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NHK【映像の世紀特別編】ヨーロッパ2077日の地獄 第1部「ドイツ国民は共犯者となった」カラー映像が語る戦争と生活の真実|2025年7月21日放送

ドキュメント

ヨーロッパ2077日の地獄 第1部 ドイツ国民は共犯者となった

NHK「映像の世紀」特別編が放送されました。今回は第二次世界大戦をテーマに、当時のフィルムを高画質化・カラー化するという初の試みに挑戦し、これまで見過ごされていた歴史の一面に迫りました。第1部では、戦争が始まる直前からドイツの市民がどのように戦争に関わっていたのかを、貴重な映像とともにたどっていきます。

開戦直前のドイツとポーランド侵攻の舞台裏

第二次世界大戦が始まるちょうど1週間前、ドイツの軍艦「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」がポーランド北部の港町ダンツィヒ(現在のグダニスク)に入港しました。この入港は「表敬訪問」という名目でしたが、実際にはポーランドへの攻撃に備えた準備行動でした。船は港に静かに停泊しましたが、船内では兵士たちがすでに武器を整え、砲撃の体制に入っていたことが後の映像からわかります。

ドイツでは、ダンツィヒに住んでいたドイツ系住民が自発的にプロパガンダに協力し、ナチスの主張を支える動きが見られました。住民の一部は自警団を組織し、ポーランド側からの「攻撃を受けた」とする情報を流していました。これは、ドイツが自衛のために動いたという正当性を世界に示すための演出だったとされています。映像では、住民がナチスの旗を振る姿や、街中での緊張感が映し出されていました。

ヒトラーの心情と映像から見えた戦争前夜の空気

このときの貴重な映像は、ドイツ現代史研究の第一人者であるヨハネス・ヒュルター研究部長によって分析されました。彼は、当時のヒトラーの表情や振る舞いから、戦争開始直前にもかかわらずヒトラーが楽観的な気分でいたことを読み取っています。例えば、演説や移動の場面では緊張感よりも自信や余裕がにじみ出ており、それが当時のドイツ国内の雰囲気にも影響を与えていたといいます。

第二次世界大戦の始まりと各国の動き

そして1939年9月1日、ドイツの軍艦がダンツィヒにあるポーランドの軍事施設に砲撃を開始しました。この砲撃は戦争の引き金となり、ほぼ同時にドイツ軍がポーランド国内各地に進軍します。この侵攻に対して、イギリスとフランスはドイツに対して宣戦布告し、ヨーロッパ全土が戦争に突入することとなりました。わずか数日のうちに、大陸全体が戦時下に入ったのです。

このようにして始まった第二次世界大戦は、実際には計画的かつ段階的に準備されていたことが、この特別編の映像と解説から改めて明らかになりました。市民や軍の行動、政治の判断がどのように積み重なっていったのか、その流れを視覚的に捉えることができた放送でした。

無差別爆撃と市民の暮らしの記録

ポーランドの首都ワルシャワは、1939年9月にドイツ軍によって完全に包囲されました。包囲と同時に始まったのが、軍事施設だけでなく住宅地や市場などを含む無差別爆撃でした。爆撃機の編隊が何度も市街地上空を通過し、街のあちこちに火の手が上がる様子が記録映像に残されています。市民が逃げ惑う姿、建物が次々と崩れていく様子は、当時の悲惨な状況を生々しく伝えています。

食料を求めて畑を掘る市民たち

空襲が続く中でも、人々は生き延びるために動き続けていました。特に印象的だったのは、市民が野原でじゃがいもを掘る姿です。映像では、爆撃のあとに広がる静寂のなか、男女問わずスコップや素手で土を掘り起こす様子が映っていました。店や市場には食料がなくなり、畑や空き地に頼らざるを得ない状況だったことがわかります。食べるものが見つからない中で、それでも家族のために食料を探す市民の必死な姿が胸を打ちます。

降伏までの時間とその後

ドイツ軍によるワルシャワへの攻撃は9月27日まで続き、この日、ワルシャワは正式に降伏しました。それまでの約1か月間、市民たちは水や食料が尽きる中、爆撃に耐えながら命をつないでいたことになります。降伏後も街は焼け野原のような状態で、学校や病院、住宅も多くが破壊されていました。

ドイツ国内との落差

一方で、同じ時期のドイツ国内では平穏な日常が映像に残されています。カフェでくつろぐ人々、公園を散歩する家族、演劇を楽しむ観客の姿など、ワルシャワとはまったく対照的な光景でした。戦争が始まったばかりの頃、ドイツの多くの地域では生活に大きな変化がなく、人々は戦争の影響を遠くの出来事として捉えていたことがうかがえます。

このように、映像からは戦争の激しい現場と、それを遠くで見守る市民社会との温度差が浮き彫りになりました。同じ時間の中で、場所によってこれほどの違いがあったという現実を、改めて実感させる内容でした。

フランス侵攻とドイツの最新技術

1940年5月、ドイツはフランスに進軍。このとき活躍したのが、戦車に装備された無線アンテナでした。全戦車に設置されていたことで、指揮官はリアルタイムで命令を出せたといいます。フランス軍よりも戦術面で優れていたドイツは、フランスを降伏させました。

ヒトラーの凱旋と民衆の姿

ベルリンに凱旋したヒトラーの周囲には、彼を迎える多くのドイツ国民がいました。その様子を撮影していたのが、ヒトラーの愛人・エヴァ・ブラウンでした。こうした映像からも、当時の市民の様子が垣間見えます。

そのころイギリスではウィンストン・チャーチルが首相に就任。フランスから撤退する連合国軍の映像も映し出され、帰還する兵士たちの姿がありました。

イギリスとの戦いとポーランドでの迫害

ヒトラーはフランス降伏後、チャーチルに和平を持ちかけましたが、拒否されます。その後イギリスとの本格的な戦闘が始まりました。一方で、ドイツが占領したポーランドではユダヤ人への迫害が激しさを増していきます。

イギリスではジョージ6世やエリザベス王妃も国民とともに耐える姿を見せ、「ロンドンは耐えている」という印象的な言葉も記録に残りました。

クリスマスと戦場の食事会

1940年12月のドイツでは、戦時下とは思えない穏やかなクリスマスの映像が流れます。一方でヒトラーはフランスの前線で兵士たちと食事をともにしており、テーブルにはフランス産のワインも並べられていました。

また、ヒトラーがイギリスへの防衛拠点を視察する場面が紹介されましたが、ヨハネス・ヒュルターはこれをカムフラージュとし、実際にはソ連への戦争準備が進んでいたと解説しました。

まとめ

この放送回では、単なる戦争の記録にとどまらず、「なぜ市民が戦争に巻き込まれ、加担していったのか」という視点が際立っていました。高精細・カラー化された映像によって、これまで以上に臨場感のある歴史の姿が浮かび上がり、視聴者に深い問いを投げかける内容となっていました。

番組で紹介された出来事を時系列でまとめた表はこちらです:

年月 出来事
1939年8月末 ドイツ軍艦がダンツィヒに入港
1939年9月1日 ポーランド侵攻開始、第二次世界大戦勃発
1939年9月27日 ワルシャワ降伏
1940年5月 ドイツ、フランスに侵攻開始
1940年6月 フランス降伏、ヒトラーが凱旋
1940年7月以降 イギリスとの戦闘開始
1940年12月 ドイツ国内でクリスマス、フランスでヒトラーが兵士と食事

次回の放送では、さらに深くヨーロッパの戦争の日々が語られる予定です。歴史の裏側を映像で知る貴重な機会として、多くの人に見てほしい内容でした。

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