです。

しかし、その集まりはすでに解散しています。
当時を知る北大路翼は、「今の歌舞伎町には大人がいなくなった」と語ります。この言葉は、年齢の問題ではありません。街の中で責任を持って場を守り、文化を育て、次の世代に手渡していく存在が見えなくなったという感覚を指しています。

派手なネオンの裏側で、ひっそりと育まれていた静かな文化
それが消えたことで、街の空気が変わってしまったという実感が、強く残ります。建物は残っていても、そこに集まっていた人の気配や言葉のやりとりは戻りません。再開発や時代の流れの中で、数字には表れない変化が、歌舞伎町の足元で確実に起きていたことが、この場面から伝わってきます。

場末から日本一へ 新宿誕生と関東大震災の転機

番組は時間をさかのぼり、新宿駅が開業した頃の姿を丁寧にたどっていきます。
現在の高層ビル群や人の波からは想像しにくいですが、かつての新宿は、キツネが出るような場末の土地でした。交通の要所でもなく、繁華街でもない、都市の周縁にある静かな場所だったのです。

その地に根を下ろしたのが、新宿中村屋の創業者である相馬黒光でした。
相馬黒光は単なる商人ではなく、人と人を結びつける力を持った存在でした。店には日本人だけでなく外国人も集い、困っている人がいれば手を差し伸べる。中村屋は早くから、商売の場であると同時に、人が集まる拠点として機能していました。

1923年に起きた『関東大震災』は、街の運命を大きく変えます。
多くの店が営業できなくなる中、新宿中村屋では商品をほぼ原価で提供し、食べ物を必要とする人たちを支えました。利益よりも人を優先するこの行動は、震災直後の混乱の中で強い信頼を生みます。

この出来事をきっかけに、人は新宿へと集まり始めました。
住む場所を失った人、仕事を求める人、新しい生活を始めようとする人たちが流れ込み、街は一気に息づいていきます。新宿は単なる通過点ではなく、生活と商いの拠点として広がっていきました。

やがて新宿駅は路線が増え、人の流れが集中する場所になります。
関東大震災後の復興とともに街は拡張され、駅を中心に店や劇場、飲食店が集まり始めます。こうして新宿は、日本有数の乗降客数を誇る巨大ターミナルへと成長していきました。

番組は、この歴史を通して、街の発展が偶然ではなかったことを伝えています。
危機の中で誰がどう動いたのか。その選択の積み重ねが、現在の新宿につながっているという事実が、静かに浮かび上がってきます。

戦時下の娯楽 ムーラン・ルージュ新宿座という光

戦争の時代にも、新宿には確かに文化が息づいていました。
その象徴として番組が取り上げるのが、『ムーラン・ルージュ新宿座』です。戦時下という厳しい状況の中でも、この劇場には芝居笑いを求める人々が集まり、日常の重さを一瞬でも忘れられる空間が生まれていました。

『ムーラン・ルージュ新宿座』は、ただの娯楽施設ではありませんでした。
世の中が不安と緊張に包まれる中で、人が集い、感情を共有し、言葉や表現を通してつながる場所でした。劇場の灯りは、暗い時代の中で小さくても確かな希望として、多くの人の記憶に刻まれていきます。

番組では、当時この舞台で人気を集めた『明日待子』の存在にも触れられます。
彼女の歌や舞台は、人々の心を強くつかみ、戦争という現実の中でも文化が生き続けていたことを物語っています。観客は、束の間の時間でも日常から解放され、感情を解き放つことができました。

しかし、その文化の拠点は長くは続きません。
1945年、空襲によって『ムーラン・ルージュ新宿座』は焼失します。建物も舞台も、一夜にして失われました。笑い声や拍手が響いていた場所が、突然地図から消えてしまう。この出来事は、文化がいかに脆く、同時にどれほど大切なものだったのかを突きつけます。

華やかな文化が一瞬で消え去った事実は、新宿という街の本質を強く印象づけます。
新宿は、破壊されて終わる街ではありませんでした。失われたあとに、人がまた集い、新しい表現や居場所を生み出してきた街です。『ムーラン・ルージュ新宿座』の消失は、その後も何度も繰り返される破壊と再生の最初の大きな記憶として、今も街の奥に刻まれています。

闇市からゴールデン街へ 戦後の混沌と家族のような街

戦後の新宿には、人が生き延びるための場所として大規模な闇市が生まれました。
焼け野原となった街に、食べ物や日用品を求める人々が集まり、路地や空き地には露店が立ち並びます。法も制度も追いつかない中で、人と人との直接的なやり取りが街を動かしていました。混沌としていながらも、そこには確かな活気と、生きようとする力が満ちていました。

やがて復興が進み、再開発の流れの中で闇市は整理されていきます。
無秩序に広がっていた市場は解体され、別の場所へと移転することになります。その一部が移り住んだ先が、現在の新宿ゴールデン街でした。細い路地に小さな店が密集する独特の街並みは、闇市の名残と、戦後の記憶を色濃く残しています。

新宿ゴールデン街で育った原島玲子は、当時の様子を「街全体が家族のようだった」と振り返ります。
店と店の距離が近く、壁一枚隔てた向こうに人の気配がある。誰かが困れば自然と手を差し伸べ、店の子どもは街全体で見守る。そこには、商売と生活が分かれていない、濃密な人間関係がありました。

小さな飲み屋が肩を寄せ合うように並び、利益よりもまず生きることが優先されていた時代。
助け合いながら日々を乗り切ってきた記憶は、建物が建て替わっても簡単には消えません。今もゴールデン街の路地を歩くと、かつての人の声や気配が、ふと立ち上がってくるような感覚が残っています。

番組は、この場所を通して伝えます。
新宿は、きれいに整えられる前に、人が必死に支え合ってきた街だったということ。闇市から生まれた新宿ゴールデン街は、その記憶を今に伝える、生きた証のような存在なのです。

店は消えても 街を愛する気持ちは残る

物語の終盤、柚木佳江の店には、現実的な重さがいっそう強くのしかかります。
慢性的な人手不足は深刻で、体調や年齢の問題から現場に立てない日も増えていきます。代わりが見つからないまま営業を続けることへの不安は、日々積み重なっていきました。そこへ持ち上がったのが、店そのものを手放す可能性を含んだ買収の話です。長い時間をかけて守ってきた場所をどうするのか、その判断は簡単ではありません。

そんな折に届いたのが、水族館劇場の座長である桃山邑訃報でした。
かつて新宿を拠点に活動し、路上や野外で芝居を続けてきた文化の担い手が、また一人いなくなったという知らせです。すでに水族館劇場は新宿を離れ、街から姿を消していました。ここでもまた、場所とともに文化が去っていく現実が突きつけられます。

店の行く先、街の変化、失われていく人と場。
それらが重なり合う中で、最後に語られた言葉は意外なほど静かでした。
店がなくなっても、ああいう店があったことが、若い人の人生のヒントになればいい」。
それは、形として残るものよりも、そこで生まれた記憶経験のほうが大切だという思いでした。

再開発によって、新宿の景色はこれからも変わり続けます。
建物は建て替わり、店は入れ替わり、街の表情は更新されていくでしょう。しかし、人が街を思い、語り継ぐ限り、その時間は完全には消えません。
誰かが「あの場所には、ああいう店があった」と思い出すこと。それ自体が、街の歴史を次へつなぐ力になります。

新宿の100年は、完成された物語ではありません。
人が集い、去り、また別の誰かが歩き出す。その繰り返しの中で、街は生き続けています。これから先の新宿もまた、人の生き方とともに、新しい時間を重ねていくのです。

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